簡単な話

 「八割おじさん」こと西浦博教授。言わずとしれた感染症疫学者で、数理モデルを用いて感染症の対策に当たっている。コロナ当初に「スーパースプレッダー」「三密(回避)」などを見抜き、「人の接触を八割減らせば感染拡大を抑えられる」と提言した人である。
 「東京で8万人感染」とか「42万人死ぬ」といった氏の予測は「大袈裟だ」と批判されることもあるが、これは最初から「何も対策をしなかったら」の話をしていたのであって、幸いにも緊急事態宣言や三密対策等も奏功しそのような事態に至らなかった。そもそも西浦氏は感染症疫学の立場から最悪のケースをモデル化しただけであり、いうなれば「ビビらせるために」かました面もあっただろう。ちなみに「2021年8月には新規感染者3000~5000人を超えうる」「2022年のオミクロン株は2月中旬に頭打ち」などは的中している。

 このような強い言葉での警句だが、政治的に妥当かはさておき、感染抑制に携わる感染症疫学者の立場なら、まあそういう方法論はありうるだろう。実際には、幸いにしてそのような最悪の事態は回避できたし、そのことを西浦氏は(橋下氏が叩いたように、学術的な予測精度の検証問題は残るとしても)喜んでいる。その他、感染増加が抑えられたり、減少している兆しがあれば、西浦氏は「明るいニュース」として捉えている。人として当たり前である。

 さて。

 同じ頃コロナ患者の予測をした人達は、素人にも沢山いた。むろん、当たったものもあれば、外れたものも多かった。政治的立場から事実よりも願望で“予言”をしてしまうのも、人の子なればある程度はやむを得ないものかもしれない。厚労省の少子化予測なんか40年前からずっとその調子なんだし。

 にしてもだ。「このままだと東京はインドになる」だの「クオモのリーダーシップはすごい! それに引き替えアベ(小池)は」だの「ドイツのコロナ対策は日本より素晴らしい」だの言っていた「いつもの人達」である。
 この人達が、日本人の感染者や死者が過大になる予測をするのは、とりあえず政治的願望という見方はせずに、無為無策に見える為政者を叱咤するための厳しい見立てだったとしておこう。で、実際にはそれは外れた。逆張り以上の意味があまり見いだせそうにない彼らの“助言”に従うこともなく。日本は依然ドイツやニューヨークより死亡率も罹患率も低く、東京が牛糞と物乞いに溢れるようなこともなかった。喜ばしいことじゃないか。日本人は、日本政府や自治体や医療関係者は、感染対策を行って予測より被害を低く抑えることができたのだ。何が奏功したのかはともかく、誰かの何かの努力が実ったからこそ、あるいは外野の素人には預かり知らない現場の皆さんの対応が正しかったからこそ、最悪の事態は免れ、諸外国より低い感染基準で抑えられた。素晴らしい。
 なのに、どうしてこれらの“予言者”達は、嬉しそうな顔をひとつもしていないのか。何もあんたらの嫌いなニッポンスゴイをやれと言ってるわけじゃないんだ、死ぬかもしれなかった何万もの命が助かったのだから、少しは安堵したっていいだろうに。

 何が既視感って、10年前の放射脳どもと丸かぶりなのだ。奴らは「放射線一発でガンになる」だの「関東の人間は半年後に放射能でバタバタ死ぬ」だのと嬉しそうにはしゃいでいた。「福島の農作物は毒」という文脈で「(毒を出荷する)福島の農家はオウムと同じ」とまで言った奴がいた。芸能人が亡くなるたびに「セシウムが心臓にたまって心臓死した」と喚いていた。「科学的にこの程度の放射性物質なら大丈夫そうだから」などと誠実ゆえに直截ではない言い方で諫める学者達を、御用学者呼ばわりしたり、個人を特定してキャンセルをしたことすらあった。
 やがて「東日本の人間は半年後にバタバタ死ぬ」は「一年後」「三年後」「五年後」となり、十年経った今も、東日本でがん死が増えたという話は聞かないし、最近では有名人が亡くなっても、セシウムでどったらという呟きはトンと見なくなった。毎日洗面器一杯の鼻血を出していた誰かさんは、今も出血サービスを続けているのか気になる。
 話を戻そう。それで彼らは喜んだか? 安堵したか? 否。未だに菊地誠氏などはそうした残党相手に頑張っているようだが、放射脳の大半は反ワクチンに乗り換えて同じようなことをしているだけだ。岩上安身など「お待たせしました。この二週間あまり、議論にもなっていた、福島の新生児の中から、先天的な異常を抱えて生まれて来たケースについてスペシャルリポート&インタビューします。スクープです(原文ママ)」と、単に先天性奇形を持つ子供が産まれただけのことを嬉しそうに報じていたが、その後「畸形率やがん死が他と比べて有意に高くなかったこと」を喜んで報じたという話は聞かない。

 つまり彼らの「予言」とは厳しい警告などではなく、「自分の言うことに従わず、あまつさえ疎外する無知蒙昧の民どもには破滅してほしい」という願望を、予言という名の呪詛にして放っているに過ぎないのだ。
 彼らは、彼らを重用しない共同体が基本的に嫌いであり、それゆえにアイデンティティをその中に置いておらず、批判の体裁で“ヘイトスピーチ”をしているにすぎない。(ネトウヨで韓国や中国にそれやるの好きな奴いるでしょ? 「韓国は通貨防衛できなくてデフォルトする!」とか。)だから、東京オリンピックにはあれだけ難癖を付けておきながら、半年も経っていない(オミクロン株が猖獗している中の)北京オリンピックは「やっぱり平和の祭典」などと讃えて何の矛盾も感じないし(サンモニやら古市やら)、あれほど制約的な憲法九条を、世界遺産に推挙するほど絶賛しておきながら、他国に広めようとはしない。日本政府が「歴史戦」という言葉を使ったら、鬼の首でも取ったように、学者は政治に左右されず事実のみを愛するというようなことを嘯きながら、日本に不利な歴史の流布には文句を言わないどころか、それを批判した学者のキャンセルに加担する始末だ。

 人の心の中を覗くことこそできないが、「そういう行動原理の人達」なのだと考えれば、彼らの言動の合理性が見えてくるのである。

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