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価値観の変容

老いても既存の価値観に縋らない人でありたい。真新しい物事に対して、恐れない人でありたい。きっと自分は死ぬまで大したことの無い奴だけど、毛布にくるまって昔を思い出すような人生にだけはしたくないと、強く思う。

昔の成功体験は、必ずしも人の成長を助けるものでは無いと思う。時にそれは、他を拒み、自分に目隠しをする要因になりうる。
かけっこで1番。テストで100点。バレンタインのチョコレート。もっと些細で取るに足らない自己満足であろうとも、自分の心を支えるプライドはきっとどこかにあるはずだ。それらはあなたの背中を押してくれているだろうか。それとも。

私は怖い。この先老いて、体が思うように動かせなくなった時、果たして生きる意味を見出すことが出来るのか。新しいことをアウトプット出来る人でありたい。いつまでも。

昔の素敵な思い出は、たまに押し入れから引っ張り出してぼんやり見つめて、少し元気を貰うくらいにしたい。誰かに見せびらかすような格好悪いことは、出来ればしたくない。

自分の価値観を大切にすることと、その変容を拒むことはまったくの別問題だ。強いことと、強がりなことは一緒くたにしてはいけないと思う。

水のように、形を変える、そんな生き方をしたい。これから先、結婚してもしなくても。子どもがいてもいなくても。

私には長年教師になりたいという夢があった。それはもうひとつの宗教で、定められたゴールだった。何気ない憧れから始まったこの呪いは、私にとって生きる意味であり、過去の自分が決めつけた私の末路だ。

幼い私にがんじがらめにされた私は、本当に惨めだった。私のすべての価値観は「教師になること」が前提だった。教師になれない自分には価値がなかった。あまりにも滑稽だ。

遠回りをしながら、「教師にならない」という選択をした私を、少しずつ認めてあげなければ生きていくことは出来ない。その作業の中で、私は以前よりも間違いなく冷静で寛容になれた。
たくさんの人達から「もったいないね。」と言われたけれど、それでも私は、私だけは後悔しないで進みたいと思っている。

何かを選び、捨てる。私はきっとこれから先、何度も生まれ変わる。本当に大切なものを見失わないために、胸を張って歩けるように。

2019.09.15 植物

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