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ラジオ英語講座と共に歩まなかった私の英語人生

先日、2021年後期の朝ドラのタイトルが『カムカムエヴリバディ』であると発表された。

内容は、NHKのラジオ英語講座と共に歩んだ親子三世代の物語だというので、私は率直に興味を持った。ラジオ英語講座には馴染みがないものの、その名前を聞けば「ああ、あのことね」とすぐに媒体が浮かぶほど有名なツールである。

ここで、ラジオ英語講座と共に歩んでいなかった私の英語人生を振り返ってみたい。思えば英語に触れる機会は存分にあったものの、大してモノにしなかったことを後悔している。

小学生時代

英語との出会いは、小学2年生の頃である。当時家の近所にあった公文式に通っていて、国語と算数と共に英語を習い始めた。最初は基本的な英単語のリスニングがメインで、虜になるまでではないものの英語は嫌いではなく、つかず離れずの関係が続いた。

小学生時代の英語エピソードで印象深いのは、2005年に開催された「スペシャルオリンピックス冬季世界大会」の一環として、クラスで『はらぺこあおむし』の英語劇を発表したことである。しかし私は発表日にインフルエンザにかかって欠席したため、練習のみ参加したこととなる。このときは、英語を話すことは楽しいと思った記憶があった。


中学生時代

英語が必修化する中学生時代、英語の成績は極端に悪いわけではなく、どちらかといえば良い方だった。授業をきちんと受けていれば、テストでもそれなりの点数を取れていた。しかしこの経験が、私を「英語が出来る方だ」と調子に乗らせてしまい、英語に力を入れている高校に進学を決めさせてしまうのだ。


高校生時代

前述のとおり、英語に力を入れている高校に進学をした私は、ここで周りの同級生との英語力の差に苦しむこととなる。

まずレベルが桁違いだった。同級生の多くは、元々英語が出来る子ばかりでちょっと英語が出来る程度の自分は足元にも及ばない状態だった。先生の言っている単語の意味も分からないまま、とにかくついていくのに必死だった。英語に対する苦手意識が強くなり、嫌悪感さえ生まれた。

また私は高校生になるまで英検を受けたことがなかったが、周囲には1年の時点で準2級、2級を取得している子がちらほらいた。学校で年1回英検を必須受験しなければならなかったが、私は何の経験値もないまま準2級を受けさせられて撃沈したのだ。(その後、2年で再度準2級を受験して無事に合格している)

1年時に「英語の洗礼」を受けた私は、同級生に喰らいつく精神だけで、なんとか2,3年生を乗り越えられたようなものだ。ちょうど英語の教科担任も変わり課題は増えたものの、1年の頃よりは英語に対する恐怖感はなくなっていた。

大学生時代

大学時代の英語との付き合いは、特に英語を必要とする学科ではなかったので必須科目ぐらいだった。

2年の頃、何を思ったのか突発的に学内で開かれている英会話教室に通い出した。外国人の先生と英語オンリーの会話をすることは、最初の頃かなり苦痛でサボりがちだったことを覚えている。自分が不勉強だったこともあるが、もう少し主体的に学ぼうとしていれば、もっと鍛えられていたように思える。勉強面では反省点があるものの、友人を作れたことを考えると失敗ではない体験だった。


社会人になって

社会人になってから、英語に触れる機会はかなり減ってしまった。学生時代必死に学んできた分野であるのに、もったいないような気にもなる。

最近「また英語を勉強してみようかな」と思うことが増えた。少しでも英語を話せるだけで、職業と出会える人の幅が広がるように感じる。私の語学力は本当に基礎レベルであるが、自分の努力次第で伸ばすことはできるだろう。

今までは縁がなかったが、ラジオ英語講座と共に歩む人生も遠くないのかもしれない。

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