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女性のための聖書を読む会

  昨年の暮れから、超教派の女性達で聖書を読む会を自宅で始めた。1回目では自己紹介。新訳と旧約で迷ったが、2回目の今月、女性に関する記事の多い新訳からということでルカ伝を読み始めた。

 男性で聖書に詳しい人はいれず、導き手なしでどうしていいかわからなくなって途中から録音してあとで聞いたら、私がしゃべりすぎていた。めちゃくちゃな司会進行にみんな文句を言わずにつきあってくれた。

 そう、付き合ってくれたというのが正しい……。

 やりたかったのは地に足を着けた女性達の読み方、感じ方で聖書から生命を汲むこと。なんか、こうカッコいい言い方だけどやっていることは実際泥臭い。あっちにぶつかりこっちに迷い、収拾がつかなくなって終わった。疑問だらけな中にもこんな話をしてくれた人がいた。

「昔は聖書でマリア様が処女懐胎したなんて絵空事って思っていたけど、今は人工授精も可能になった時代、人間ができることを神様ができないなんてあるわけないから、逆に本当のことだったんだなって信じたよ」

 今は別のことをしているが、夫は生物学を極めようと、始めは染色体の研究を長くやって来た人だけど、同じようなことを授業で話したことがあるという。科学と宗教、いや聖書は遠くて近いものなんだろうなと私も感じた。

 これで良かったのか本当に迷うけどでも、とりあえず仲間が出来た。今までキリスト教であることを公にせず生きてきた。新興宗教と一色単にされてしまうのがいやだった。でもね、悩んだときお互いにキリストの神様に祈ろうよと言い合えるのがうれしい。

 みんなで読んだときにでてきた質問を詳しい人に聞いたり調べたりしていると聖書ってほんとに面白いとしみじみ思う。そして、その集まりで、まったく聖書を読んだことのなかった別の友がいった一言が忘れられない。

「そっかー聖書って何かを伝えようとしてるんだね」

 そうなのだ。まさにそれが私のエネルギーの元なのだ。

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