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思い出と音楽

人にはそれぞれ、思い出の音楽というものがあると私は思っている。

ここで言う音楽は何でも良い。
曲でも良いし、BGMでも良いし、そこらへんの生活音でも良い。


このような思い出の音楽が私にはたくさんある。


運良く四半世紀も生きてこれた中、私の記憶で最も古い思い出の曲は、「パフ」という曲だ。(正式には、Puff the Magic Dragonという西洋の曲)

これは、私が1〜2歳の頃に父親が子守唄として毎晩寝る前に歌ってくれていたため、非常に強く記憶に残っている。

今だから思うが、仕事が忙しく母親任せだった育児に申し訳無さを感じで、少しでも育児に貢献しようとして必死に考えた結果、毎晩子守唄を歌うという行動に出たのだと思う。
(なんか、母親には相談せずに勝手にやり始めたらしいのだが、密かに頑張って母親を助けようと画策するあたり、なんとも不器用な父親である。)

この子守唄、結果として僕が安心して眠りにつくことができるようになったため。非常に良かったらしい。
僕としても、幼い頃に英語の曲を一曲丸々覚えることで、幼稚園で披露して鼻を伸ばすことができたため、非常に良かった。


次は一気に3つの思い出の音楽を紹介する。 


エド・シーランの「Castle on the hill」
ジャスティン・ティンバーレイクの「Can't stop the feeling」
デイビットゲッターの「Don't leave me alone」

なのだが、洋楽に詳しい人は何かに気づいただろう。そう、この3曲は2018年に大流行した曲なのである。

この3曲は、私がオーストラリアに短期留学していた頃にホストファミリーが移動中の車の中でよくヘビロテしていた曲たちである。

まだ10代だった私は、異国の地で長い時間を過ごすという経験をしていたのだが、楽しかったものの英語力の低さから起こるコミュニケーションのストレス(というか緊張感)を絶えず感じる生活だった。

リスニングが特に苦手だっため、聴くことに意識を向けていたこともあるのだろう、上記3曲は自然と耳の中に残った。

留学してから5年も経つが、留学のことを思い出すたびに、様々な光景を思い出すと同時に、音の記憶として蘇ってくるのである。

正直、今でも洋楽はあまり聴かないが、数少ない洋楽のプレイリストの中にしっかり入っている。


他にも、思い出の音楽はたくさんある。


ここ1年の間だと、とある女の子に片思いをしていた頃に聴いていたサカナクションの「go to the future」も思い出の音楽だ。

秋から冬にかけてその女の子と何回か遊びに行ったのだが、バイバイした後の帰りの電車の中で何故かこの曲をループ再生して聴いていた。

今では、この曲がかかると片思いをしていたあの頃の自分、何を想って、何を感じていたのかを思い出す。
片思いのまま関係性が自然消滅してしまったところまで含めて、思い出の音楽として表現するにぴったりな曲として私の中で存在している。


あとは、中学時代の部活でウォーミングアップのランニングの時に発声する掛け声も思い出の音楽である。

あの、青春と汗臭さと情熱と古臭さがすべて詰まった部活動での掛け声は今でも忘れることはできない。1年生の頃に上級生の後ろを必死で着いていきながらみんなと叫んだかけ声から、3年生の最後に大阪府の中央大会のJグリーン堺で出し絞った掛け声まで、すべてが一体化して音楽になっているのである。


ここまで書いていて気がついたのだが、思い出の音楽というものは自分の意志に関わらず何気なく聴いていた音や環境音が自然と記憶と結びつくことで生まれている。

例えば、大好きだった小学校生活の最終学年、最後の運動会で退場する時にBGMとしてかかっていたゆずの「栄光の架橋」は思い出の音楽だ。
だが、同時期にめちゃくちゃ聴いていたシンガーソングライターのYUIの曲は今でも聴いているのに、自分の中では思い出の音楽として存在するものはない。

やはり、自分の意志で聴く音楽ではなく、記憶の一部分として添えられた音楽が思い出の音楽になるのだろう。


さて、これからも私はたくさんの思い出の音楽と出会うだろう。

人の人生には出会いと別れがあり、別れの際には関連する物を処分してしまう人も多い。
(だから、私は人に物を贈ることはあまりしない)

だが、思い出の音楽は消えないだろう。永遠に残ってくれるはずである。



しらんけど


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