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近況(CHAOS)

家庭がひっくりかえっています
※このnoteは人の死の描写を含みます

ご無沙汰しております。ここ1年noteは放置しておりましたが私生活はかなり混沌を極めてまいりました。どこから書けばいいのかわからんしどうやって書いてたかも思い出せんしでなかなかお見苦しいかと思われますが、どうかお暇な方はお付き合いください


その1 臨床実習に行くなどしてクソ病みしていました

以前から度々書いてきた通り、わたしは所謂医療系学生というものであり、大学4年は専ら病院での実習地獄である。弊学は3施設に実習に行くのだが、それはそれはもう総じてカオスの極み実習だった。

  • 1施設目ではエンドレスに理不尽な文書訂正を強いられ、バイザーに学歴コンプをぶつけられるなどして窓口教員(大学の先生)に泣きつき、抱きしめてもらう

  • 2施設目は非常に良質な環境で心穏やかに過ごせていたが1施設目でのトラウマが度々フラッシュバックしてしまいバイザーに泣きつき、宥め癒やしてもらう

  • 3施設目では色々あって(後述)「つつかれたら潰れるメンタル」状態で実習に臨んだところ、(具体的には述べないが)やんわりどつかれるような待遇を受けてしまい、窓口教員にチクる

というまあまあ我ながら酷い実習生活を送ってきた。というのが今年4月末〜9月末でした。多分実習生に向いてないんだわ(?)

その2 家族がコロナに罹りました①

小見出しに嫌な伏線がありますね、ちゃんと後で回収します。
2期目の「非常に良質な環境」で実習していた頃、半ばに差し掛かったあたりで遠方から父方の祖父母が遊びに来た。あろうことかコロナも連れて。更に酷いことに、それが末期肺癌の父親と受験生の弟に感染ってしまったのだ。父は入院、弟は隔離、母は陰性ではあるものの何故か体調不良になり動けず、元気なのは要介護な祖母とわたしだけになった。わたしも祖母も当然𝑵𝒐𝒌𝒐𝒔𝒆𝒔𝒔𝒉𝒐𝒌𝒖 𝒋𝒖𝒅𝒈𝒆𝒎𝒆𝒏𝒕されてしまい、その時点で実習は中止となり、隔離期間の兼ね合いから泣く泣く素敵な施設とはそれっきりお別れとなった。そこから暫くは、「ワンオペ家事&介護生活〜実習に行けてない焦燥感と勉強不足への罪悪感を添えて〜」の生活だった。

病んだ。

普通に病んだ。

「ワンオペ(以下略)」を終えて少しした頃から起きていられる時間が格段に減った。予定のあるとき以外の日中に、布団から出られなくなった。ご飯の時間以外大体布団に入って、寝て過ごしていた。あとなんかよく泣いてた。
ちょっとだけ動けるようになってから、久しぶりに高校時代にお世話になっていた心療内科にかかった。特に病名はこうです!!とは言われなかったけど、向精神薬とカウンセリングが処方された。(3ヶ月経った今も飲んでるしゆっくり通ってます)
【2023/01/10追記】
診断名聞いてみたら気分変調症と全般性不安障害でした。道理でメンタルがダメになりやすい訳だ。ちなみに未だに通ってます。

─────かくしてわたしはおぼろ豆腐メンタルのまま3施設目の実習へ向かい、無事豆乳に帰したという

その3 内定をいただきました

明るい話もある。
大学の先生の斡旋や先方の部長の先生に推されていた(?)こともあり、無事に3年生の頃実習でお世話になっていた病院に採用されることが決まった。色々事情があって特殊な勤務形態を取ることになったのだが、部長が快諾して理事長に直談判してくださった。あまりにも周囲の人に恵まれすぎている……

その4 彼氏が元交際相手の方にいじめられてた

詳細は伏せるが、彼氏のことを批判するDMが相次いで届いていたらしい。オイオイもう別れて3年くらいじゃないですか……

その5 父が逝去しました

覚悟はしていた。しかし、最も恐れていた。
亡くなる前々日腹水を抜いてから調子が悪かった。あまり弱音を吐いてこなかった父が「しんどい」「苦しい」と言っていた。SpO2も血圧も低く、心拍数は爆上がりだった(確か134回/minくらい)。カニューレから吸入させる酸素は上限の7.00L/minに変更され、苦痛の軽減のために医療用麻薬が処方された。
亡くなる前日、眼球は上転し、閉眼は常に不完全、応答は不適当な「うん」「ううん」が精一杯といったところだった。自力で立ち上がることも飲水することもできず、意識障害も身体能力の低下も著しかった。この日初めて尿失禁していた。
父の最後のトイレと着替えの際、母と協力して介助した。わたしは立ち上がりと移乗を手伝った。その時、ギュッとハグできたのが今も強く心に残っている。

それから数時間後の午前3時半頃、父と同じ部屋で寝ている母が大きな声でわたしを呼び起こした。「どうしよう、お父さん酸素(カニューレ)外れてて息してない……どうしよう……」と慌てふためき、ふたりで何度も大きな声で父を呼んだが、届かなかった。撓骨動脈や頸動脈で脈を測ろうとしたが、既に無かった。

4時くらいに往診でお世話になっているお医者さんが到着し、わたしたちは「ご臨終です」と言い渡された。

それから通夜や告別式があり、それはそれは慌ただしい数日間だった。悲しいし、辛いし、夢みたいだし、よくわからない。まだ信じられていない。帰ったら家にいる気がするし、また話せる気がする。でももうこの世にいないのだ。

通夜や告別式の日もかなりカオスだったのでまたそれは気が向いたら執筆しようと思う。

前述にも後述にも関係ないけど凹んだわたしのために(?)か、彼氏が体調悪かったのに斎場まで会いに来てくれました(超離れて一瞬話して手振ったくらい)。のちのち彼氏も偶然コロナでした。

その6 家族がコロナに罹りました②

伏線回収です。わたしと母の番であります。まさに今。
葬儀が一通り終わってから体調が悪かった。全身の倦怠感と関節痛、気管支のイガイガ感、微熱……。こりゃやばいなと思い、発熱外来にかかり、検査を受け、当たり前に陽性が出た。
隔離期間に輪講の発表と卒業研究審査会がちょうど被った。神様、わたし前世で何しでかしたんですか??
輪講に関してはZoomなので普通に出席する。卒業研究審査会に関してはまだどうなるかわかりません卒業させてくださいお願いします先生助けて大好きお願い……

今年度(まだ終わってないけど)をざっと振り返ると、かなりハードな生活だった。ちなまだ査読待ちの学会と国家試験と弟の大学受験も待ってるぜ。

みなさん、好きな人や自分が生きている時間、普通の生活、大切にしましょうね。

わたしからは以上です。
長文お付き合いありがとうございました。

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