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【短編小説】待たない【花吹雪】


   待たない

 花吹雪は美しいが私は大変に憂鬱である。
 急激な変化というものは大抵四月の初めに固まっている。進級、進学、就職……。私ももれなくその一人で、最初の頃はニコニコと「分からないことがあったら聞いてね」と振る舞っていた上司も、猫を被るのをやめたところであった。もう慣れてきたよね。車の運転は一年間初心者を名乗れるのに、仕事はそうではないらしい。私はまだ、コピー機の前でソワソワしながら誰かの助けを待つしかできなかった。自分がここまで無能だとは思わなかったが、先輩が言うには無能なのは上司の方らしい。しかしそれもどこまで本当なのか分からず、やはりソワソワするだけの私を慰めるために花見が企画された。
 集まりごとは好きだ。輪の中に入るのも、外側で余った飯を一人で食うのも好きだ。酒も好きだ。食べることそのものも。私はワクワクしていた。本当に楽しみだった。そこに花吹雪である。ほのかにピンクを帯びた花弁がこれみよがしにひらひらと散っていく。……これじゃあ我々が花見をする頃には葉桜になってるオチではなかろうか。
「もう少し北の公園に行けば、まだ大丈夫だと思うけど」
 友人はそんなことを言ってきた。うん、北に行けばまだ散っていないという理屈はわかるが、そこまで労力を割いたところで結局私達は酒を流し込みながら上司の愚痴を吐きたいだけで、ある意味では桜なんてなくても良いのである。良いのである、が、それとこれとは少々事情が違う。桜なんてなくてもよいが、あればあるに越したことはない。
 どうしようかと悩んでいたその時、天気予報が喋った。
「週末の天気は下り坂で――」
 もう、ここまでくると諦めもつく。
 スマートフォンの画面を撫でる。いろいろなアカウントがいろいろなことを呟いている。先日、花吹雪の様子を手垢のつかない文学表現で投稿したアカウントだけが私のタイムラインから消えていた。初めての大バズリに嫉妬したらしいネットの民が、彼が十年前に投稿した差別的な呟きを引っ張り出したのが原因だ。ああ、昭和にツイッターがなくてよかった。もしも昭和にツイッターがあったら、みんな過去の発言で足を引っ張って今よりもっと大変なことになっていたに違いない。私が回避した未来がもっと先で現実になるかもしれないけれどそんなことはもうどーだっていいんだ。今は天気が良くなってくれればいい。桜吹雪が止んで、青い空が広がって、下らない愚痴で酒を飲めればそれでいい。
 天気予報が「何か羽織れるものを」用意するといい、と教えてくれた。去年のカーディガンは毛玉だらけだ。少しサイズも小さい。買いに行こうか? と思い立つ。でも桜の花が散ったのならば、その必要もないだろう。
 ……私は自分の「もっと色白になりたい」という投稿を消しながら、天気の話題を続けるテレビを見ていた。


 シロクマ文芸部
「花吹雪」より

気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)