スキルより能力よりも、大事なもの
高校生のとき、所属していた野球部の監督に「お前らはどんなに練習しても強豪校のやつらより上手くなることはない」といわれたことがある。
当時のぼくには衝撃的なはなしだったので今でも覚えている。
たしかにそう。強豪校にいくようなやつらは、オチビのときから運動能力に長けていて、野球が好きでたまらない野球小僧。からだもグングン大きくなって、中学のときはお山の大将。そんな猛者どもがゴロゴロ集まって朝から晩まで死ぬほど練習してんだから勝てるはずがない。
じっさいに練習試合では、私立の2軍とやりあってコテンパンにやられて、一年生ピッチャーを試されて三振こいたときは悔しくて飯が食えなかった(自分は当時3年生)。
こういう現実を突きつけられると「なにが楽しくてやってんだか」「やる意味あんのかなー」って自暴自棄になることも。
これは野球だけでなくて、このnoteでも、なにごとでも当てはまる。ゼロからはじめればどんな世界にもその道に長けた人がいて、どんなに努力してもその差はけっして埋まらない。
だけど、先生がそのあといったことばはそんな理屈なんて関係ないものだった。
「ただしお前らが勝てるものがひとつだけある。伸びしろだ」
「強豪校に入るやつらはみんな上手いやつらばかりだ。だから、高校にはいってすでに60の力がある。それから3年間で80していく。その程度だ。でも、お前らは入学したとき20にも満たないくらい下手くそだった。でもこの3年間で60くらいにはなった思う。どうだ?強豪校のエリートより伸びしろは多くないか?」
泣きそう。です。
そうかもしれない。強者のように上手にものごとをこなせないけど、弱者には「成長」という武器がある。
公式戦でサヨナラ勝ちをしたときは地元新聞のスポーツ欄を占領したし、ひとつ下の世代は部員20人に満たないなかで、私立をたおしてベスト16。50年ぶりの快挙。地元新聞の一面をかざった。
強豪校がベスト16に入ったって、ふ~んで終わり。弱小校には成長があり、伸びしろがあり、下には下の青春がある。だからこそ感動を届けられる。だから一面に載る。
まだまだ未熟すぎる物書きだけれども、優良な記事は書けないけれども、ネット上にゴミを垂れ流しつづけているけど、いつか誰かにとって価値あるものが書けるかもしれない。伸びしろだけは誰にも負けないかもしれない。
そう思うと。すげての人に可能性があり、価値がある。自分の挑戦を肯定する理由になる。
ちなみに最後の夏の大会の1回戦コールド負け。いまだに切なく感じてます。以上。終わり。
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