見出し画像

独立宣言の書式の確立について 〜アメリカ・コソボ・カルムイクの事例から〜

2022年10月26日付でカルムイク共和国の唯一の合法的な機関と称する「オイラト・カルムイク民族会議」と名乗る活動家達がロシア連邦に対して、カルムイク共和国の独立を宣言した。それが認められるとは思えない。しかしながら、その独立宣言を読み続けていくとその宣言の書式の原型にアメリカ合衆国の独立宣言と類似した構成を見出すことができた。また、他の例としてコソボの独立宣言を確認するとそこにも構成に関してはアメリカの独立宣言と類似した構成が伺えた。そのため、独立宣言の書式としては「前文」「独立するための理由」「独立宣言」が確立していることが窺える。秋だから三つの独立宣言を比較してみた。

連邦制のロシア

ところでカルムイクはロシアの中にある「国」だ。

まずここで「ちょっと待って。ロシアはロシアっていう国じゃないの?」と思う人がいるかもしれないので書いておこう。そもそも日本と異なり、ロシアは連邦制。同国の観点で言うと89の構成主体(共和国や州、自治州、地方等)から国ができているという考え方になる。

注意してほしいのはこの数は併合された(あるいは併合されつつある)クリミアや現在戦争中のウクライナのドネツクやルガンスクなどが含まれた数になる。この数はロシアの主張を認めるか認めないかで変動する。例えば日本の外務省は83の構成主体から成り立つとしている(1)。

カルムイク共和国

カルムイク共和国はコーカサスの北に位置する共和国だ。しかしながらロシアの管轄としては南部連邦管区に分類され、コーカサス最北端、ロシアから見れば最南端である。近くにはジョージアやアゼルバイジャン、アルメニア、トルコなどがある。

首都はエリスタ。人口はおよそ27万人。2010年のカルムイク共和国の民族別統計では約60%がカルムイク人と呼ばれるモンゴル系民族で占められるとされる。次に30%程度のロシア人や少数のタタール人やベラルーシ人が続く多民族国家だ(2)。

最も面白い事実としてロシア内外の興味を引くことがある。それはカルムイク共和国はヨーロッパ唯一の仏教国であると言うことだ(3)。コーカサスにおいては正教やイスラム教が広がる中に、街中にチベット文字が刻まれたマニ車があったり、極彩色の寺院があったりとロシアの中でも異色の共和国である。

カルムイク民族会議の独立宣言

そのような共和国の唯一の合法的な機関と称する団体が独立宣言を出した。もちろんこの団体の権威は認められていない。このカルムイク民族会議の独立宣言は主にFacebook上で確認できる。

主な構成としては三つに分けられる。「カルムイク(人・国家)の歴史前文」「昨今のロシアの状態と政権に対する苦情」「独立宣言結語」である。

この組み合わせを見てピンとくる人もいるかもしれない。この構成は1776年のアメリカ合衆国の独立宣言とほぼ同じなのだ。

アメリカ合衆国独立宣言

アメリカ合衆国の独立宣言は福沢諭吉の翻訳で知られた「天は人の上に人を作らず」で始まる有名な前文から始まり、英国王と英国への苦情に続き、独立宣言をするという結語に至る。これはカルムイクの独立宣言と同じ構成である。

これを考えるとカルムイクの民族主義の団体がアメリカの独立宣言を参考としたと考えるのが自然だ。ただ、似ていても不思議なことではないと思う。何故なら新しく独立を考える上で、アメリカ合衆国のような前例を参考にするのは当然の行動だからだ。では他の独立宣言はどうなのだろうか。

コソボ共和国独立宣言

コソボは2008年に独立した、最も若いヨーロッパの国だ。ただし、日本は独立を認めているが、完全に国際的に承認されている訳ではない。そのコソボの独立宣言のアルバニア語をBBC英訳を参照しつつ見てみよう(4)。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7249677.stm

Mirënjohës që bota intervenoi më 1999 duke hequr në këtë mënyrë qeverisjen e Beogradit mbi Kosovën, dhe vendosur Kosovën nën administrimin e përkohshëm të Kombeve të Bashkuara.
(世界が1999年に介入し、コソボに対するベオグラードの支配を取り除き、コソボを国際連合の管理下に移したことは誠に感謝すべきことである)

コソボの文章構成は「前文」「独立までの道筋」「独立宣言」のようになっている。コソボの独立宣言の特徴としては宣言内でアメリカは英国王に、カルムイクはモスクワ政権やプーチン大統領の政治に苦情を申し立てていることに対し、コソボは時のボリス・タディッチ(Борис Тадић)大統領やベオグラード政権に対してあからさまな不満をぶつけることをしていない点だ。ベオグラードとプリシュティナの間には「双方に合意できる結果に至ることができなかった(…që nuk u arrit asnjë rezultat i pranueshëm)とは書かれているものの、今まで民族自決やコソボの主権をセルビア側が侵害してきたかなどとつぶさに事例を載せてセルビアを刺激したり、非難するようなことは書かれていない。

最後

これらの事例から「アメリカ合衆国独立宣言」がコソボやカルムイクの独立宣言の構成に遠巻きに影響を与えていることを推測することができるだろう。その理由はひとえに文章構成の類似に依存する。

そして、この三つの例を参照にすると独立宣言は三段構成であるという国際的な書式基準が確立していることを暗示している。しかしながら、その中にあって民族自決を求める状況や政治的な複雑さに応じ、コソボはおそらく表現を柔らかくしていると考えられる。その点、カルムイク民族議会の書式はアメリカ合衆国の独立宣言に似ていて古典な構成をしていると言える。

脚注

(1)   ただし資料がないため、カルムイク国内における仏教の法的地位については不明だ。「仏教が信奉されている地域」といったほうが無難かもしれない。
(4) アルバニア語原文を確認すると何故かBBCの英訳は1.~5.までが抜け落ちているが本文自体は訳されているようだ。
https://web.archive.org/web/20210217171737/https://www.vetevendosje.org/wp-content/uploads/2019/01/Dek_Pav_sh1494294101.pdf



資料や書籍の購入費に使います。海外から取り寄せたりします。そしてそこから読者の皆さんが活用できる情報をアウトプットします!