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求められる音

たまたまの連休、家族で無計画の旅行に行きました。

行き先は、まず福島県いわき市。車で6時間半かかりました(泣)目的はここにあるプールのテーマパーク、映画フラガールで有名な場所です。週末とあって多くの人が来ていました。

朝から夕方まで子供とプールと温泉を楽しみました。敷地内のホテルは満室だったため、近くの温泉街の旅館に泊まることにしました。車で3km程の場所でした。

しかし、雰囲気はがらりと変わり、街はほとんど人が歩いていませんでした。夕方のまだ5時頃でしたが、駅周辺の店もほとんど閉まっていました。夕食を食べれそうな雰囲気ではないため、少し港の方に移動してみました。大きな市場があったのでそこに行ってみました。しかし、ちょうど閉店となるタイミングでした。

仕方なく、隣にあったイオンに入ることにしました。まだ新しく、オープン1周年と書いてありました。中は周辺とは違い、多くの客で混雑していました。イオン内のレストランで食事を済ませ、旅館に向かいました。

旅館に着くとすぐに温泉に入り、部屋でトランプをしていると疲れたのか、子供たちはすぐに寝てしまいました。私も妻は晩酌しながら、翌日の計画を立てました。

旅館内は温泉と少し広めの客室があるだけで、売店やゲームコーナーなどもありません。そして、少し経ってから気がつきましたが、旅館内はどこにも音楽的なものが流れていませんでした。最初は少し落ち着かない感じがしましたが、音がないことに慣れてくると、外から聞こえてくる虫の声や温泉が流れる音が耳に入るのが心地良い感じがしてきました。

朝食は大広間で和膳でした。前日はロビーや大浴場で他の客に会うことがほとんどなく、空いているのだろうと思ってしましたが、朝食には私たちの他にも子ども連れの家族や、女子学生の団体、高齢の夫婦など何組かの客がいました。

最近は子供がいるため、どこに行くにもだいたいバイキング形式の食事が多かったため、和膳の朝食は子供にとっては新鮮だったかもしれません。予想通り、「これ食べれない、あれ食べれない」とわがままを言い出しました。

私としては落ち着いた雰囲気で日本人らしい食事がちょっと嬉しい感じがしました。茶碗のご飯がなくなると、年配の女性がお盆を持って来て、「おかわりはいかがですか?」と声をかけてくれました。私はおかわりをお願いしました。

見ると、食事運びやお茶を入れているのは、すべてこの人がやっており、1人でやっている様子でした。振り返ると前日チェックインの時の少し若めの番頭みたいな人と布団の出し入れをしているおじさんとこの女性以外の従業員は見ていません。人手不足?と思いましたが、ただ、従業員さんは皆常に笑顔で仕事をしていました。

私は東北で震災が起きた翌月に以前勤めていた会社の研修で岩手県の石巻市を訪れたことがあります。あの頃は震災があって間も無く、宿泊した旅館では、食材がないため、まともな食事の提供ができず、従業員も人手がないため、客の皆で声をかけ合い協力した覚えがあります。

場所は違いますが、新しいショッピングモール、心地よい温泉、美味しい朝食、従業員さんの笑顔、まだまだこれからだとは思いますが、ささやかな復興を感じることができました。

朝食を食べ終え、大広間を出た所に「ご自由にどうぞ」とホットコーヒーが用意してありました。私たち夫婦は1杯ずつ頂きました。

この心遣いの1杯は普段飲むコーヒーとは一味違う格別な味がしました。

その後、荷物をまとめ、チェックアウトしました。旅館を出た後は子供のリクエストで東京原宿の竹下通りに向かいました。車で2時間半程の移動、昼前に到着しました。

日曜日の竹下通り・・・若者、子供連れ、観光客、外国人、とてつもない人混みです。朝までいた場所とは対照的な光景です。

いろんな音楽、店先から聞こえる勧誘の声、人の笑い声、車のエンジン音、都会らしく多くの音が飛び交っています。

私たちは子供が目当てのスクイーズの店や、インスタ映えするスイーツなどを楽しんだ後は、東京タワーやお台場と東京観光して回りました。夜まで都会の観光を満喫しました。

無計画のプチ旅行でしたが、充実した連休を過ごすことができました。

しかし、都会の中で少し残念な光景も目にしました。

とある交差点で信号待ちをしている時、車の中から車椅子の女性とその車椅子を押す少し年配の女性が横断歩道を渡っているのが見えました。横断歩道が終わる頃にちょっとした段差がありました。そこで車椅子の車輪が引っかかってしまい、段差をなんとか乗り越えようと必死に車椅子を押していました。信号が赤に変わる間際、なんとか段差を乗り越え、無事横断歩道を渡ることができました。

私もホッとしました。しかし、車椅子が立ち往生している間、その横を何百人もの人が通りすぎて行ったのです。

スマホや音楽に夢中で気づかない人、気づいていながらも見て見ないふりの人、いろんな人が通りすぎて行きました。

私のしている福祉の仕事では、よく人手不足が叫ばれることがありますが、多くの人がいても、1つの問題に対し全員がそっぽを向いた時、人数は無力になるという危機感を感じました。

この連休、いわき市、東京を見て感じたことがあります。

都会にはさまざまなが流れています。しかし、その中には気を紛らわすごまかしのような音もたくさんあります。

多くの音が流れていても、ヘッドホンで好きな音楽を聞いたり、好きな人の話す声を必死に聞いていたり、1人の人が聞いている音は1つだったりします。他の音はなんとなくのごまかしになります。

介護の仕事において、介護施設では現場の雰囲気を大切にします。懐かしい音楽をかけたり、なんとなく退屈になりそうな時はレクリエーションをやったり、さまざまです。

しかし、中にはテレビでニュースを見たい人、散歩に行って外の空気を吸いたい人もいます。

求める音、景色は1人1人違います。

私も静かな間を嫌ってしまうことが多いのですが、たまには無音にして、その無音の中から聞こえてくるリアルな音に耳を傾けてみるのも悪くないと思います。