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曖昧な不安定なありきたりな嘘みたいな

なんかあったような何かの歌詞に
まあいいか ググる余力もねえ朝

仕方のないことばかりで嫌になる 日々がそういうふうにできていたとしてもそれはそう仕方ないで片付けられることほどやるせない事象はない

わたしの中でクリエイターはその人間性やパーソナリティと作品を切り離して考えるべきだなという素地がいつしかあって 混同した瞬間それは客観視できていないのだから作品として受け取ることができていないのと同じだと常におもう
だから あなたが何者でなにをしてきたとかどんなふうに生きていた(いる)とかは関係なく作品は愛されるべきでそれと同時に加害されたのでなければ作品を否定する権利はないし仮に加害されたとしてもそれは人間同士という土俵のうえでのできごとにしかすぎずそこに作品を介するのは野暮だなとずっと思っているしいまも思う
どんなにやなやつが創ってたとして 良いものを良い 美しいものを美しいと判断する能力だけは失いたくない

そう 例えばジャン・コクトーが阿片中毒であったこととその最中に書かれた小説『恐るべき子供たち』の素晴らしさだとか
或いはアルチュール・ランボーのどうしようもない放蕩人生のなかでいちどは捨てたはずの詩をふたたび手がけたのちに完成させた『イリュミナシオン』と『地獄の季節』の毒々しくも美しいことや
太宰治がパピナール依存症かつ何度も自殺未遂と心中の失敗を繰り返しながらも最終的に愛人から無理心中をせまられるという因果応報の玉川上水であったとてその作品が朽ちることはないことを

バックボーンがその作品を艶やかにすることもありそれもまたひとつ美しさの捉え方として人間性とは別に作品はまた別の煌めきを持つことを

基本的に自堕落なひとは魅力でしかないのでオンオフが割と0or100でオフがだめだめでもダメである方が全然人間らしくていとおしいしなんならダメであってほしいまである そうじゃないと愛せないし信用できなくないか  否、不完全さがうみだすが故の美を選ぶのは性壁でしかない 或いは
だって愛が凶器になりかねないなんてそんなことほんとうはあるはずがないのにあるんだよ極論重い愛は暴力だし爆発物じゃんそんなのってないよな
不当だ!と騒がれればお仕舞いなのだから

狂気の愛と愛の凶器は似てるようで違うでしょう?
a.YES(曖昧な笑みを添えて)

わたしはクソみたいに重い鈍器のような愛で殴られないと何も感じないのだから愛の凶器がほしいけどそれはわたしがそうであるだけで万人がそうでないということなど大前提だし拒否されればしないし求められるのならば尽きるまであげるというだけのクソ単純な話をしています
拒否されても続けることが狂気で暴力でわかりやすくいえばストーカーのようなことなのであるから 故に伝えない愛を選択することもまた然り

世の中がもしギブアンドテイクならばわたしは一生giveだけしていたい(giverと呼ぶらしい) takeなら…そうだねtake careじゃん?取扱注意のこんなわたしなのだからtake care of me で頼みたい所存
こんな気難しいことってある?
気難しい女は好かれにくいらしいけど世間基準とかモテ基準でもはや生きてないこととかそういうのわかんない方がバ〜カと思って毎日こうして全人類わたしのことが嫌いの前提ではいはいみんなかわちいねみたいな言葉で自衛しなきゃ生きてられないのもはや何かの病気まであるがしかしそれは被害妄想でもなんでもなく社会の仕組みがそうさせているのでは?匿名の悪意をいくつ受けてきたと思ってんださすがに自衛させてくれそろそろというお気持ちにすぎない
でも好きだよを伝えてくれるひとがひとりでもいるならありがたいしそれはとても嬉しくてとても大切
その大切だけ守ってればいいだけなのに なのに
それでいいやと思えないから でも人生はだから ヤりきれないことしか残らない

ギブアンドテイクの話に戻るけど見返りなんて求めた時点でオワってるだろ
自分が何かをするのなら「してあげた」とかそういのダサいからやめな〜
無償の愛なんてないとかよくいうけどわたしはある派だから与えっぱなしでその与えたことすらわたしは忘れることにしているしそれでいいと思う
もっと怒っていいよって言ってくれるひとがいて既にそのひとがわたしのために怒ってくれてる時点で全回収以上の価値があるのだし わたしは怒ることも求めることも必要ないのだから
その代わりわたしはこの先もらった気持ちをもらったそばからぼろぼろと失くし落とすことをやめることが必要
注いでもらった気持ちを受け止める器の底にはいつもなぜか穴があいていてもらったそばからこぼれ落ちていく 形がないからみえないだけでそこにはなにもないことに気付いたときには遅いこともある 世界はもっとあたしを愛してくれていることを知ってしまったから もう失くすわけにはいかない

愛注ぐグラス割れた理由 それは

どうしたってわたしが生きていくうえでの最上位は愛でそれしか最早わたしに残された対人手段がなくてついにはあたし自身が愛そのものになったから 欠乏症で過多状態じゃないとダメだったくせにわたしがそれになったからもう全部大丈夫かもしれない
それと同時に愛とは何かと問われると「わたしです」と答えるのも癪なので言うならば「築きあげてきたなにかの総称或いは孤独のなかの煌めきの集合体そして暴力」とわたしはこたえるだろう

いつだってそんなの概念で観念的で嘘みたいな絵空事でしかないと思っても何度もそれをわたしが刻んだわたしの人生をなかったことにさせないために
愛という言葉のみに集約させないために そのためだけにわたしは一生御託を並べ続けるでしょう 或いは

愛を受け止める覚悟もないのならむいてないよ それ

てかなんの話してたっけ?いつも本題が前置きで前置きが本題かわからない構成をしていたらいつのまにか自分でも混乱してきた

夏が逝くね もう夜明けが近いよ


𝓘,𝓶 𝓫𝓵𝓸𝓸𝓭𝔂 𝓰𝓲𝓻𝓵𝓲𝓷𝓰 𝓢𝓸 𝓫𝓵𝓸𝓸𝓭𝔂 𝓱𝓪𝓹𝓹𝔂 𝓓𝓮𝓪𝓽𝓱

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