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『服と人 −服飾偉人伝』 VOL.6

日本ファションブランドは、この人・このブランドを無くしては語れない。
そんな偉人の生き方を通じて、ファッションだけでなく生きるヒントを伝えたい! その想いで、YOUTUBE動画を制作しているのが「服飾偉人伝」です。動画を撮る上で制作した原稿をこちらに公開していきます。「読む服飾偉人伝」として楽しんでいただければ幸いです。
動画で見たい方は、こちらから再生できます。

さて、今回は6回目、kolorデザイナーの阿部潤一氏 編です。
この偉人は、日本のメディアにはあまり露出をしない。そして多くを語らない方だからこそ、本当にこの偉人を知るための調査には正直苦労しました。海外のメデイアでは幼少期の思い出や、コムデギャルソンとの出会いや学んだ事などを掲載しており、翻訳しながら偉人の足跡を追いかけました。そこまでしてでも、知りたかった。そして伝えたかった。
私達なりに、追いかけたkolorのストーリーをぜひ最後までご覧ください。

ちなみに5回目の主役は奥様でもあられるこの方です、こちらからどうぞ。↓

01.言葉

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画像引用:GQ jp

阿部潤一は、自分に正直な人間だ。それは過度にカッコつけたり、自分を大きく見せたりというように自分を演出しない、そのままの自分で勝負する強さを持っているという意味だ。そんな彼の言葉を紹介したい。

”毎日の生活のなかで積み上げられたもの、ぼんやりしているけどウソがないものをカタチにしている。”
”いつも自分に“これでいいのか? 間違っていないのか?と問いかけながら、迷いながら仕事を続けている。それは僕がこの世界に入って仕事を始めてから、現在も変わりません。きっとこれからもそうなんだと思いますが、あきらめずに続けていこうと思う。”
”自分が正しいと思うことや好きなものは、半年や1年でそんなに変わることはないけれど、新しいものを生み出すことをあきらめたら、ブランドとしての未来はない。1回挑戦してみてどうしてもダメだったらやめればいいし、変わる努力をしないまま、同じものを見せ続けるのはやっぱり怠慢だと思う。”

02.生い立ち

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kolorの創業者である阿部潤一は、1965年山形県天童市に生まれる。祖父の代から続く呉服屋の生まれで、幼い頃は父親の呉服屋に出入りする若い従業員に遊んでもらっていたという。

母親は文化服装学院でコシノジュンコらと洋裁を学んだほど、お洒落な人だった。洋服が大好きでお得意様のところに向かう時は、シャネルのコンビの靴を履き、イタリア製のバッグを持って出かけていたという。阿部潤一も、幼い頃から母親が買い与える感度の高い洋服に袖を通し、身に着ける事でファッションへの興味を深めていった。当時を振り返るインタビューでの一説がある。

”VAN BOYSのジャケットとかモヘアのタートルネックとかを買ってきて、小学校でちょっと浮くんですよね(笑)。それから中学生の僕にグッチのベルトを買ってきたりするんです。「G」のバックルの(笑)。何これ? と思ってました。僕が高校生になってDCブームがあってファッションに興味をもつようになったんですが、ファッションに対して人よりちょっと興味が強かったのは母の影響だったかもしれません。”

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画像引用:https://www.van.co.jp

03.ファッションの道へ

阿部潤一は高校1年生の時、川久保玲と山本耀司の服に出会い、ファッションデザイナーの道を志し、高校卒業後ロンドンへ留学する。
先進的な考え方をする母親に対して、父親は厳格で真面目なタイプ。反対する父を母が説得し、ロンドン行きは実現したという。

その後、山本耀司の後を追うようにトップデザイナーの登竜門である文化服装学院へ入学。当時の彼はどちらかというと勤勉な学生でなかったと言う。学校から出される課題に追われた経験が、自身を変えていったのだ。

卒業後、阿部淳一は憧れのヨウジ・ヤマモトの元で、パターンカッターとしての仕事に就き、その後トリコ・コム・デ・ギャルソンでも経験を積む。
新レーベルである、”ジュンヤ・ワタナベ”立ち上げの際にはメンバーにも選ばれた。そのメンバーには、後の妻であり、sacaiデザイナー阿部千登勢がいた。

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画像引用:https://www.tjapan.jp

04.ファッションサイクルへの反発

阿部潤一は、4年半ジュンヤワタナベの元で学ぶ。その中で、ファッションサイクルの急速な転換に疑問を持つようになる。そこから自身が思う服との向き合い方を提唱する為、ジュンヤワタナベの元を去る。

1994年に文化服装学院時代のアパレルデザイン科で同級生だった森田氏、渡辺氏、曽我氏らと、4人それぞれが独立し、「M-A-W-S Design Productions(マウス デザイン プロダクションズ)」を設立する。

M-A-W-Sとは、4人の頭文字から付けられており、それぞれが得意分野を生かし、個々でデザインする事を目的としていた。そこで生まれたブランドが、「PPCM」である。

コンセプトは、ファッションカレンダーの気まぐれや季節のファッションショーの需要に影響されない、より長持ちする衣服を作ること。

その後、2004年にPPCMを解散しそれぞれ独立してコレクションを展開していくこととなる。
森田氏が”dots wear design”を、阿部潤一が”kolor”を、渡辺氏が”AITCH”を発表し、それぞれが別の道に歩き出したのだった。

05.転機

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1999年、妻である阿部千登勢が「sacai」を設立する。立ち上げを進めたのは他でもない、夫である阿部潤一の方からだった。
その約5年後、阿部潤一は自身のブランド「kolor」を設立。ブランドを立ち上げるきっかけとして、4人で1つのブランドを回す事よりも、自分の責任で自分のビジョンを実現したいと思ったからだと語っている。
妻が手がけるブランド sacaiは、マンションの1室でわずか5型のコレクションから始まり、大きく成長していた。その事が自身のチャレンジするきっかけになったのかも知れない。

またkolorは、新たな創作意欲からではなく、原点にもどって自分の居場所を探す事を目的として生み出されたブランドだ。

10年続けたPPCMとの差別化は念頭には置きつつ、ターゲット設定などの細かい戦略的なアプローチより「正直な自分の気分」「自分が正しいと思うこと」というフィーリングによって表現されたガーメンツなのだ。

06.素材の魔術師

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画像引用:https://archive.nytimes.com/

素材
阿部潤一は、デザイナーには珍しく素材を開発するときに、色見本帳などは使わないという。その代わりに、実家の呉服屋で使っていた昔の生地見本帳や端布を使いながらオーダーをする。ウールにはウール、綿には綿の見本を使う事で、素材によって異なる染料や染め方を使い分け、イメージに合う色合いや風合いを繊細に計算しているのだ。

また、素材開発には手触りや、着心地、耐久性から経年変化まで拘り、糸から開発するという。そんな素材との向き合い方から「素材の魔術師」という異名が付けられている。

調和
グレー、ブラウン、ベージュ、パープルにブルー、その上にフューシャピンクやエンジ、オレンジなどの差し色がイメージを形成していく。いわゆるkolorっぽさを感じさせる色合わせがある。この色使いを阿部はこう表現している。

「和菓子っぽい」

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実家の呉服屋で、幼い頃から色のサンプル帳や半襟の合わせなどを見て育った経験から得た”着物独特の色彩””着物に帯までを合わせた時の全体的なバランス”などを見る目が、kolorの服作りに活かされているのかも知れない。
kolorのガーメンツは色合いと素材の計算されたバランス、これがオーディエンスを魅了させているのだ。

インタビューでもこのように記してある。

"kolorらしさというのは配色のリズムだと思う。僕自身は表地と裏地の配色は必ずズラし、同じ色は使わない。例えばジャケットの衿裏のカラークロスにグレーにグレーは合わせない。ベージュやブルー、グリーンなど衿を立てたときに色のリズムが出るように考える。自分自身が好きな色というのも勿論あるけれど、茶色とブルーにしても木目のランダムな色合いの中で映える場合や同じ色でも素材が違えば嫌いな場合もある。"
ーGQ JAPAN インタビュー記事(kolor阿部潤一の色の使い方)より

07.ムードとバランス

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ムード
kolorのブランドコンセプトは「素材、パターン、価格、時代性など色々な角度から見て一番良いバランスだと思えるもの、そして一つのアイテムで完成するもの。リラックスしたムードをもっていること、でも安っぽくないこと。」と掲げており、明確なようで曖昧にも映るコンセプトである。

それは、抽象的な感情をインスピレーションの源にして製作されているからだ。曖昧なイメージから、素材やパターン、縫製仕様、ボタン、芯地、加工など、さまざまな判断を積み重ねてカタチにしていく。

言葉で表現出来ない”気持ち”を形に変えたガーメンツは、言葉の壁を越えて共感されている。阿部自身が、ファッションにおいて目に見えない力を信じていたのかも知れない。

彼の言葉にこう記される。

”小さいころ、親に新しい服を買ってもらうと気分が上がったじゃないですか。大人になっても洋服の果たす役割はそういうことだと思うんです。日常生活のなかでほんの少し高揚感を得られたり、自分に自信がもてたり。服である以上、着心地のよさや体を守るといった機能は最低限必要だけれど、エモーショナルな部分に訴えかける何かがなければ、誰にも満足してもらえない。時代に必要とされる気分やニュアンスをもった服をつくることが、カラーの使命だと思うんで”
ーGQ JAPAN インタビュー記事より

バランス
kolorというブランドを投影する主人公は、一遍通りのキャラクターではない。リラックスカジュアルなのに、どこかモダンでエレガントなところがある。男臭いミリタリーウェアなのに、ゆったりとした空気を含むシルエットに仕上げ、どこかファンシーな可愛らしさを演出したりする。相対するかも知れないピースを合わせた時に、心地よく収まる。それがkolorのバランスなのだ。

その代表的な作品が、『パッカリングパンツ』である。このパッカリングとは、縫目の近辺に発生する規則的なうねりじわの事で、どこか古着のような着用感を残す加工だ。あえて、うねり加工をする事でヌケ感を演出している。カッコ良すぎることを良しとしない絶妙なバランスこそが、kolorらしさなのだ。

その逆説的な魅力を捉えて、ユナイテッドアローズの栗野氏は、「ブサイク・パンツ」と名付けたと言う。


08.kolorとは?

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画像引用:https://archive.nytimes.com

経験の賜物
kolorとは、阿部潤一の生きてきた軌跡なのである。祖父の代から継承する、呉服屋の「詫び・錆」や、コムデギャルソンから学んだファッション哲学と「パッカリング」等の技術。そして師、ジュンヤワタナベから得てきたクリエーションの精神。全ての経験が糸をつなぎ生地になり、kolorという魅力的なガーメンツはそこに存在するのだ。

彩りを与える服
新しく袖を通す時、気分をあげてくれる服がある。それは、服自体の物質的な価値を超えて、目に見えないチカラの存在がある。このチカラこそ、デザイナーの魂なのだ。新型ウィルスの影響によって物質的価値は変化し、多くのファッションブランドが閉鎖をもたらした。しかし、どんなに世界がかわろうとも、物質ではなく見えないチカラの存在は、誰かの生活に彩りを与えている。そんなあなたにとっての鮮やかな色、これがkolorの色なのだ。

あとがき

時代のニーズは変化する。80年代〜90年代のDCブランドブームの時、”モノ”としてデザイン的価値が高ければ、ファッションデザイナーは支持を集め成功した。しかしその頃に、安くてデザイン性に長けたファストファッションブランドが到来するなんて想像もしなかっただろう。
斬新さだけで勝てた時代や、安いだけで勝てた時代…そして今、安さモノが良いだけでは、服が売れない時代に突入している。物質的価値は所有から共有へ変化し、”物”を所有すること事態に価値を見出さなくなっている。

そんな時代だからこそ、目に見えないストーリーや気持ちは、物質的な価値を超えた付加価値になる。
阿部氏は、自分に正直に向き合い、溢れ出てくる感情をモノ作りに込めている。その想いこそが、大事なのだど気づかされる。
自分達は今、どれだけの想いを込めて仕事をしているだろうか?
あなたの仕事はAIによってなくなるかも知れない時代だ。

しかしあなたの『仕事にかける想い』は誰にも変わりはいないのだ。
だからそこ、私は自分の想いを大事に今日も生きていこうと思う。


■服飾偉人伝VOL.1
https://youtu.be/zRz76xOatXQ

■服飾偉人伝VOL.2
https://youtu.be/bbp3UYKHZAk

■服飾偉人伝VOL.3
https://youtu.be/wJovtKYQNFQ

■服飾偉人伝VOL.4
https://youtu.be/DKqZy4Kuswk

■服飾偉人伝VOL5
https://youtu.be/zf5BW5vYvrE

■kolorをもっと知る
HP:https://kolor.jp/
オンラインストア:https://onlinestore.kolor.jp/

関連書籍:
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・服を作る 増補新版-モードを超えて
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偉人へのリスペクトの意味を込めて、「大人の自由研究」をテーマにドキュメンタリー仕立てに動画版は制作しております。ぜひ、YOUTUBE版も見てみてください。(チャンネル登録もお願いします!)

それでは、次回のYouTubeでお会いしましょう♪


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