「つまらなさ」について思考してみる(「・ω・)「 〜後編〜
つまらなさについて延々と語るというニッチな記事にお付き合いいただきありがとうございます( ˙꒳˙ )前回に引き続き後編です。
前編はこちら↓
教科書をつまらないと感じた理由についてもう一つ氣付いたのが、主観と客観の問題です。
教科書って客観線しかないんですよね。
主観線がどこにもない。
現代文の教科書に出てくる小説など一部のものは別ですが、基本的に客観線でしか書かれていない。だからつまらないんですよね。
歴史を例に挙げると、歴史の教科書には起こった出来事が客観的な事実として時系列的に羅列してあるだけで、そこには客観線しかない。
でも例えば教科書に出てくる歴史上の人物の一生をドラマや小説にすると途端に面白くなる。
そこには主観の世界があるから。
客観線だけの教科書を面白く読める人というのはそれに付随する様々な自分自身の主観線による知識を持っている事が前提になるのではないでしょうか。
大河ドラマなんかは歴史的な背景や関係性などの客観的な世界にバランスよく主観線が混ぜ込まれているから面白いのだと思うのですよね。
時事ニュースなどは客観線ですが、街角インタビューなどは主観線です。
その人の主観。
客観線のニュースだけを淡々と流していても面白味に欠けてチャンネルを変えられてしまうので、制作側は視聴者を飽きさせないように時折インタビューやゲストなどを使って主観的なものを織り交ぜます。
noteでも主観をメインに書く場合と客観をメインに書く場合、或いは「今回は客観的に伝える事に重きを置きたいから8割くらいを客観的な目線で書いて2割くらい主観を入れよう」といったようにミックスして書いたりと、なんとなくバランスを考えていたりしますよね。
人は主観の中で生きていますが常に客観というものを意識しています。
人からどう見られているかを意識するのは客観線を持っているからで、私たちは生まれてから自我と共にこの客観的な視線を徐々に獲得していきます。
客観線は自己を分析したり物事を俯瞰して冷静に対処したりと社会を回すためにも大事なもので、しっかりとした自我を確立させるためには客観線というのは欠かせません。
客観線を通してみる世界とは他者を通して見る世界のことで、数値化出来る世界でもあります。
一方で主観線というのは自己のこころや記憶の世界でもあり時間のない世界です。
私たちは普段、案外この二つをこれをごちゃまぜにしており、客観線でみた自分をあたかも主観でみたかのように錯覚してしまいます。
現代は社会全体が客観線の世界であり、数値化出来るものが求められます。
テストで何点とったか、営業目標の数値を達成しなければならない、金額が足りなくて欲しいものが買えない、あと数分で会議が始まってしまう、分析した数値から評価する etc….
これらは全て尺度の世界です。
芸術や創作や哲学といった主観の世界を表現する教科が今ではやる価値のないものとして隅に追いやられているのも、現代というのが客観線に軸を置いた世界だからです。
でも本来、自分というのは主観線です。
私たちの生命が息づいているのは客観ではなく主観側の奥行の世界だからです。
こどもの絵を見れば分かりますが
子供の絵って大きさの感覚が大人からみるとおかしかったりしますよね。
大人はどうしても大きいものは大きく小さいものは小さく尺度の世界で描こうとしてしまう。
こどもは尺度を持たない存在なんですよね。
だから尺度に囚われないとても自由な絵を描く。
そのような絵に対して大人は「子供というのは大人のように技術を持っていないから上手く表現することが出来ないだけなのだ」と考えたりする事があります。
確かにそういった面もあるのだろうと思いますが、そこにはもっと決定的な違いがあるように思います。
子供はこころで世界をみているのですよね。
主観側から世界をみている。
だから大きさというものが意味を持たない。
それは自分の位置をどこに置いているかという違いでもあります。
目の前で飛び跳ねるバッタを見て
「何故バッタがこのように動くのだろうか」
という生命に対する純粋な興味から、
バッタをバラバラに分解して
その成分まで細かく分析して突き止めたとしても生命というものが何であるかはまるで分からないように、
客観線の世界をいくら突き詰めても生命の本質というものは見出せません。
客観線に自分の位置を置いてしまうと自分ごとではない世界を生きる事になってしまうため、それはまさしくつまらない世界です。
本当の意味で自分ごととして世界と関わるには客観線の世界に埋もれた主観線を取り戻す必要があります。
主観と客観を区別し、自分の位置というものを意識することは軸を持つということにも繋がります。
自分の軸をしっかりと持ち、本来の自分の位置から全てを自分事として捉えて世界をみる。
それが意識進化に繋がる大切な事でもあり、つまらなさとは無縁の生き方に繋がる秘訣なのかも知れない。
と、つまらないから始まった思考は、詰まるところそんな結論に至りました(ฅ'ω'ฅ)
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