#国家安全法制について

 のちに「稀代の悪法」と呼ばれる1928年治安維持法の改正案は、帝国議会に提出された。最高刑を死刑にし、取り締まりの対象を広げる内容は受け入れられるはずもなく一度廃案となった。そこで当時の内閣は、天皇の名のもとに緊急勅令を発する禁じ手を使った。議会をないがしろにするやり方は、国粋主義の憲法学者ですら非難した。

 それから100年近く経った今、中国共産党が「国家安全法制」を香港に導入しようとしている。国家分裂あるいは政権転覆させようとする行為などとされる反体制的な言動を取り締まるもので、5月28日の全人代で採択・可決された。

 中国の国家安全法制をもとに新法を作ろうとしているが、そもそも中国の国家安全法制は、共産党政権の体制維持を目的としているため、香港への導入は政権批判の封じ込めに他ならない。香港の自由な言論社会を破壊しかねない。

 香港の頭越しでの法制化は、中国自身が '84年の中英共同宣言で「 '97年香港返還後から50年間、"一国二制度" をもとに社会主義政策を行わない」と保障した "高度な自治" の根幹である司法の独立性を崩すことになる。

 香港で有効な法律は立法会(議会)で可決されたものに限られる。例外の法律でも、罰則規定があるものは立法会が法制化してきた。今回のような中国共産党の介入が常態化すれば、香港と「一国二制度」を前提にやり取りしていた国が、関税やビザ発給などの優遇を見直すかもしれない。そうなれば金融だけでなく自由貿易港としての地位も危機に陥る。

 香港の民意は国家安全法制の導入に反対である。'03年には50万人が「国家安全条例案」に抗議し、撤回させた。'19には100~200万人が「逃亡犯条例改正案」に大規模デモを展開し、撤回に追い込まれた。その後、区議会議員選挙(地方議会選挙)で民主派が8割超を獲得する歴史的勝利を収めた。

 このままでは、香港に「国家安全法制」制定を託すのは困難な状況であると不安を覚えた共産党指導部は、9月の立法会選挙前に基本法(憲法)の枠組みにかかわる措置に踏み込み、民主派に圧力をかける狙いがある。

 香港政府の林鄭月娥行政長官は中国支持を表明し、対象になるのは「ごく少数の犯罪分子」と説明する。しかし、中国は一部の学生らの過激な行動をテロと批判し、香港独立の主張や外国との連携を許さない方針であり、疑問を感じさせる。

 中国は「自由や民主は不十分だが、その代わり豊かさは手にできる」、人々にそう思わせることで体制を維持してきた。コロナ危機で経済が失速し、人々の不満が噴出することを避けなければならない。香港での抗議活動を許せば、本土での抗議活動につながる恐れがある。

 日本の1928年の治安維持法改正は、拡大解釈の末、人々から言葉を奪った。海をはさんだ向こう側で、自由が奪われ、人権が侵されようとしているとき、他国に「介入する余地はない」かもしれないが、異議を呈するのに国境は関係ない。香港の民意を尊重した手続きを踏んでいない国家安全法制の導入に反対したい。

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