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たいへんクダラナイ私の幸せ。

私の幸せは、夫とクダラナイことをして遊ぶこと。
もうこれが、好きで好きで、おもしろくてたまらない。

それはもうあまりにもクダラナイから、
日々にとけこみ過ぎてずっと気がつかなかった。

あんたのおならがくさいんじゃ!吸う方が悪いんじゃ!と罵り合ったり、
(断っておくがわたしは殿方の前でおならをするなど無作法な乙女ではない)
おしりを振り合ってお互いにすっ飛ばしてみたり、
即興かえうたソングを作って披露してみたり、
夫の大切な宝さまをこっそり触ろうとそっと追いかけまわしたり。

おい十分に無作法ではないかと言われるかもしれないが、それでもいい。
このクダラナイ瞬間がとんでもなく楽しい。
心の底から、楽しいが、幸せが湧きだしてくる。


「あ~なんか楽しいことないかな。つまんないな~」
これが私の思い癖だった。

日常に飽き、まあこんなもんかとなんだか諦めたような気持ちで、感謝もなくただ流れるように日々を消費していくような、そんな日々。

でもこの前、夫とクダラナイ遊びをしているとき息が出来ないくらい笑った。
自分でも不思議なくらい、あったかい幸せな気持ちが満ちてきて、
「わたし、こういうときが一番幸せなんだ」
とふと思った。

当たり前のようなことなのに、ずっとずっと気がつかなかった。
欲しいものが手に入った、仕事がうまくいっている、大好きなゲームをしているとき、どんな瞬間にもイマイチ満たされていない心が、
日常のほんのひとコマでこんなにもあったかく満ち足りるものなのか。

自分用の幸せ探知機が増えたようで、安心したようなほっとしたような、何とも言えない充足感が広がった。

よく人格者が言っている、
「幸せは、日常にあるよ。いま自分が持っているんだよ。」
という言葉の意味が、この年になってようやく腹に落ちてきた。

今までこの幸せに目が向かなかったのは、
ずっとまだ起こっていない未来ばかり見ていたからだと思う。

こんな生き地獄のようなクソみたいな世の中だけど、いったん今の地に足をつけて、自分の範囲だけに目を凝らしてみたら、
あっとおどろく幸せが、なんとも無造作に転がっていた。

あまりにも無造作だから、ちゃんと集中しないと見逃してしまう。
幸せってそういうものなんだなあと、なんだかひとつ賢くなった気分。


このじんわり広がる充足感を忘れたくないから、
文章にしてここに残す。

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