ミハシ

信州蕎麦に魅せられた長野暮らし歴が一番長い人。街歩きと音楽は人生の一部。バンドを追いか…

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信州蕎麦に魅せられた長野暮らし歴が一番長い人。街歩きと音楽は人生の一部。バンドを追いかけて日本中旅した歴あり。長野ネタとエッセイを中心にご紹介していこうと思います。

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  • 長野の日常風景

    長野県で撮影した日常写真です。観光雑誌には載らないような日々の風景もご紹介させていただきます。

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noteを遠ざけていた私がノートを始めた理由

私はどちらかと言うと、noteを遠ざけていたと思う。 触れてみたかったけれど、手を出しにくいものだったので、これまで興味はあったものの登録したことはなかった。 noteを遠ざけていた理由は、 ・途中で飽きてしまいそう ・伝えられるノウハウがない の2つだ。 私は過去に何回かブログを書いたことがあるが、どれも半年続いたか否かでろくに継続できたことがない。 最初はノリノリで書き始めていたものの、途中でブログの存在すら忘れてしまうほど飽きやすいのだ。 そんな私がnoteを続

    • 信州の蔵の町 須坂市

      長野県須坂市は、町の至る所に蔵造りの家が残されている「信州の蔵の町」である。今回は、須坂駅周辺を中心に蔵の町並みを歩いてみた。 長野電鉄須坂駅。 かつては屋代線も通っていたが、2012年に廃止されて現代では長野線のみが通っている。 ちなみに電車で須坂に訪れたのは今回が初めてだった。 須坂駅のホーム。 構内では「須坂市民歌」が流れていた。おそらく須坂市民にとっては馴染み深い歌なのだろう。都会では見られない光景だ。 須坂駅前の末広町通り。 連休中にも関わらず、人通りが非常に

      • 【栗菓子】桜井甘精堂の「とろとろ栗ぷりん」は絶品!

        秋といえば栗菓子の季節🌰 長野の秋といえば…栗!! 栗菓子を求めて街へ繰り出した結果、美味しそうなプリンに出会いました。 今回購入したのは、桜井甘精堂の「とろとろ栗ぷりん」です。 上には、栗のソースが付いています。 栗ソースをプリンにかけて食べるのですが、濃厚な栗の味が美味しさを引き出します。 プリンも栗味なので、ソースをかけなくても美味しいですが、ソース有りの方が2倍美味しさを堪能できます。 ちなみにこちらのプリンは、桜井甘精堂のMIDORI長野店に併設されている

        • 【蕎麦レポ】長野市 山喜屋

          今回ご紹介させていただくのは、長野市七瀬中町にある山喜屋さん。昔ながらの戸隠蕎麦のお店です。 小さい頃、祖母に連れられて何回か訪れた以来十数年ぶりに足を運んでみました。 山喜屋さんは、おでんが美味しいんですよね。蕎麦屋のおでんは珍しいような気もしますが、じっくりと煮込まれていて蕎麦に合います。 ざるそばをいただきました♪ 戸隠蕎麦らしく、あっさりした味がクセになります。普通盛りでも多めなので、蕎麦を食べた感を味わえます。 店内は、カウンターとテーブル、座敷席と分かれて

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        • 長野の日常風景
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          長野電鉄の光景

          長野電鉄の光景

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          長野県民が考える「長野県」

          コロナの影響で、首都圏から地方都市に移住を考える人が多いと聞く。私は東京で働いていたこともあるが、毎日満員電車に揺られていたらストレスも溜まるし、在宅勤務が可能だと分かればわざわざ首都圏にいる必要もないと考える気持ちはわかる。 なかでも長野県は、首都圏からの移住先として大人気の地域だ。「移住をしたい都道府県ランキング」では常に上位にランクインしているため、首都圏の人からは魅力的に映ることは間違いない。県民から見れば日常である場所が、他県民からはキラキラと光り輝いて見えるのだ

          長野県民が考える「長野県」

          ラジオ英語講座と共に歩まなかった私の英語人生

          先日、2021年後期の朝ドラのタイトルが『カムカムエヴリバディ』であると発表された。 内容は、NHKのラジオ英語講座と共に歩んだ親子三世代の物語だというので、私は率直に興味を持った。ラジオ英語講座には馴染みがないものの、その名前を聞けば「ああ、あのことね」とすぐに媒体が浮かぶほど有名なツールである。 ここで、ラジオ英語講座と共に歩んでいなかった私の英語人生を振り返ってみたい。思えば英語に触れる機会は存分にあったものの、大してモノにしなかったことを後悔している。 小学生時

          ラジオ英語講座と共に歩まなかった私の英語人生

          小学校でクラス替えを4回経験した話

          地元出身者と話していると、クラス替えをほとんどしたことがない子が珍しくない。この地域の普通はそれだとしたら、私の小学校時代は決して普通ではなく、クラス替えに翻弄され続けた6年間だった。 6年間で4回のクラス替え私は、小学2年生のときに母校に転校をしてきたいわゆる「転校生」だ。通常は1年生から持ち上がりのクラスであるが、私の学年だけは人数が増えた関係で異例のクラス替えがあったと聞いた。 そのため6年間母校に在籍した人たちは、合計5回クラス替えを経験していたこととなる。もはや

          小学校でクラス替えを4回経験した話

          なぜ食べ物の話題は炎上しやすいのか

          最近のツイッター界隈は「唐揚げは手抜き」、「旅館の料理は量が多い」、「女性への差し入れはGODIVAチョコレートより基礎化粧品」など、食べ物関連の話題で盛り上がっている。 食べ物の話題は日常的にも炎上しやすい。それは、個人の育ってきた環境によって備わった価値観の差が表れていると思う。特定の食べ物を下げられると「いや自分はそうじゃない!」と声を荒げる人が多いように感じる。 確かに自分の作った料理や、おすすめするお店を否定されるのは嫌なものだ。虫の居所が悪ければキレられてしま

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          中学時代に初めて創作をした話

          昔から創作をするのが好きだった私だが、初めて本格的に作品を作ったのは中学生の頃だった。俗に言う「処女作」と言えるかは別だが、何も気にせずに書くことはただただ楽しかったことを覚えている。 演劇部で「脚本」に出会う幼い頃から文章を書くことが好きで、小学生の頃は遊びで友達と短編小説を書いていたこともあった。そんな私が中学に入って演劇部に入り、脚本を書きたいと思うのに時間はかからなかった。 何かの役を演じたいと思って演劇部に入る人が多いだろう。当時役者に憧れていた私もその一人だっ

          中学時代に初めて創作をした話

          初めて上下関係を意識した話

          小学生の頃、上級生への言葉遣いはタメ口だった。それがいつからか、自然に「上下関係」を学んでいく。誰から教えられるわけでもなく、自然と上下関係を読んでいくのだろう。 中学生になったら「先輩」には敬語小学6年生になると、来年から中学生になることを意識するようになる。私が通う中学校は、入学予定の小学生を対象とした学校見学会があり、授業と部活を見学する日が設けられていた。私も同じ中学に進学する友人と共に、進学する中学校を見に行ったものだ。 後日制服の採寸があったり、通信講座から「

          初めて上下関係を意識した話

          学生時代の忘れられないランチの思い出②

          短期アルバイト先の歳の離れた男性から、ランチに誘われた。初めて父親と同年代の男性との食事は、緊張しっぱなしだった。 都会で見つけたワンコインランチ男性に連れて行かれたのは、アルバイト先の近くにある海鮮居酒屋だった。昼はランチを提供しているお店で、店内はサラリーマンで溢れかえっていた。 「東京にもこんな場所があるんだ。」とその時の私は素直にそう思った。東京の端の大学に通い、地元とさほど変わらないような住宅街で一人暮らしをしていた私は、都心でランチをした経験が少なかった。

          学生時代の忘れられないランチの思い出②

          学生時代の忘れられないランチの思い出①

          小中高は、学校でクラスメイトと食事をする機会が多いが、大学生になると食事をする相手の年齢の幅が広がったように思う。初めて年上の人と食事をした時は、大分緊張して食事のマナーに気を遣いすぎた思い出がある。 そんな私だが、学生時代のアルバイトで印象に残るランチをしたことがある。さまざまな世代の人と関わる社会人であれば特に違和感がないかもしれないが、学生の私にとっては緊張してしまったあの瞬間の話。 百貨店でのお中元アルバイト大学4年の夏、就職活動が終わった私は某百貨店のお中元短期

          学生時代の忘れられないランチの思い出①

          コロナ禍での進路選択をどうするか

          最近ふと「今高校3年だったらどんな進路選択をするのか」と考えた。 自分で言うのも何だが、母校は進学校で学年の半数以上が大学に進学するような学校だった。 特に私が所属していたクラスは、ほぼ全員が大学進学を希望しており、私もその中の1人だった。 幸い、私が学生だった10年前は通常通り学校に通えていたため、実際には地方から首都圏の大学に進学をして無事に卒業することができた。 しかし、今のご時世は志望校を変更せざるを得ない学生が多いのだろうと考える。 たとえば、地方在住で首

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