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【短編小説】私たちのParty

   私たちのParty

 子どもの日の思い出を作文にしましょうと言われて途方に暮れた。私たち女性陣には兜を飾るとか菖蒲湯に入るとか、そんなイベントは何にもなくて、子どもの日というのはよくある祝日の一つでしかなかった。
 困り果てた仲良し三人組、私とリコとマナの三人は揃いも揃って子どもの日の作文が白紙の予定になっていた。他にどうにもならなかった。沈黙の下校中、不意に口を開いたのはマナだった。
「作ればいいんじゃない?」
 リコも私も、その言葉にぱっと顔を輝かせた。私たちは普段通りにキャアキャア騒ぎながら、早速作戦を練った。子どもの日。子どもの日という名前なのだ。私達は小さくとも壮大な夢を描いた。自由帳に広がる鉛筆の軌跡はどんどん膨れ上がって、空めがけて勢いよく飛び出してゆく。

 そんな経緯で作り上げた子どもの日の作文が、ノートに残っていた。


  たのしい子どもの日 三年二組 高橋 アヤ

 今年は、なかよしのリコとマナと一緒に子どもの日を楽しむことにしました。リコはおいわいのケーキを、マナはきれいな色のチョコレートや小さなゼリーを持ってきてくれました。わたしはクッキーやマシュマロをいっぱい用意して、子どもの日を楽しみました。
 ケーキにいっぱいかざりつけして、それを三人で食べました。とくべつなケーキはとてもおいしかったです。おかあさんといもうともさそったら、とてもよろこんでくれました。さいごにみんなでスプラトゥーンをあそびました。お母さんが、
「こういう子どもの日も、楽しくていいわね」
 と言ってくれました。それを聞いてわたしはとてもうれしくなりました。


 先生の花マルが少し戸惑っているのが分かる。先生は兜や菖蒲湯や柏餅の話を期待していたのであって、小学三年生の女子衆が憧れるやっすいスイーツパーティーの話を聞きたいわけではなかったのだ。だったら柏餅の食レポでも書いたほうがよかったのだろうか?
 ……しかし後々聞いた話によると、女子の大半は子どもの日に遊園地に連れて行ってもらったとか、一緒に料理をしたとか、そんな話ばっかりだったそうだ(一人だけひな祭りのときの話を書いていた子がいたが、彼女は後に難関大学へ進学することになる)。なんだ、だったら私たちの子どもの日だってどうこう言われる筋合はない。私はそんなことをぼんやり考えながら、スーパーカップのバニラ味にカラースプレーチョコをかける。あの子どもの日からすっかり私の大好物になってしまった。
 テレビでは変わらず子どもの日の話題が流れている。田舎の空にはまだ鯉のぼりが泳いでいるらしい。


 シロクマ文芸部
「子どもの日」より

 


気の利いたことを書けるとよいのですが何も思いつきません!(頂いたサポートは創作関係のものに活用したいなと思っています)