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父などの話

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ

いろは歌にある一節だ。意味としては「花は咲き誇っていても、やがて必ず散ってしまうようにどんな幸せも色あせてしまう(諸行無常)」「いったいこの世で永遠に生き続けることができる人がいるのだろうか。いや、必ず、すべてとわかれてひとりで死んでいかねばならない(是生滅法)」だとされている。(https://bukkyouwakaru.com/iroha/ より)

ここ最近ふとこのことを思い出した。あ〜なんかこれ今沁みるな〜…って思うことがありまして。

まあ単刀直入に言いますと父が肺の末期ガンになりました/(^o^)\

フッジサーンどころではない話である



父とタバコ

父は、いま20歳であるわたしが産まれる前から喫煙者だ。わたしと、わたしの弟が母のお腹にいるときと幼いときは禁煙していたそうだが、そのままタバコとさようなら、という訳にもいかなかったらしい。母もわたしも、何度もタバコやめてよと言いまくっていたけれど全く応じてもらえず、昨年の冬まで、寒い日も雨の日も台所の換気扇の下やベランダ、玄関先にまで赴きわざわざタバコをふかしていた。
冬場は甲冑みたいに分厚いコートを着るほど超絶寒がりの父なのに、喫煙のために外に出ることは全く厭わなかった。家族とでかけた出先でも喫煙所や灰皿を見つけては喫煙した。夜「ちょっと買い物に行ってきます」と彼が言えばそれはタバコを買いに行く合図だった。
医療を専門的に学び、教壇に立ち、「先生」と呼ばれる彼が、タバコはどれだけ身体に悪いかを知らないはずはない。
ニコチン依存ちょうこわい。

父の異変 ガンの発覚

5年くらい前、父がいつもの紙巻きタバコからとある電子タバコに変えた頃、少し咳き込むことが増えた。タイミング的にも原因はその電子タバコじゃないかと疑い、またすぐに紙巻きに戻していた。紙巻きに戻して咳が治ったかどうかはあまりハッキリ覚えていない。たぶん日常的に少しコホンと咳き込む程度なら誰にでもあるし、そういうものと見紛っていたのだろう。

今思いかえせば、その頃既に彼の身体は少しおかしかったんだと思う。

時は流れ2020年、まだまだ新型コロナウイルスが世を乱しまくっていた12月、父はより咳き込むようになっていた。それまで仕事が忙しい父は、母が買ってきた市販薬を服用していたが、いよいよ誤魔化しが効かなくなってきていた。時世的にも呼吸器系の異変は放置するのは良くなかろう、うちには高齢の祖母もいるし、咳が出ていると周囲も心配になるだろう、と一度思い切って大きな病院で診てもらうことになった。

CTを撮り、不穏な影が写った。胸水が溜まっているのが分かった。

詳しく調べ、胸水を抜くために検査入院をすることになった。ガンであろうとなかろうと、胸水そのものが問題である。帰ってきた父に恐る恐る「どうだった?」と正座で聞いた。

「肺ガンで、全身に骨転移していて、ステージⅣでした。」

(ああ、これもう長くないやつや)と思った。

涙は堪えた。ヘッポコ医療学生のわたしでもわかるヤバさだった。2年前期の期末試験前に無理やり詰め込んだ内科学の知識が怒涛の勢いで蘇った。

ガンのステージというのは全部で4段階あって、その4段階中のⅣ=最上級・末期なのだ。ガン細胞だけ手術で取り出してハッピーエンド!ができないステージだ。つまるところ根治は不可能で、薬物治療によって進行や症状を抑えるほか介入のしようがないのである。しかもガンの中でも肺ガンというのは非常に予後が不良といわれている。5年生存率なんてたったの36%である。
色んなことが頭をよぎった。経験したことのない将来像が走馬灯のように走った。まだまだ元気だと思ってた父がもうあと数年の命なのか。大学の卒業式の袴姿は見てもらえるかな。ヴァージンロードは一緒に歩いてもらえるかな。孫の顔見せられるかな。

「治療で家にいられないこともあるし、お金もたくさんかかるし、迷惑かけてしまうけどごめんな」

いやいやそんなこと言われても…そんなこと言われてもさ…とりあえずどうにかして元気に生きててよ…

「うん、治療頑張って」としか言えなかった


父以外の話

我が家は所謂2世帯住宅暮らしで、いまはわたしと父、母、弟のほか、母方の祖母がいて、昨年夏に亡くなるまではこれらに加え母方の祖父がいた。

わたしは、父からガンでしたと宣告された初め2週間ほどは毎晩泣いてたし、父の姿を見る度いつかいなくなるときが思いやられて悲しくなっていたが、それも徐々に回復しいつも通りにしている。他のノートを見ればわかるかもしれないが、元来気分の上下が激しく落ち込みやすいタイプではある。
変わったことといえば父のガンの発覚から部活をずっと休んでいることくらいだ。元々別に積極的にやっている訳でもなかったし、感染症対策も倫理もガバガバな部の雰囲気にウンザリしていたところだった。部活を休めることに関しては問題ないしむしろ万々歳!と思っていたけれど、感染対策を講じた上でプライベートのお出かけをしたことに対して文句を言われたので少し困っている。嘘ですそれどころじゃないです憤ってます。黙れ。ごめん逸れた。ただの愚痴になってもうたわ。

普段から冷静沈着な父は、身体こそ弱ってはいるものの、意気消沈した仕草を少しも見せなかった。どう思い、どう考えているのかはわからないが、毎食後10種類ほどある処方箋薬を飲み、時たま診察や治療(主に胸水を抜くため)で通院している以外は以前と同じように暮らしている。もちろん流石にタバコはやめた。

母は、最も心配である。ステージⅣの肺ガン患者当事者の父を超えてかなり心配である。ガン云々以前からもともとわたし以上に気分の波がグワングワンに激しかったり、怒り方がヒステリックだったり、買い物中毒なところがあったりと「少しおかしいなと思う要素」のよくばりセットみたいな人である。父のガンが発覚したとき、ものすごく落ち込んで泣いて無気力になって食欲がなくなって沈み込んでいた。まあここまでは分かるよ。
しかし沈み込みから回復してからは謎の意欲を得て「Twitterで末期ガンになってからも元気に暮らしている事業家で、ガンに関する本を書いた著者の人がいるから、その人にメールでお話を聞いてみる!」(実際電話までした)「教えてもらったクリニックお父さんに薦める!」「栄養面も大事だからスープメイカー買った!」「宮崎から一般販売してない水買って取り寄せた!」などと妙に行動的になり正直気色悪い。
高額なセミナーやら宗教やらにハマる人ってたぶんこういう人なんだわ、と思った。いま彼女の枕元にある風水がどうのとかいう分度器みたいな飾りもなんか気味が悪い。捨てたい。
医療従事者のたまごのわたしは、こういった積極的行動を起こす先が医療機関の専門家ではなく民間のシロウト当事者や風水とやらであることがかなり悲しかった。

弟や祖母はというと、この件に関して特筆することは特にない。普段の生活の話では弟は年齢差が4つだけであるため、近い世代として意見が合いやすいし、周囲からシスコン、ブラコンと言われるくらいには仲が良い。一方祖母はまあまあ面倒な性格で、人の神経を逆撫でるのがとても上手い。キレやすい母との相性がそれはそれはもう最高に悪くて、毎日母を怒らせてはバカでかい声で家を震わせている。買い物や用事で家を空ければすぐに泣き「1階に誰もいないし(母)も買い物に行ったきり帰って来ない」と家政婦さんに電話を掛ける始末である。(そのとき2階にわたしと弟がいたし、母は祖母にことわった上で1時間強ほど出ていただけ)あとなんか毎朝産み落としたウンチを家政婦さんに見せて確認させる謎の癖がある。飽きずに毎回「ええご立派ですよ〜!」とか言ってくださる家政婦さん優しすぎるが可哀想だろ。

祖父は一昨年に亡くなってしまったが、とても穏やかな人で、怒ることも全くなく、「かわいいおじいちゃん」の権化みたいな人だった。怒声が響きがちな我が家の中での唯一の癒やしのような存在で、黙ってウトウトしてるだけでも可愛くて、今思い返してもやっぱ推せる。好きだったなあ。

至って普通で落ち着いた男性たちと、泣きやすいし落ち込みやすいわたし、いろいろヤバい母、面倒な祖母などメンヘラ女性陣3人組で構成されたわたしたち家族である。穏やか男性陣から医療機関にお世話になることが増えてゆき、父健在のいまから既に我が家のメンヘラ構成率は高い。きつい。自称メンヘラだったけど自分なんてまだ可愛い方っていうかメンヘラ卒したのでは?と思えるレベルである。最近家庭内では泣きついてくる母にもバカでかい声でキレ散らかす母にも突然泣き出す祖母にも(心持ち)チベットスナギツネのような面持ちで生きている。

さいごに

悲しい話なのか愚痴なのかわからない話になってしまったが、父がガンになった話はこれで一旦終結する。
両親もそれ以外の人間も、もちろん自分も含めて誰でも例外なくいつかは何かしらが原因で死ぬし、人生は良かれ悪かれライフイベントの連続である。
いま楽しいと思う境遇に置かれているなら、その楽しいという気持ちを噛み締めて味わいたいと思うし、焼き付けようと思う。読んだ人もそうしてほしい。

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