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東南アジアイスラム教 犠牲祭 (注意:残酷な描写有)

私の部下、
「今度の祝日、私の自宅に来てみませんか?」
私、
「犠牲祭だよね。イスラム教徒の大事な日。参加したいな」
部下
「大歓迎です。案内しますよ」

私は、イスラム教徒の犠牲祭の事を深く知らなかった。
祝日(イスラム歴で12月10日)であることは理解していたが、
それまで真面目にイスラムの祝日の事を学んでこなかった。

犠牲祭は、イスラム教の一大宗教行事で、この時期、街の市場にはヤギと牛が溢れかえります。現地では「ポトン・カンビン」と呼ばれ、これは直訳で「ヤギを切る」という事です。

曰く、イスラム教では、父親が神様に対し、息子の代わりにヤギや牛を犠牲にして神に捧げたと云い伝えられ、又、イスラム教では皆が平等なので、豊かな人が貧しい人に動物を分け与えるという意味もあります。

当日、
私が案内されたのは、田舎の村(カンプン)の広場でした。
狭い路地を抜けると、人、人、人、こんなにいるのか!
まるで縁日の日本のお祭りの様です。
数百人が集まり、子供も大人も、お互い顔見知りで、地域の仲間と楽しそうです。

それにしても子供だらけ。若い国だなーと、改めて思う。
日本の田舎に子供がいなくなって、久しい。

やがて、長老によりコーランが唄われました。意味は理解できないが厳粛な感じの唄です。美しいとも言えます。
「シーン」と、広場は厳かな雰囲気になりました。

男の子達は、青年団のような若集に教えられ、若者は、長老に指導され、
儀式が始まりました。

びっくりしました。

若者が大きな牛の4本の脚や首を羽交い絞めにして、予め掘られていた穴に首を向けさせ、喉元から一気に首を切断しました。
その穴に中に、生血を流します。

これを簡単に、「残酷だ」と言っていいのでしょうか。

生き物の命を頂くこと、この尊い行為は、命を奪うことで成り立っています。牛肉も豚肉も鶏肉も、スーパーマーケットに並ぶ商品は、この行為が無ければ食卓にあがりません。

私たち日本人は、うわべだけを見て、本当の命の姿を見ていないかもしれません。

私の田舎では、子供の頃、飼っていた鶏を父が処理をし、食卓にあがったことがあります。食事の時の、(あなたの命を)頂きますとは、こういう事。

このことを日本人はどれだけ理解しているのでしょう。

牛の全身の皮が剥ぎ取られました。
流れるような手さばきです。
そして、最後に各家庭で持ち帰れるサイズに刻まれます。

全部で、牛3頭、ヤギ10頭が、捧げられました。

本当に犠牲なんだ。
「犠牲祭」の意味を知る瞬間でした!

そして、イスラム教徒は、この神の生贄を全員で平等に分けるんだ。

日本人が犠牲祭に来るのは、この村では初めての事とのこと。
村の皆さんの視線を感じながらの参加でした。

最後に、頂いた肉は、部下の奥様とお母様が串焼きにして出してくれました。柔らかく、本当に美味しかったです。

頭の中で、「(あなたの命を)頂きます」という言葉が浮かびました。
食事の時の「頂きます」とは、こういう事、、。

貴重な体験。

この国の田舎の村のごく普通の家に案内され、多少の緊張と感動がこみ上げる時間でした。

私たちの地球の約1/3を占めるイスラム教徒の人たちは、この犠牲祭という行事で、毎年、命を頂くという経験を、赤ちゃんの時から、
ズーッと何世代にもわたって連綿と継いでいるのだと思いました。

私達より、深く、命を理解しているのではないか、、と思いました。

2億5千万人がくらす国。
奥が深い国です。


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