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おまえなんかに

わかってたまるか

わかんなくていい
絶対に言わない言ってなんかやらない

可愛くないと死んでしまう、美しくなければ生きてる意味ないと言ってみどりのアメーバになってしまったハウルのようにわたしは可愛くないと死んでしまう。
世の中ぬるい、なまぬるいかわいいがだからわたしは好きではなくて、ただそれはひとの数だけある価値観なのだから何を誰を否定するわけではないということは理解してほしい。

可愛く在りたい(居たい)と云うことに言い訳や前置きが発生するのが長年ずっと不思議で年齢だとか主婦だけどとかママだけどとかババアでもとか、〇〇でも可愛く居たい、〇〇だけど可愛いを諦めたくない好きな服着てたい、とかわざわざ言わなきゃいけないのって世界でいちばん不健全だ。

自分のことを「BBA」と呼んで下げることも本来まったく必要のないことなのに20代の子が使っていたりするからほんとうに驚く。

自分で自分の価値下げて「BBA」という記号に当てはめたところでなんになるというのだろう。
悪しき風習だなと思う。
これは自己肯定感とかそういった複雑なものではなく単純に個人の認知の歪みと歪ませることでどこか安心を得るというやっぱりどうしても構造として良くないなという感覚がずっとずっとある。

自分に呪いをかけないで

シンプルなことなのに
それはだけど世の中が〇〇歳のくせにとか母親のくせにとか型にはめて他人をディスる風潮があるから自衛するしかないという側面もあってそうやって他人から貶められる前に自分で貶めておこうみたいなことをやらなきゃいけない負のループで身動きが取りづらくなってしまうってどうしてもやっぱり不健康なシステムだ。

覚悟のない奴はひとを嗤うことなどしてはいけないと思うよ 舐めないでいただきたい

そして自分に呪いをかけないで

もっと誰もが信念貫いて自分の好きを好きのまま生きられたらいいのにね。

わたしだって醜形恐怖とともに生きているけどブレない芯があるからなんとかここまでやってこれたしこういう言葉を綴ることがなんとかできているし誰かに伝えたいと思えるまでになった。

可愛く生きることはとてもとても尊く美しく汚くてグロいことなのだからあなたが何者であるかはまったく関係ないと思うしそれは男とか女とかそういうことも含めて関係ないよ、マジで。だってそれは「こころ」だもの。

あなたのまごころのかわいいを汚す権利は誰にもないし
わたしの
「年齢は記号であるとともに内面は伴っていなければならない、しかし外見のそれは記号とは関係なく尊重されるべきである」
というのもまた然りなのだ。

美醜にとらわれて他人の評価に怯えるより自分の信じるものがいちばんだってわたしはいつだって言えるしそれがわたしのすべてだから

恥じる愛などなく恥じる美学もない

ところで
わたしの好きという言葉はいつだって嘘偽りなく脳が感知するよりはやく口から出るか文字を打ち終えてしまっているからそのスピードで世界をめちゃくちゃに困らせてみたいね


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