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なぜ発達検査を受けようと思ったのか

こんにちは。ぽんぽこぽんこです。
夫、中学三年生の娘のぴょんこ、猫2匹と暮らしているアラフィフです。
(2023年11月現在)

このnoteには、50歳手前にしてどうにも生きづらさ改善の限界を感じ
もう自分でできる事の限界があるからプロの手を借りようと
メンタルクリニックに救いの手を求めている状態を記録していきます。

今回は、なぜ、この年まで何とか過ごしてきたのに、いわゆる人生の大変な時期のピークを越えているようにも思えるこのタイミングで、自分の見たくないものが明らかになりかねない検査を受ける決心をしたのか、をまとめようと思う。

検査の動機。
それはひとえに思春期の娘、ぴょんことの関係を悪くしたくない一心である。

思い返せばぴょんことは、彼女が幼い時から激しい言い合いになることが多かった。
世の中のルールを教えているつもり
ぽんぽこ家のやり方を伝えているつもり
善悪を伝えているつもり
些細だが適切ではない振る舞いの悪さを注意しているつもり

それがなぜか激しい言い合いになり、論点はずれ
謝ったら負け認めたら負けのサドンデスになり
ぴょんこの号泣と私の疲弊で着地点さえ分からなくなるような
そんな喧嘩を重ねてきた。

驚くのが、私は怒っている・叱っているつもりでも、ぴょんこは対等な喧嘩をしているつもりだった事だ。
それは本人からもそのように言われている。
違うよ、お母さんは親として大人として、あなたがより良い人として成長できるようにこれまでの経験を踏まえて伝えているんだよ。
こう伝えてもぴょんこは ふーん、ママはそういう考えなんだね、という受け止め方を変えることはなかった。
また、ぴょんこが小学校低学年の頃には、長い言い争いの末でこう言ったこともあった。
「ママにだけは絶対負けたくないって思っちゃうから、合ってるとか間違ってるとかはわかんなくなっちゃう」

当たり前の親としての立場で子供に教えるべき事を伝えているつもりが、ぴょんこの中ではあくまで対等な相手から自分のやり方を否定されていることになっている。
だから絶対に負けてはいけないと思い、理屈も筋も全部置き去りにして自分を守っている。

ここまでを私が他人の文章として読んだらこう思うだろう。

いかにも頑張ってる親っぽく書いているけど
客観的に見たら実はただの毒親なんじゃない?
子供を追い詰めすぎなんじゃない?

私も親としての軸はぶれてはいけないと思いながらも
ずっと疑いの目で自分を見てきた。
私は毒親なのかもしれない。

私は実母を嫌悪する気持ちを解消することがないまま亡くし、
亡くしたことで心の中の大きな重りが消え去るような実にすがすがしい解放感を体験している。
母を亡くして、ようやく母を思うときに心が恐怖で縛られるような感覚が薄らいできた。
そんなだから実母に痴呆の傾向が現れ、やがて悪性腫瘍に倒れるまで、私はただひたすら、母を介護する父の気が休まるような娘であり続けようとし、父のために母を見舞い、父が喜ぶように母を労わった。
母に長生きしてほしい、失くして後悔する前に自分の心の鎧を剥ぎ取って娘として母に寄り添いたいという気持ちは1秒たりとも湧かなかった。
そしてその後悔は亡くして4年たった今でもまだ感じることができないでいる。
20代中盤で家を出てから、40代半ばで失うまでは必要最低限の交渉とし、
ぴょんこを出産する際には、当たり前のように里帰りを促す実母の言葉に体中の皮膚が粟立つような嫌悪感を覚えた。

子供から大人になる間、私は長らく母を好きだと思っていたが、その実嫌いという気持ちに気づくことができないほどに私は母に怯え、そして嫌っていたのだということに私はぴょんこを重ね、自身の娘との向き合い方を疑い続けてきた。

幸いぴょんこが成長するにつれ激しい喧嘩は減り、思春期を迎えるころには
子どもらしい無理筋を通すような強情さは姿をひそめた。たまに生意気な振る舞いでこちらの注意をいなすようなことをするようにはなったが、私のほうも、それは思春期女子としてはごく当たり前の成長過程で、そういう貌を親に向けることができるのは良いことだ、私が中学生のころには決してできなかった態度だ、これは私の子育てが実母の轍を踏んでいない何よりの証明だと、よいこととして受け止めてきた。

ところが、このお互いに無益な対立を避けるような日々に暗雲が立ち込めてきた。

ぴょんこの進学校選びである。

多分きっかけは私がぴょんこに期待をしたことだ。
そしてぴょんこはそれを感じ取り、決して私に操られるような努力はしない、且つ、反抗をテーマにするような進学校選びはばかげた振る舞いだということを理解した学校選びが始まった。

だが、ぴょんこには、自分でデータを読み解き、数多ある近隣私立公立高校の中から適切な通学距離で、適切な難易度で、自分が本当に行きたいと思う学校を選ぶことは難しい。
ぴょんこは関心のない事柄にはてんで向き合う気力がわかないタイプの娘だ。その上私たちが暮らす地域には候補になる学校がとても多く、例えば進学ガイドに付いてくる学校所在地の地図に自分の家を中心にしてくるっとコンパスで通学圏の円を描いたとしたら、圏内の学校は10や20ではきかないのだ。
そしてこれは私も難しい問題だと思うが、そもそも本当に自分が行きたい学校の条件など、特に部活などの目的のないぴょんこ自身にもわからないのだ。

そもそもが、私たちの平穏はお互い胸襟を開いて理解しあった結果ではなく、軋轢を避け、適切な距離を保ち、合わない凸凹は見ないようにすることでことで保たれていたものだった。

それが進学校選びという、互いが主張をもち、且つ互いが自分では補えない部分を相手に頼らざるを得ない状況になることで、再び真っ向から向き合わざるを得なくなった。

そもそも学校選びに私の主張は不要だったのかもしれない。
ぴょんこがほんの気まぐれで言った希望をぴょんこ以上に大切にしてはいけなかったのかもしれない。
私がぴょんこの前に立ってぴょんこに適切な学校を探してはいけなかったのかもしれない。
だが、自分は勉強ができない頑張る才能がないと言うが、気まぐれに模試で偏差値60,70超えの教科が現れる。かと思えば同じ教科で50以下を取ってへらへらしながら「偏差値60とか高すぎて気持ち悪い」と宣う、そんなぴょんこに「もう少しちゃんと勉強してみたら?」と言っていいのか「いやまぁ、そんなに頑張るのしんどいよね」と言っていいのか、私の判断も模試の度にぐらぐらにぐらついてしまった。

そして、ぴょんこが小学校低学年の頃、冬休み明けから次の学年の始業までの3か月、丸ごと学校に行くことができなかったという歴史が、適切な学校を選ばないと続けることすらできなくなるのではないかという恐怖となって、私は娘が通い続けることができる学校探しに躍起になった。

その結果、以前よりも激しい争いが増えてしまったことで、
いよいよ自分のやり方に自信が持てなくなったのが、検査を決断した経緯だ。

私はぴょんこに幸せに暮らしてほしいと思っている。
そしてこの先、高校生になっても、その先のお姉さんになっても、ぴょんこが困った時に頼れる場所でありたいと思っている。
だけど、今のままの私ではぴょんこの敵になってしまうかもしれない。
ぴょんこは私を好きだと言ってくれているが、それはいわゆるストックホルム症候群のようなものではないと言い切れる自信がない。
支配被支配の関係から共依存に陥ってるだけなのかもしれない。

だから私はまず自分を外から見ることにした。
自分が気づいていないうちにどんなふうにぴょんこに圧力をかけているのか、私のポリシーは客観的に見て正しい事なのかを第三者に判断してもらい、自分の性質、特性を数値で可能な限り可視化することにしたのだ。

それがまさかの高知能で、それ故の機能不全があるとは思いもしなかった。
だが、自分に何ができて、何ができすぎて、何ができなくなるのかが見えるようになった事はものすごい安心材料になっている。
ぴょんこの受験への向き合い方についても、一歩引いて、ぴょんこのやり方を尊重する気持ちが生まれている。

おそらく、今までなぜ人と違うのか?なぜ人と同じようにできないのか、本当に怖くて不安だった部分に答えが嵌ったことが、驚くくらいの安心感を与えてくれていて、同時に自分を認める気持ちが芽生え、そこから地続きのようにぴょんこへの信頼につながっている。

単純なものだ。

単純で良かった。

あ、ぴょんこは不登校の翌学年にIQ検査済みです。
この話もまたいずれ。


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