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【二本目:その席にて待つ】『いま、なんどきだい』【第十二回の配信】

 はじめましての方、ようこそいらっしゃいました。
 二度目以上お運びの方、本日もありがとうございます。
 虎徹書林ぷれぜんつ、木曜日のチョイと怖いお話――略称『虎徹書林のチョイ怖』をお届けします。

 今回の第六話、紙又は電子書籍に収録することが前提の短編小説の三本立て構成です。週に一度の連載で、完結まで五カ月ほどかかります(2024年7月ごろに完結予定)。一回分のボリュームは約5000文字ほどです。
 収録する書籍の出版予定は未定ですが、書籍化するにあたり加筆・修正がされます。また書籍化の規約上、noteでの公開が中止になることもありますのでご了承ください。

<五>
※無料公開中は虎徹書林作品のご紹介(真ん中へんと最後あたりの二回)が含まれます

 私の動揺は、今や幸せ家族そのものに見える三人の親子にも当然の如く伝わっていなかった。
 もはや孤立無援と言っていい状況下で私は、端をそっと置き、その手で鞄をひっつかんで腰を浮かせた。
 こんな場所に長居は禁物。私の副業界隈では『本能が警鐘を鳴らしたなら理屈は抜きに即時撤退』が鉄則である。

「お客さん」

 その一声は、部屋に一瞬の凪を呼び、私の足腰の発条を制した。
「お客さん……これだけじゃお腹、いっぱいに為んないでしょう?」
 海老茶のきもの姿の女将は、こちらに歩を進める間にも、左手に持った帳面を器用に親指一本で捲り、右手でボールペンの頭をカチリと押す。
 隙が無いのは、きものの着付けと身のこなしだけではなかった。如何なる企みか、紅い目元が不穏を湛えていた。
 遅きに失した私は、だから再び腰を降ろすしか道が無かった。
 更に都合の悪い事に、元老人と、隣の親子、そして女将と、私を囲む面々の後ろから、いつの間にか他の客までもが顔を覗かせていた。
「何食べるんだろうね」
「食べるよね」
「食べるさ」
「さあ」

 さあさあさあさあさあ――
 食べちゃえ食べちゃえ食べなよ食べればいいのに――

 はやく、くっちまえ

 寄せては返す漣のような囁きをかき分けて、女将が、ねっとりと迫った。
「さ、て。ご注文は?」
 彼女の顔から、どうしたものか目が離せなかった。
(ヤバいな怖えェ)
 この白い顔の筋肉が少しでも引き攣れたなら、いったい何が起こるのか?怒らせるのも喜ばせるのも悪手である気がした。彼女の機嫌を損なってはならないと、思考の範疇外で理解している自分が惨めで情けない。
「て、ん、ぷら、蕎麦。にします?」
 女将の妙な抑揚に、思わず首肯しかけた。
「何」
「あつ、かん。かきあげ。それと、い、たわさ」
 私の喉の痙攣が、女将の機嫌の『何か』を踏んだ。
「もう、食べたでしょ」
 考えろ。
 考えろ考えろ考えろ……消し飛ぶ寸前の理性を急き立て、私は猛スピードでこの状況を切り抜ける糸口を探した。
「そう、なので〆を」
「だからァ天――」
「花巻で!」
 中部屋のみならず。通路を隔てた大部屋、通路向こうの調理場と帳場、入口から広がる客席……そして便所に至るまで、居合わせた全員同時に息をのんだようだった。一本の細い何かがぷつりと鼓膜を刺したかと思うほどに、静寂が張り詰めていた。
 すると突然、女将の眼が零れ落ちんばかりに見開かれ、
「え……海苔?ほんとに?」
 私は肺に残った僅かな空気を押し出すように答えた。
「ほんと」
「待ってぇぇン」
 彼女はずいッと、私の鼻先に迫った。互いの表情が伺い知れない近さまで距離を詰めたその顔は、逆光の効果で影に染まり、むしろそちらが彼女の真の姿のように思えた。
「海苔ですよ?」
 息を吸うのも唾を飲み込むのも命取りになりそうな数秒間だった。あの時もし、彼女の後ろから不安そうな相席の元老人が覗き込まなかったら、どうなっていたか。
 私にはまだ味方がいると信じるのと同時に、押し切った。
「はなまき、だ」
 つり上がった二つの眼から、毒気が消えた。
 そして。
 ざああああああああ――と、天井から床から、たっぷりとした布を一度に引き抜くような音がした。女将に視界の殆んどを遮られていた私は、当然その正体を見ていない。
「承りましたぁぁ」
 気の抜けた女将の声が合図だったかのように、店内の活気が戻った。
 客たちは再び各々の席で食事と談笑を楽しみ、隣の三人の親子連れはゴチソウサマ!と席を立った。
(なんなんだ、ここは)
 人以外のものが棲み付く場所で、わけのわからない体験をしたのは一度や二度ではない。それらは世間一般に流布する実話怪談や古い言い伝えの範疇にあり、分類・研究されて、ある程度の回避法や脱出法が確立されている。
 だが、この蕎麦屋ときたら。
(既存のルールが通用する気がしない)
 呼吸が落ち着いてきても、両手と両足は小刻みに震え続けていた。
 顎から首に伝っていた大粒の汗を手の甲で拭ってようやく、私は生き延びたことを実感した。

 心配気な表情で茶を一口啜った元老人が、
「ずいぶん顔色がわるいぜ?」
 と言った。
「いえ、その、なんでしょうね」
 何気ない風を装ってはみたが、つくづく下手糞な芝居だった。
 しかしなあ、と元老人は四角い頭をゴシゴシこすりながら、ばつが悪そうに呟いた。
「お前さん、生きてんだなあ」
「え?まあ……」
「迷子か?それとも呼ばれたのかィ」
 呼ばれる――その言葉が頭蓋の裏に鋭く引っかかった。
「呼ばれ……とは、あまり考えたくはないですが」
「そうか。いや、女将の手腕と目利きはぴか一なんだが、少々頑固でなぁ」
 彼が一拍言い淀んだ隙に、紺の作務衣姿の店員が花巻蕎麦を配膳していった。丼が置かれるやいなや立ち昇る、程よい熱さの湯気と、仄かな柚子の香りは堪らなかった。丼の中を覗くと、小鼻の周り、頬骨、額……と湯気が極小の水滴になって私を包む。
(あ……しまった)
 一瞬の気のゆるみ、というやつであった。
 じんわりと毛穴から入り込む何ものかが、私の食欲を邪に刺激し、箸を引っ掴ませ、熱々のそばを手繰らせた。


『いま、なんどきだい』の二本目のお話【その席にて待つ】お楽しみのところ、失礼いたします。
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<広報>虎徹書林の本



 フーフーと、少し冷ました蕎麦を勢いよく啜る。磯の香りと汁の香りが鼻腔で混ざり合って図らずも胸が躍る。喉の奥に落ちていく蕎麦の感触を確かめながら、千切った海苔を一枚だけ箸の先でつまんで口に運んだ。
(ああ、これだ……)
 湧き上がる潮の香り。此岸と彼岸を分かつ隅田川を下った先の、いつかは私も流れ着くだろう場所。すなわち、これこそ。
(黄泉の味!)
 脳裏に浮かんだ言葉に動転した。蕎麦と汁と海苔と、その上にぽっちりと乗った柚子の皮の色彩が、僅かにくすんだような気がした。
「どうした?」
 元老人が、返答によっては大声で店員を呼び兼ねない調子で訊ねてきた。
「なんでもない!」
 サイコーです、と取り繕ったが、元老人の顔を見れば不発に終わったのは明らかだった。
 平凡な休日に適度に腹を空かせていたならば、この花巻蕎麦は間違いなく過去一で美味いと断言していたはずだ。妙な想像はしたが、海苔自体はすこぶる美味い。
 もう一度蕎麦だけ慎重に、三本ほど手繰って食べてみればホラ美味い!蕎麦の実の香りが絶妙に際立った、素朴にして奥行ある味わいだ。そして、ここに海苔を合わせ、味わいに集中すれば……間違いなく東京一美味い蕎麦が完成する!
 はずだったのに。
 またしても。
(勘弁してくれ)
 もう一度、蕎麦だけを手繰って食う。美味い。
 ふやふやになった海苔をそっと掬って食う。素晴らしい。
 海苔の下に箸を差し入れ、蕎麦を二、三本、海苔が滑り落ちないように注意深く啜ると……途端に旨味と香りの色彩が抜けた。舌の上で食感が上滑りし、蕎麦と汁の香りは元から無かったように、無機質な塩気だけが虚しく喉を滑り落ちていく。

 ――駄賃がわりに、お師さんが教えてないことを教えてやろう。
 ふと、私が未だ子供だった頃の記憶が蘇った。
 師匠の遣いで、ある好事家の家に行った時の事だ。大ぼら吹きだから気を付けろと師匠に釘を刺されていたのに、私はまんまと好事家の術中にはまった。
 ――人間は死んだ後も、腹が減るんだよ。
 たしか私は、嘘つけ!胃袋も無いのに腹が減るか、と返した。
 ――そう。胃も腸も心臓も脳味噌も無い。だがな、なんか食いたいという『欲』が残ってんだ。
 いったい何故、そんな話を聞く羽目になったのか。
 ――食えるなら何でも食うんだそうだ。その、物の精気を。
 食いたいもの、ではなく。食えるものを、食う。
 ――とはいえ、好物ってのはある。人気なのは線香の煙だそうだ。
 ――浅草の、観音寺。いつも線香を噎せっかえるほど焚いてるだろう。頭に被って、テストの点が良くなりますようにィじゃないんだよ。あれはな、浅草には美味いもんが沢山あるせいだ。やつらが人間の食い物を手当たり次第に食ったあとは、精気のない空っぽの食い物が残る。そんなもん食ったって、人間が元気に働けるわけがないだろ。読んで字の如しの死活問題だよ。だから、ああして線香焚いて、煙の食べ放題をやってるわけだ。あそこに行けばお仲間いっぱい、寂しくない上に腹が減る心配がないと来れば、がらっぱちな野郎でも大人しく観音様のお慈悲に縋っとこうて話になるわな。まあ『一説には』て但し書き付きだけど。
 そして彼女は、与太だとしてもオモシロ!と話をしめて、線香の煙を我先に貪る亡者の群れを想像して泣きそうになってる私の前で、呵々大笑したのだった。
 そういえば、彼女の隣で一緒に話を聞いていた大学生風の男が居たっけ。
 ――煙ってどんな味がするんです?
 ――知るか!死んでからのお楽しみだろ。

 私は今一度、温かい丼を見つめた。力強く生命力を喚起する温もりに釣り合わない空虚な味わいに、あの好事家が言っていた『空っぽの食い物』という言葉が重なった。
 味覚も嗅覚も触覚もまるで満たされない、食えないことはないが生きてる人間は食いたいと思わない味の食い物。
 ――どんな味がするんです?
 大学生風の男の声が、首のすぐ後ろで聞こえた気がして、一度治まっていた震えがぶり返した。
 私は辛うじてそれを抑え、汁を存分に吸って崩壊寸前になっていた海苔だけを一気に平らげた。すっかり冷めた熱燗も、徳利ごと呷って飲み干す。
「無理すんな。残りは食ってやるってわけにはいかねぇが」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ」
 元老人の優しさに触れたせいで、弱弱しく情けない、乾いた笑いが突いて出た。出処が判然としない義務感だけで箸を動かし、私は何を思ったか、残り僅かとなった蕎麦の上に半分残っていたかき揚げをのせた。
「オイオイ、こりゃ驚いたな」
「はい?」
 恥ずかしながらこの時の私は、身を乗り出して丼を凝視する元老人の表情と『驚く』の言葉の意味をこれっぱかしも理解できていなかった。
「これはこれで、天ぷら蕎麦じゃねえのよ!」
「え……ああ!」
「ハハッ兄ちゃんよ、あんた『持ってる』なあ!」
 元老人は素っ頓狂な声を上げ、拍手をして大喜びしていた。

  「あらぁ、随分と頓智の利くこと……つくづく生意気な」

 女将の声が頭蓋の裏側に響いた途端、私の意識はどこかへ飛んだ。

※※※

 瞼の裏の薄暗闇を、両の目玉がそれと認識すると同時に、私は素っ裸で転がされているのを知った。背中に、太腿に、尻に、着慣れた肌着や洋服のそれとは明らかに違う柔らかい布が触れ、寝返りを打った腕にさらりとした手触りの別の布が絡まってくる。
 鼻から大きく息を吸うと、嗅ぎ慣れた柔軟剤の匂いがした。
 ハッとして目を開けると、やはりそこは私の部屋だったが、予期せぬ異常な光景に悲鳴の一つも上げられなかった。
 ベランダに続くガラス戸が、天井とサッシごとぶち抜かれていて、黄昏時のそれとは明らかに質感が違う真っ赤な空が広がっていた。風はそよとも吹いておらず、空気は乾いても湿ってもいない。窒息しそうなほどに重たい大気は微細な振動を帯び、素肌を不愉快に撫でまわした。
 半壊したベランダには、これまた素っ裸で禿頭の、手足の長いやつが一人、こちらに背中を向けて立っていた。全身をドーランで塗りたくったみたいな、不自然に真っ白なその後ろ姿は果たして人間か、私は判断しあぐねていた。
 その内、そいつはゆっくり振り向き、声を出すのもままならない私に言った。
「お早いお目覚め。いま、なんどきだと思います?」
 その顔、その声は、あの蕎麦屋の女将に違いなかったが、喉元から下腹に向かってびっしりと生えた輝く緑の鱗について、私には紐づけしうる情報を持たなかった。
「不作の年が続き」
 そいつが、部屋の中に一歩、踏み入った。
「ようやく戻った、精気の収穫」
 一歩また一歩と来て、とうとう私が横たわる寝台の縁に座った。
「けどね、ちっとも足りやしない。飢えた私たちの食い物を、外から来たやつらが食い荒らしてしまう」
 白くて長い、骨ばった手が私の額を掴んだ。やつら、とは誰を指しているのか、聞きたくとも声はおろか指一本動かせない。
「知恵が回ってしぶとくて、運もそこそこ。お前、見どころがあるから、このまま帰してやる。但し、忘れた頃に呼ぶからね。逃げても無駄、半端だが印は打った。お前は私たちの――」
 そいつの最後の一言が耳に入る寸前、私は薄暗い路地のどん詰まりで正気に戻った。
 腹の虫がぎゅるるる……と飯を催促するのでいつもの癖で鞄を開けると、アンパンとペットボトルが一本、今しがた買ったばかりの様子で入っていた。

第十三回へ続く】

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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このnoteを書いた人


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ご感想は――個別のお返事はできかねます。ゴメンナサイ

まさかとは思いますが……コラボのお誘いとか御仕事のご依頼とか――


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