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Tandy|A&A Japan

最初の勤め先が、東京西新宿にオフィスのあったA&A Japan。Radio Shackで販売する家電製品の調達部門で親会社がテキサス州Fort Worth本社のTandyでした。

入社して船積課と経理課で研修を経て、配属されたのが営業部でも当時聡明期でもあったコンピュータ及び周辺機器のOEM製品開発・調達課でした。

当時は、マイコンがスタートした80年代初頭。TRS-80のマイコンは、記録媒体がカセットテープから8インチフロッピーになった頃。CPUも8ビットZ80でRAMも4KB程度。

今ではWiFiやBluetoothで無線LAN、PANも簡単で速い通信が可能ですが、この頃はアコースティック・カプラーと言って、電話受話器をゴム製のカプラーに装着して、「ピー、ガー」という音を発しながらの遅い有線通信でした。

TRS80 Accoustic Coupler

そのモデムが内蔵された世界初のノートブックパソコン。というよりワープロがModel100で新聞記者などマスコミ業界で重宝されて大ヒット製品になりました。ソフトウェアがMicrosoftとASCII、ハードウエア開発製造が京セラの共同開発。

TRS80 Model 100

BASICプログラム可能のポケットコンピュータが出たのもこの時期でした。OEM供給元は、シャープとカシオ。当時、これも大ヒット商品でした。


TRS80 Pocket Computer

周辺機器で言うとプリンタが、Daisy Wheelとドットプリンタが主流でリコーとTECからのOEM。

TRS80 Daisy Wheel Printer(DWP)

7,000店舗近くのRadio Shackの注文は、1店舗に1台に在庫1台となると初回ロット注文で15,000台が発注される規模は、新製品開発して全米市場で世に問う恰好のテスト市場提供してくれるのが、Tandyでした。支払いもFOB-JapanでLC at sight決済と支払いも良く、買付けする立場としても強い販売力があり、当時は大手から中小企業の色々な会社が売込みに来てもらえる恵まれた環境で随分と色々な経験が出来た職場でした。

春、秋が年2回の大きな商談会議目白押し。いつもゴールデンウィーク明けから始まる商談のために、外資でも職場は日本だったのに新入社員1年目からGWを味わうことのない生活が、その後30年以上も続くとは当時夢にも思ってはいませんでした。

2年目からいきなり本社転勤になるのですが、しばらくこの最初の会社での経験を思い出しながら書き留めてみたいと思います。

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