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ドッキリについて

 人生で最初で最後、ドッキリにかけられたことがあった。中学3年生の頃、中2の時と同じクラスメイトで構成されたにもかかわらず、初めて会ったみたいに気が合って仲良くなった友人がいた。彼は野球部で頭がよく、僕は帰宅部で頭のできは普通だった。クラスメイトという以外に接点のない僕らは何かがきっかけでお笑いが好きだと知って、仲良くなった。ボケてはツッコミを繰り返し、流行ってるものから外れようとした。GReeeeNではなく、ボン・ジョビを聞き、歌詞を解読した。『女々しくて』ではなく、『スリラー』で踊り、みんなで『we are the world』に出てくるブルーススプリングティーンの真似をした。

 毎日、教室でウケようとしていた。
 当時好きな女の子がいた。彼女と目を見て話すことができなかったが、彼女と野球部の彼が近くの席に決まった時は、ボケて突っ込まれまくっていた。その度に、彼女が笑っていたら嬉しいと思った。でも、笑っていたかどうかちゃんと確認したことはない。視力が悪かったし、それゆえに人と目を合わせて話すことができず、人の顔をまともに見られなかったらだ。

 彼も好きだった女の子も頭が良かった。僕は意地を張って彼らと同じ高校に入りたかったが、模試では到底敵わず、結局本番も友人が話していた問題の話すら理解できないほどに僕は馬鹿だった。塾に通わせてくれて、爪先立ちをして中指の爪がようやく届くか届かないかくらいの志望校を受けさせてくれた親には感謝しかない。
 精一杯やってきたつもりだったが、そもそも座って勉強し、試験をやるということが苦手で、お腹が痛くなってしまうたちだった。結局、ほとんど友人のいない私立高校に進学することになり、そこで基本的に孤独な3年間を過ごすことになる。

 それでも受験は落ち着いて、あとは楽しむだけの日々だった。
 最後の席替えがあった。席替えというのはいつだってワクワクした。新たな笑いが生まれるかもしれない。まだ人気者になれるかもしれない。僕はまた、彼と近くの席で、好きな子とも近くになれたら良いと思っていた。最高の相棒と観客。
 しかし、くじ引きはそんなに都合良くいくわけがなく、僕は廊下側、彼は校庭側で、しかも女子が多いクラスだったから、周りが女子だけという孤立した配置が作られ、まさにそこへ彼は行ってしまったのである。最初、彼は「なんだよ〜」と悔しがっており、僕もそれをいじった。結局そっちの方が楽しいクセに、と思っていたのだ。でも違ったみたいだった。本当に嫌みたいだった。知らずに何度もいじってると機嫌が悪くなって、一度も聞いたことない剣幕で、「うるせええ」と言ってどこかへ消えた。

 これはまずいことをした、と血の気が引いた。でも僕は謝り方を知らなかった。ただ、もう取り返しがつかないな、と思った。一緒にいじっていた友人に、やばい、あいつ本当に嫌だったんだ、と二人で反省した。
 翌日になってもまだ険悪だった。僕が意識的に彼を避けた。どう接したらいいかわからなかった。彼が四六時中怒ってるんじゃないかと思ったが、視力が悪くて反対側の彼の顔を覗くことはできなかった。すると、一緒にいじっていた彼や、他のクラスメイトは、何故かニヤニヤしながら「やばいあいつお前のことめちゃめちゃ怒ってるよ、早く謝ったほうがいいって」とアドバイスしてくれた。しかし、やっぱり僕は謝り方を知らなかったので(今でも人間関係が悪くなると謝れずに逃げてしまう癖がある。)、どうすることもできずに、このまま卒業していくのだろう、と思うと悲しくなった。
 翌日は、さらにヒートアップしていた。彼は「マジで、なんなんあいつ!」と声を荒げていた。周りのクラスメイトはざわざわして、まずいよ、早く謝りな!とアドバイスしてくれたが、何故か皆一様に笑っていた。今考えるとおかしな話だが、当時はそんなことを考える余裕もなく、ただ恐怖と寂しさに打ちひしがれていた。
 その日の給食の時だった。僕は彼に背を向ける形で食べていたのだが、僕の後ろでみんなが一層盛り上がっていて、クラス全員が僕を注目していた。おい、後ろみろよ後ろ、あいつ怒ってるぞ!と言うので、やだ怖い!と言って突っ伏した。いよいよ苛立った周りが無理やり僕の顔を後ろに向けると、デッカいダンボール紙に、「ドッキリ!〜本当は怒ってません〜」と書かれており、僕が呆然としていると、教室が大爆笑に包まれたのだった。
 結局、彼が怒っていたのはほんの数時間で、次の日からは僕が相当落ち込んでいたから、いじり返していたのだ。一緒にいじっていた友人はケータイメールで謝っており、次の日からグルになって僕を煽っていたのだ。それにしても本当に良かった。それでようやく謝ることができた。

 卒業式の日だったか、前日だったか。僕らは教卓の前で漫才をした。内容は忘れてしまった。受験のことだったと思う。卒業記念のクラス写真にはあのドッキリ!と書かれたダンボール紙が大々的に掲げられた。僕らだけにしか伝わらない写真だった。
 それから随分経った。彼とは何度か会ったが、疎遠になった。彼は比較にならないほど、いい大学を出て、随分大人になったみたいだ。結婚でもしてそうだった。僕は相変わらず人に愛されるような人間ではなく、笑われるように生き、楽しんでは落ち込むような日々を続けている。
 いつか、全ての失敗に、「ドッキリ大成功!!」と書かれた看板が僕の前に現れて、胸を撫で下ろし、謝れる日が来たらいいと思う。
 そんな日が来るわけないか。

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