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私は私をどこまで愛することが出来るのか。

引越しの準備が進まない。今、私はどうにかして「何も持たない自分」になろうとしている。どこまでシンプルな私になれるか。どうしたら私自身を、ありのままで愛することが出来るのか。

私は、私自身を好きになることが出来ない。見た目も中身も、全く思い通りになれない。理想と現実のギャップは、常に膨れ上がっている。

笑う時に口元に手を添えてしまう。
すぐに鼻を触ってしまう。
洋服の裾を掴んでしまう。
すぐに顔を赤くしてしまう。

爽やかで、優しくて、前歯がちょこんと小さくて、華奢で可愛い女の子。
叶うことは無いと分かっているけれど、なりたいものはなりたいのだ。憧れを殺すことは出来ない。

親や周りの大人たちの期待に応えられなかった私は、振り返ると嘘ばかりついて生きてきていた。
容姿に恵まれなかった分、真面目で賢い私になれば良いと思っていた。

でもそれは、誰よりも私自身が苦しくて窮屈だった。私はいつの間にか、私自身すら騙して、取り返しのつかないところまで走ってしまっていた。私にはもう、人並みの努力もままならなくなっていた。

私を愛してあげるために、なるべく持ち物を減らそうと思っている。親からの真っ直ぐな期待。友人からの尊敬の眼差し。何も要らない。私が欲しいのは、素のままの私が欲しがるものだけだ。

他人の目を気にする事は、悪いことでは無い。認められたいという気持ちに嘘は無い。でも、私が私を見失ってまで手に入れる物はこの世にきっとないはずだ。そんな儚いものに弄ばれるのは、もう御免だ。

誰も知らない街に行くことを選んだのは、正解だったと思う。今いる場所を離れる日が近づくにつれ、落ち着かない気持ちのもう半分は、清々しくて真新しい。

私は今、やっと私を見つけようとしている。また、途中で見失ってしまうかもしれないけれど。もう私は私を殺したくないのだ。不細工な私を、不器用でつまらない私を。笑って抱きしめて、一緒に幸せになる方法を見つけてあげたい。

沢山の要らないものたちに別れを告げる。きっと、そうやって私は新しくなれる。私の愛し方を見つけてあげられるはずだ。

2019.09.14 植物

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