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”知りたい”とは何か?~ぽんねぇの金平糖物語②

続き・・・


「絵具の海にダイブする」

殺風景な空間の中にひたすら常識を覆す絵が暴れていた。私達は画家杉田の溢れ出る感情の集合体をひたすら掬って拾い集めていた。だが、私達は互いの感情を掬えずにいて、救えなかったのかもしれない。私達はどの矛先に向かってダイブしていたのだろう。この絵画展が彼との“永遠”の矛先を決めることになるとは…

けいたくん(金平糖の彼)と5回目のデートは代官山だった。バチェロレッテ2出演の杉田陽平さんの展示会に行った。『@代官山での初デート』と張り切っておしゃれしてくれた彼の装いに胸が弾んだ。彼は私とデートすることで美術鑑賞に興味が湧いたらしい。私の景色を借りたいと思ってくれている彼の気持ちが愛おしかった。ただいつもこの言葉が脳裏を素通りしていた。 「私のこと知りたいと思っている?」一方で時間の許す限り、”少しでも長く一緒に居たい”この気持ちだけは伝わってきた。

クラシックな音楽が川のように流れる静寂な空間を背景に、命が散りばめられていた。彼は1枚の絵と目があったようだ。その絵は動物達が華麗に暴れ出していた。冷静で落ち着いている彼とは非対称的な絵だった。その魂の滝の目に吸い込まれていくように彼はじっと立ち止まって見つめていた。静的な彼は動的に生きていきたいのか・・祈りを込めたその余白は…まるで嵐の前の静けさを予期させるような余韻を残した。私は初回のデートで彼がじっと私を見つめていた水晶のような瞳を思い出していた。絵を通して彼の心の雄叫びが聞こえた気がした。「…知りたい!!」

私達が育んだ温かさは溶け始めていた。既に生ぬるかったのかもしれない。だって彼が私を見つめる瞳はもう水晶じゃない。まるで跳ねることを忘れたスーパーボールのようだった。確かな丸みは帯びていても、透明感がなかった。私は彼の瞳をいつの日かサングラス越しに見ていたのかもしれない。私は“彼“を知ろうとしていなかった。私が知ろうとしていたのは、”見知らぬミシルさんにお墨付きをされた彼“だった。眼の前の現実から目を逸らす為に…

この日も時間の許す限り一緒に居て、次に会う約束をしてお別れをした。解散してすぐに、彼からラインがきた。「ぽんちゃん、今日も楽しい時間を本当にありがとう。あんなに素適なところに連れてってくれてありがとね。今日観た絵ずっと見ていられる!送って欲しい!!」ラインを通り越して、彼が杉田の絵画に一目惚れをした気持ちが溢れ出たのを感じた。彼は割と受け身なタイプだったので私はその主体性に少し驚いた。その感覚は初回のデート時に、私の手を凄まじい勢いで握った感触と調和していた。

私は彼の気持ちをいたって冷静に掬い上げた。同時にぬるい悲しみが込み上げてきて、曖昧な気持ちが一気に上昇し沸騰した。そして、こう感じた。「知りたい、その先に”好き“があるんだ」

    「知りたい。その先に好きがある」

私がお守り言葉として、共に歩き…保温している言の葉だ。自身が編み出した曖昧な言の葉(ことのは)に、加速しては急ブレーキを奏でた。再び気持ちになぞってはペダルを踏みアクセルを踏んだ。すると一気に言葉の意味が浄化し、輪郭づいてしまった瞬間だった。私は痛みに沿ってこう感じた。 

  「”知りたい“って生理的な欲求なんだ…!」

曖昧だからこそ流れる美しさが伴う現実に、残酷な悪の葉が零れ落ちていた。その残酷な粉雪を掬って拾い集めては、彼の本音を並べている感覚に陥っていた。そして、いわゆる彼の気持ちが少しずつ垣間見え、私に緩く近づいていた。”知りたい“という生理的な欲求が感じられない彼に対して、私はこう思った。

「彼は私のこと好きじゃないかもしれない。そもそもそんなに興味がない」

同時に私はこう思った。「私、彼のこと好きなのかな?」クエスチョンマークが脳内に浮かんでは、泳ぎ始めていた。もしミシルさんからのお墨付きがなかったら、私は彼と時間を重ねようとする主体性が伴っただろうか。私の”知りたい“という気持ちは、ある種受け身で流れてきたものなのかもしれない。

双方「一緒に居たい」という気持ちは確かにある。けど互いに”もっと知りたい“という気持ちが継続してあっただろうか?それが断言できない以上、こう思った。「私達は”執着“しているのかもしれない」

逆に私は自分にこう問うた。「私はもっと知りたいと思わせる女性ですか?」

その問いと共に散歩していたら、夜風と共にミシルラジオの唱えが円やかに流れてきた。「〜飽きさせない女性というのは、ディズニーランドのように常にアップデートしているのです。」

私は自分に飽きているのかもしれない・・仕事は安定し、ファッション、メイク、髪型も一定。平和を通り越して、金平糖のような甘ったるい毎日を迎えている。甘さや平和なんてかっ飛ばして、自分にスパイスをぶっかけて刺激を意識的に与えているのだろうか。”ひとめぼれ”うんぬんのような恋愛の刺激なんて麻薬と一緒なのだ。その”ひとめぼれ”・・一瞬で消えてなくなるのだから・・「人から飽きられる怖さを抱える前に、まずは自分を飽きさせない努力をせなばならないと・・!」私は中だるみしているお腹と心に向かって軽く雄たけびをし、パンチをし活を入れた。

けいた君とは6回目のデートを境に私が連絡を止めた。理由は彼の些細な一言が流せなかったこと。そして、私も彼と向き合うことに疲れてしまった。言葉が流せないのは、信頼関係が構築できていないからだと思っている。ミシルさんは繰り返し私にこう伝えていた。「~もっと彼に”感謝”の気持ちを伝えた方が良いですよ」そして彼のラインの文面を見て、生温かい溜息を練り混ぜりながらミシルさんはこう私に伝えた。「もう彼を頑張らせない方がいいですよ」

私は反応の薄い彼に不満ばかりを覚えていた。してほしいことばかりに気を取られていた。何より”感謝の交換”が圧倒的に不足していた。ラインを見返しても彼は言葉を伝えようとするのではなく、届けてくれていた。私はデート後の彼の感謝の言葉に対して、同じ温度感で返信できていなかったのだ。感謝を横切り、不安と不満の往復を荒く横断していた。そして彼を頑張らせた結果、私も彼と向き合うことに頑張り過ぎて疲れてしまった。


ミシルさんはこう私に伝えた。「”向き合う”というのは、相手が向き合ってくれていることが前提です。ぽんこちゅさんは彼と向き合い過ぎています。大切なのは歩幅を合わせることなのです。」

私はオナニー性を秘めたコミュニケーションを彼としていたのかもしれない。”双方気持ちのいいセックス”という名の対話ができていなかった。私は頑張っているような感覚に陥っていた。その先に、巷の恋愛指南書にある「男は頑張らせた方がいい」がいかに呪いの言葉であるのか骨髄まで浸透し、言葉の意味に輪郭づいた瞬間だった。「頑張ってしまっている」その先には気を遣っている状態をなぞらせ、最終的には”疲れ果てる”という結果が残念ながら導くのかもしれない。

関係性を見直す際には、心の内なる状態に素直に反応した方がいい。それが今の二人の関係性の答えなのだ。いい関係性というのは双方”何もしていない”状態で小さな幸が溢れているのかもしれない。

雪が解け、柔らかな日差しが丁寧に差し掛かる頃、不安で固められた金平糖はゆっくりと時間の流れと共に溶けていった。同時に春の日差しが心に舞い降りた。彼との思い出が満開になって、胸いっぱいに咲いた。私は不思議とこう思った。「一緒に桜を見たかったな・・・」

物件の決め手となった桜の街

「大切なのはGOALではなく、納得なのです」ミシルさんと繰り返した対話の貯金を確認したら、この言葉が対話の通帳に記載されていた。さらに引き下ろすとこう記載されていた。「この彼と仮に終わったとしても、最高の結果になりますよ。むしろちゃんと終わらせた方がぽんこちゅさんにとって絶対にプラスになりますよ」昨今、夏に受けた継続プログラムで決めた”失恋note”を書くという目標を彼のお陰で達成できたのだ。

「知りたい。その先に好きがある。”隙”があってもっと好きになれる」

好きの隙なのかもしれない。それは相手の気持ちを待ち、尊重できる余裕さ。曖昧さが奏でる中で「また会いたいな」と思える微かな余韻。そしてもっと相手を知りたいと思わせる余白。その余白(隙)が埋まらないように私たちは変化を恐れないで、アップデートし続けなければならない。知らない自分にもっと会い続けて、互いに好きの更新ができるように・・・

真冬の冷気は一気に通り過ぎ、初夏の日差しが心を照らす頃、桜の花びらが空に舞った。微かに感じる暑さと共に、不安で埋め尽くされた金平糖が緩やかに溶けた。足下を見渡すと桜の絨毯がアスファルト全面に広がっていた。私は散った桜の花びらをかき集め始めた。その桜の花びら達を掬ったら、結晶化し、涙に変わった。その涙の海に向かって思いっきりダイブした。その矛先は”永遠”だった。彼との思い出が結晶化し、私の言葉は永遠になった。私達のアイがキエた先には言葉が残った。そしてこう思った。

桜が散った時の花言葉は「私を忘れないで」

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