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【短編小説】おなかがすきました

   おなかがすきました

 風薫る季節の――とテレビが喋った。小さな食堂でのことだった。奥の厨房がかちゃかちゃとせわしない音を立てる中、私は担々麺を啜っていた。
 この田舎町にはサイゼとか吉野家とか、そういった外食チェーン店なんてほとんどない。車で少し走った先にあるデカい道路の傍にやっとマックがあるくらいだ。だから個人経営の食堂が私たちにとってのサイゼや吉野家である。
「風薫る季節だって」
 中学生の集団が、馬鹿でかい声でそんなことを言った。大きなカバンには刺繍で「中学校野球」の文字が刻まれているのが見える(他の部分はちょっと見えなかった)。
「なんで五月になると風薫るって言うんだ?」
「ばっかだなぁお前、風が薫るからだよ」
「匂いがするのか?」
 私は手を挙げて半ライスと半熟卵を追加で注文した。つやつや(悪く言えばてかてか)の顔をしたおばちゃんが「半ライスと半熟卵ねー」と言って厨房に引っ込んでいく。ただのご飯と卵は出てくるのも早い。残ったスープにそれらをぶち込み、雑にかき混ぜる。味変用のニンニクや粉チーズを加えればあっという間に〆の雑炊だ。たまに混ざっているちぎれた面だけが、この料理が担々麺だったことの名残になる。ニンニクのガツンとした匂いが脳天を揺さぶり、私はしばらく中学生の話を聞いていなかった。
 私を引き戻したのは「串焼き肉!」という大声だった。無心に動いていたレンゲがぴたりと止まる。スープを含んだ米たちが「早く食べて」と言わんばかりに輝いたので、私はゆっくりとそれを口に運んだ。
「ああ、新緑祭りの?」
「それがどうしたんだよ?」
「神社の方から焼き立ての肉の匂いがぶわーってくるだろ、それが風薫るってことよ」
 中学生たちはそう言って、何かしらに納得していた。私はしばし考えて、そうしてやっと合点がいった。彼らは「風薫る」の「薫る」ものを「屋台の串焼き肉の匂い」と解釈しているのだ。ちょっと面白いな、と思った一方で、別のテーブルにいたおじちゃんの肩は完全に震えている。風薫る季節が運ぶ匂いが串焼き肉の匂いと言うのもなかなか面白いが、風情はない。
「でもその理屈だったら、別に五月じゃなくてもいいじゃん」
 私は雑炊を口に運んで、咀嚼した。
「桜が咲いてたら、桜の匂いで焼き肉の匂いがしないだろ」
 そして、その屁理屈で私は思いっ切りむせた。
「秋は?」「銀杏」
「冬は?」「冬は寒いから屋台がない」
 おおー! と歓声が上がる。まるで贔屓のスポーツチームが優勝を決めたかのような盛り上がりだった。
「流石山田、天才!」
「やっぱりそうなるよな!」
 おばちゃんが中学生たちに定食を運んでいった。食事を始めた中学生たちはいっせいにおとなしくなり、生姜焼きやら酢豚やらをひたすらにかっ込んでいる。私は鼻を噛んだ。奥に紛れた質量のあるものがぽんと鼻から飛び出した。雑炊の米粒だった。


 シロクマ文芸部
「風薫る」より


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)