【一本目:私と奴と浅草の怪しきこと】『いま、なんどきだい』【第五回】
<五>
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私の中の小さな希望は活力となって、私を立ち上がらせた。
死者の手招きになどに応じたりはしない。悪戯に恐怖心を刺激し、生きる者の意志や願いを曲げる死者とその呪いに屈してはならない。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉に沿ったわけでもないが、その時の私には恐れていたものの一端を掴んだという余裕が産まれたのだろうと推測している。
暫し目を閉じ、黄色い看板に黒の手書き文字で店名が書かれた、馴染みの中華料理店の佇まいを思い浮かべた。銀色の丸い取っ手を引き、ドアを開けた瞬間に熱した脂と香辛料の香りが全身を包み込むのだ。
すると記憶の引き出しが次々に開き、舌の上にはまざまざと何度も味わったことのある鶏ガラスープの旨味とコクが口いっぱいに頬張ったかのように想起され、鼻先には胡椒を振った途端に立ち昇る唾液腺を覿面に刺激する香りが駆け抜けていく。腹の虫は盛大に鳴いたが、それは空腹を訴えるというよりも、私がまだ歩く余力があり、この暗いシャッター通りから這い出し、生気溢れる街中に脱出できるという証左のように聞こえた。
心身の疲弊著しくはあったが、重たい足を引きずることをものともしない気力が湧いてきて、私は空き家になった蕎麦屋を後にし、黒く塗られた板塀に挟まれた、細い路地に迷いなく入った。
昼間の様子とは違って、ひと気が皆無で寂しい細道ではあるが、何度も通り抜けている短い抜け道である。浅草寺に続く仲見世商店街への近道として、地元の人々だけでなく何度も浅草を訪れている観光客も多く利用する、知る人ぞ知る裏路地である。
もちろん私も当然のように、奴が存命なうちから何度も使わせてもらっていた。
なので黄昏時を過ぎ、賑やかな通りから離れてぼんやり暗くとも、通り抜けるのにさして躊躇いも不安もなかった。
むしろこれ以上妙な目に遭わずにすむだろうと思った分、いつもより自らを鼓舞するように、一歩一歩確かめるように、そして確信をもって踏み入ったと記憶している。
しかし。異変は既に始まっていたのだ。
それにしても妙だぞ?と気付いたのは、経験上、そろそろ帰る算段をしながら歩く観光客のざわめきが耳に届いても良さそうな頃合いまで歩いたころだ。
全長十数メートルもない抜け道、少し進んだだけでも賑やかな通りの気配は目と鼻の先なのに、喧噪や人工的な灯りといったものに近づいている手応えが一向に返って来ない。
ハテと辺りを見やると、何が漏れ出ているのか?黒塀越しにぼわぼわと、仄かな群青色の闇か靄か、中空を漂うばかりで風に流されるでもない。しかもその漂う何かは、妙にぬらぬらした触感を想起させる、重く深みのある艶めきでもって塀の内側の僅かな灯りを反射しているようだった。
道に迷った、などということは断じて在り得ないのだが……僅かな距離の一本道、迷いたくても迷えるものではない。だが、目の端で後ろをチラッと確認すると、今しがた入ってきたはずの細い路地の入口が確認できなかった。
未舗装の道と黒塗りの板塀が、真っ黒けの闇に吸い込まれて溶け込んで、距離を推し量ることが出来なくなっていたのだ。
これは……と、私はここで新たな可能性に思い至った。
「呪いの一側面、なのか」
己の声にゾッとしたが、だからといって引き返すという選択肢は選べなかった。塀と道を飲み込む闇にイチかバチかで飛び込む方が、むしろ怖ろしかった。
それに。これまでであれば、小馬鹿にしたように私の思考に割って入ってきた奴の声、アレが路地を歩きはじめてからパッタリと聞こえなくなっていたのだ。
どう見ても一本道にしか見えない迷い道。
果たしてそんなものがこの世の、他の街にもあるのか?という疑問はさておき、私は再び前に向き直った。
歩幅は狭くなり、踏み込む力も弱くなっていた。それでも、後戻りするよりも止まって朝を待つよりも、道なりに進んだ方が間違いなく安全なのだと信じしばらく進むと、単調な細道に突然十字路が現れた。
私が近道として利用している路地は、一本道ではあるけれど距離感が掴めなくなるほどの長さも傾斜もないし、ましてやこのような場所は無い。これは益々、私が見知ったあの路地ではないと、確信せざるを得なかった。
その十字路は、どことなく不安を誘うような雰囲気があった。角の一つに木製の電柱が一本建っていて、見上げると、随分と古めかしい笠付の電灯が道の交点を照らしていた。
自分の心臓の鼓動、血潮の流れ、呼吸の音……そういった生きている証がどこか遠く感じられるほどに、手足が緊張で痺れていた。
ここでいよいよ、この世ならざる場所で道に迷うのかもしれないと思った。
と、同時に、異界の細い路地であっても、奴ほどではないにせよ、私にもある程度土地勘の或る街の模倣だ、という一種の開き直りも僅かながらあるにはあった。
真っ直ぐ。
右折。
左折。
どの道を行くにせよ、決めるのは私しか居ない。進むしかない以上、どうせどの道を行っても迷うのならば……渡り鳥に倣って向かうべきはおそらくこちらの方角だと、屁理屈じみた己の勘を信じて十字路の真ん中で左の道を選んだ。
電灯に照らされて、温かみある地肌を見せていた道に、私の影が落ちた。
その左の手元、角を曲がる前には死角になっていた道端に、万年青の鉢植えがひとつ置いてあった。
その万年青の葉は、やけに厚みがあって肉感的で、暖色系の光の余韻のせいか影の中に在っても青みがきりりと鮮やかに見えた。密集した葉の根元にうずまる実の赤さは、私が鳥か草食動物だったとしても敬遠するのではないかと思う程度に毒々しい。
そんな状況でなくても、私は元々万年青の実のような造形は苦手なのだ。あのギュと寄り集まった物体は、人間ではなく人ならざるモノが観て愛でるために産み出されたもの……恐れずに言えば、魔や鬼でさえ足元にも及ばぬ存在、つまり人がどんな知恵や術を駆使しても祓えず抗えもせず、その支配に藻掻けば藻掻くほど付き従うのを厭えなくなってしまうような……そんな遥か高みから我々を臨む存在に、人が唯一捧げうる造形物なのではないか、と。
あの十字路に、あの鉢を置いたのが誰かはもちろんわからない。
けれどそれがもし人だったならば……もし、私がその人だったならば……何らかの赦しを得るためにそうしたのかもしれないと思う。
話がそれてしまった。
通り慣れた見知った道を歩いているとばかり思っていたのに、雰囲気が怪しく、おまけに見たこともない十字路に出くわしたおかげで、私の心は数日来続いた様々な出来事が些末事に思えてくるほど千々に乱れていた。
塀越しに溢れる群青色を滲ませていた闇は、高々と頭上を覆い尽くし夜空に擬態するかの如く広がっていたが、曲がり角を過ぎてとぼとぼと歩くうち、どういう時の流れによるものか、濃紫へと変化したかと思ったら、次は藤色を含んだ橙色へ、そして桜色を経て深紅へと移り、果たして終わりが見えてこない黒い塀をより一層の重たい黒に、細い路を不気味に艶めく赤茶色に染め上げた。
この世の最果て。あらゆるものが眠りにつく瞬間の、絶望的な黄昏。その場を新たに支配した紅い闇に名を付けるなら、そんなところだろうか。
寒気に襲われたわけでもないのに、背筋が下から上へと震えた。
もう何度目になるか、私は衝動のままに再び来た道を振り返った。
あの十字路から時間にして数分も歩いていないはずなのに、空腹と疲れでのろのろとした歩みの私がどれほどの距離を歩いたというのか、万年青の鉢植えどころか電柱も十字路も見当たらなかった。
真っ直ぐの一本道と思いきや、目視ではわからぬほどの緩やかな円弧状の道なのかもしれないと咄嗟に理屈をつけてみたが、この路地に侵入していったいどれだけの時が経過したのか?またこの先何時間も彷徨い続けなければならないのではないか?という不安は拭い去るどころか益々重く圧し掛かるばかりだった。
「そ……そこまで、広くはない界隈だ、歩いてればそのうち……そのうち……」
勿論、誰に聞かせるでもない。実際のところ、聞いてる者など誰一人いなかったろう。わざとらしく大きく独り言を吐いて、震える両膝を制そうとした。
方角を違えていたとしても、浅草寺或いは仲見世通りに繋がるどこかしらには出られるはずだ――根拠などない。そういうある種の無責任な確信だけが、もはや私に残された最後のよすがだった。
黒塗りの板塀は何処までも並行で、終わりなどないのが当然とでも言わんばかりに続いていた。電柱と鉢植えを見かけてからというもの、路上には小石の一つさえも見つけられなかった。そして、浅草というごった煮の如き街の中というのに、店の一軒どころか民家の勝手口さえも現れない。
この事実を認めた瞬間、一定の距離をぴったりと保ってついてきていた恐怖が、とうとう私を捉えた。
頭上に広がる深紅の闇がほんの少しだけ明るくなって、見慣れた黄昏時の空に似た色になる頃、気のせいか道幅も広がったように感じて、行く先に目を凝らした。人の往来か車のランプの行き交っているのか、目指す喧騒の片鱗と信じたい灯りの瞬きが見えるのだが、遥かに続くかと思われる板壁が、音も光も反響するそばから吸い込んでしまうのか、私の足元までは届き切らない。辛うじて届く音もあるにはあるが、耳の奥に水で蓋をしたみたいにくぐもってしまっていてはっきりとは聞こえない。
この路地は、私の知る浅草の街と地続きではあるが、浅草ではない――言葉の重みが何倍にもなって、腰にしがみついてきた感じがした。
妙な静けさが濃厚に満ちていて、狭いのか広いのかもわからなくて、私が、ただの人間風情が、踏み入ってはいけない場所だったのかもしれない。それならばなお一層のこと、安全な街中に、私が本来棲む場所に戻るためと、残った体力と気力を振り絞るように歩みを速めた。
やはり引き返さず、進み続けて正解だったのだろうか?と改めて自らに問うた。
引き返していれば、それこそ、ホレ見たことかと奴の嘲笑う声が聞こえてきそうで。オレの苦手な中華料理なんぞ、これ見よがしに喰おうなどと考えるからだ、ホレホレ、今からでも間に合うぞ?引き返せ引き返せ――そんな奴の声が聞こえてきたら、その瞬間に取って喰われていた可能性は大いにあった。生きている信じるに値する人が大勢いる場所に出ない限り、その可能性は在り続けるだろう。
だが、ここであの灯り目指して走り出したとしたら?
延々と続く、この路地の奇妙奇天烈さはどう説明する?
これが、奴の呪いが仕掛けた巧妙な罠の一部ではないと、断じるだけの胆力は私には無かった。
決して間違ってはいない、という希望とともに。
今が肝心と、細心の注意を怠ることなく。
私は街の灯りと思しき瞬きに、一歩また一歩と近づいていった。
何歩?何メートル?体感時間は如何ばかりか?
荒くて浅い呼吸、地面を擦る踵の音、もはや鳴くこともしなくなった空っぽの腹を抱え、私には既に時と距離の概念など無用の長物だった。
ようやく、その輪郭を捉えた灯りは、風に揺れるでなく、暖簾や人影に遮られるでもなく、ましてや酔っ払いを引き寄せるために電気的に仕組んで、瞬いているものでは無かった。
壁に沿ってぶら下げられた『そば』とかかれた小さな白い提灯。光源には、まさかこの時世に和ろうそくを使っているとでもいうのか、骨組みに貼られた和紙の内側で確かな温度を感じる柔らかな光の明暗がチラチラと揺れていた。
私は思わずギクリと、足を止めた。
嗚呼、どうして……なぜ、今なのだ?と心が砕けた。
恐る恐る近づいた先には、粗末だが清潔感のある紺地の暖簾。柔らかな筆致で、右下にぽっちりと『亥かヰ』と染め抜いてあった。
暖簾の背後ではすりガラスの引き戸がぴっちり閉まっており、店内の様子は伺い知れないが、人の気配らしきものは感じられなかった。
今日の営業はもうおしまい、ということなのだろうと察したが、それもまた私の絶望に拍車をかけた。
探しても探しても見つけること叶わなかった、まさに理想の佇まいの日本蕎麦屋が、こうして目の前に唐突に現れたこと自体、私の足掻きが徒労に終わったことへの答えだと思ったからだ。
奴と、奴の仕掛けた呪い、それに応えた街全体の勝ち――いや、私は最初から死者の掌の上で良いように弄ばれていたのであり、勝敗など決する必要はなく、己の頑迷さ故に無駄に歩き回っただけなのだと悟った。
【第六回へ続く】
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