「私たち」というときに 2

 私はといえば、父は80才で東北の大震災の前に亡くなったが、最後まで足はどうなのかと娘の健康の心配をしてくれた。そして現在、84才になる母も「料理ができる間は」といって義母のようにサ高住にはいかず、賃貸マンションでひとり暮らしをしている。

 それぞれ事情は違うが、私、A、Bに共通していることは何か。女であること?仕事をしていること?結婚して配偶者がいること?もちろんそういう共通点は女子大の同級生だからあるとは思う。

 一番大きい共通点、いや感謝といったほうがいいかもしれない。ぶっちゃけそれは親が、経済的に自立して暮らしていけるだけの「年金」をもらう、あるいは足りない生活費を補う貯金があるということだ。

 特に3人とも父親は高度成長期の戦士で、昼も夜も働き、家族を養うとともに日本の経済を支えて働いた年代でもある。亡くなってもなお妻に年金を残し支えることもできる……。いわゆる昭和一桁、団塊の世代の少し上の年代の親たちだ。

 文章を書く者として「私たちは」とひとくくりにするときいつも思う。何をして一つになれるのかと……。今回の場合は、誰ひとりとして同じ状況ではないけど、親の老後を助けなくてすんでいるという点においてある程度「私たち」といえるのかもしれない。

 若者の貧困が叫ばれている日本の社会で、親の姿を見てきた自分達の年代が、またさらに死ぬまで現役で働いて、子ども世代の若い人にその背中見せればいいのか?と自問自答してみるが答えはでない。それでもせめて彼らを見捨てることなく寄り添うことができれば、この世界に漂っている定まることのない閉塞感が少しは薄れるのではないかと思う。

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