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ムヒカ大統領の演説

2012年6月にブラジルのリオデジャネイロで行われた「リオ+20 国連 持続可能な開発会議」で、「世界で一番貧しい大統領」といわれるウルグアイの大統領ホセ・ムヒカ氏の演説が行われました。

そもそも、この会議は「持続可能な発展」と「膨大な数の貧困者対策」を話し合う会議であり、経済発展国を中心とした各国要人の演説がされていたものの、誰一人として明快な答えを出せる者はいませんでした。

豊かな生活を送る経済発展国にとって、消費経済・市場経済こそが自分達の生活レベルを維持してくれている現状にあっては、そのペースを抑える「持続可能な発展」は足枷でしかなく、また、「貧困者対策」においても自らの生活水準を下げてまで貧困層に富を配れるはずがないのであるから、当然と言えば当然のことでしょう。

そんな中、参加国の中でも小国であるウルグアイの大統領に注目する人は殆どいなかったのも仕方のないことです。ノーネクタイに決して高級そうには見えないジャケットを着た77歳の老人の登壇は、式典の一つの時間潰しにしか見えなかったのです。

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
 
 
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
 
 
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。
 
 
国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない「素直な志」をここで表現しているのだと思います。
 
 
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。
 
 
午後からずっと話されていたことは" 持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと " でした。
 
 
私たちの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
 
 
質問をさせてください。
 
 
ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。
 
 
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。
 
 
同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?
 
 
可能ですか?
 
 
それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
 
 
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
 
 
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。
 
 
マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
 
 
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
 
 
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で
「みんなの世界を良くしていこう」
というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
 
 
どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?
 
 
このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。
 
 
その逆です。
我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
 
 
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。
 
 
逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。
 
 
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。
 
 
幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
 
 
人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。
 
 
命よりも高価なものは存在しません。
 
  
ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
 
 
消費が社会のモーターの世界では、私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。
 
 
消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
 
 
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。
 
 
ということは...
 
 
"10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会" 
 
 
にいるのです!
 
 
そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。
 
 
人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。
 
 
悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。
 
 
これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
 
 
石器時代に戻れとは言っていません。
 
 
マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。
 
 
私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
 
 
昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
 
 
 
「 貧乏なひととは、少ししかものを
  持っていない人ではなく、
  無限の欲があり、いくらあっても
  満足しない人のことだ 」
 
 
 
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
 
 
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。
 
 
私のスピーチの中には、耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
 
 
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。
 
 
そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
 
 
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。
 
 
私の国には300万人ほどの国民しかいません。
 
 
でも、1300万頭の、世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。
 
 
ヤギも800万から1000万頭ほどいます。
 
 
私の国は食べ物の輸出国です。
 
 
こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
 
 
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。
 
 
そして今では、8時間労働を獲得した人もいます。
 
 
しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。
 
 
なぜか?
 
 
バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。
 
 
毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。
 
 
私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
 
 
そして自分にこんな質問を投げかけます。
 
 
"これが人類の運命なのか?"
 
 
私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。
 
 
発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。
 
 
発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
 
 
愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。
 
 
これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。
 
 
環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
 
 
ありがとうございました。
 
出典:Hana.biさん
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「 貧乏なひととは、少ししかものを
  持っていない人ではなく、
  無限の欲があり、いくらあっても
  満足しない人のことだ 」

私は、豊かな国の心貧しい人間の一人なのかもしれません。

物に溢れているのに、まだ満足していない。もっと欲しいと願っている。

そして、科学や情報技術の発展こそが望ましい世界であると信じている私がいます。

しかし、発展が、幸せを阻害することがあるということを考えたこともありませんでした。

改めて、持続可能な世界、貧困を無くし、みなが共存、共栄できる世界を目指していきたいと思います。

今日もnoteを読んでいただき、ありがとうございました。

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