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2017年と、今日からのこと。

2017年は、動いて動いて、また元の場所に戻ってきたような、そんな一年だった。

思えばここ数年、立ち止まってばかりいたように思う。
コレがやりたい、アレがやりたい。
そう考えては結局行動せず、そんな自分を責めて、それでも何もしなかった。
周りを見渡してはみんながどんどん進んでいくようで、比較しては羨んだり安堵したり、自分じゃない誰かばかり見ていた気がする。
そうしてもやもやと数年を過ごしていた。

子供が1歳を過ぎて、だんだんと仕事のことを考えるようになった。
早々に就活をあきらめ卒業後はすぐ結婚しアルバイトをして過ごしていた私は、まともに就職した経験がなかった。
それは気付くとずっと私の悩みの行き着く先となっていて、一時期は周りにクリエイティブな仕事をバリバリしていると嘘をつくほどにコンプレックスだった。

子供を妊娠してから、もう嘘をつきたくないと思った。

行動に移したのは、2017年の4月だった。
マザーズハローワークという、子供を持つ母親の就職支援に特化したハローワークへ子連れで行った。
ここには託児スペースがあり、子供を預けて求人を検索したり面談を受けたりすることができる。
15分以上の子連れでの電車移動はぐずると困るので避けていたので、マザハロのある渋谷まで子と二人でベビーカーで出てきたということ自体にも達成感があったのを覚えている。

一応そこで勧められた派遣事務の仕事に応募したものの、どうしてもデザインや編集など、自分の好きな業種の求人ばかり目がいってしまう。
面談を担当してくれた職員はゴリゴリのオバちゃんでとても良い人だったが、「自分のやりたいことを考えるのも良いけれど、家庭が一番だ」というような話が、当時の(といっても10ヶ月前だが)自分にはなんだか、せっかく家庭から浮上した自分をまた沈めこまれるようで単純に嫌な気持ちになった。

帰り際、デザイナー養成の職業訓練のチラシを掴んで持って帰った。
締め切りが2日後で、帰ってから連絡し、管轄のハローワークで急遽手続きをした。

職業訓練は定員もあり受かるかどうか分からなかったが、保育園探しも並行してしていく必要があった。
詳しいことは自治体によるが、仕事探しと保育園探しの流れについてはマザーズハローワークで相談できるので便利だった。

ちなみに、この時点では認可も認証も認可外も、意味がよくわかっていなかった。
一晩かけて保育園のことを調べ、言葉の違いについても勉強した。
残された2週間足らずの期間で、空いている保育園をリストアップし片っ端から見学予約の電話を入れ、見学に行く。
選択肢は少ないが預け先がないという状況ではないということがわかり、なんとか子供の預け先も見つかった。

そうした中で、無事職業訓練の受講が決まり、2017年の春、念願だったデザインの勉強がスタートした。

実は私は、多摩美を卒業している。
しかし、絵を描いたりするわけでもない怪しげな科で、入試はセンターの点数だけで通過した。
元は国立大の教育学部のデザインコースを志望していて、長期休みや入試直前には上京して予備校に通っていたりもしていた。
だが、志望校には落ちて、たまたま記念にと軽い気持ちで願書を送っていた多摩美のその怪しげな科に入ることになった。

怪しげな科での4年は楽しかったが、PhotoshopもIllustratorも覚えずに終わった。
何か作りたい、何かやりたい。
フォトショもイラレも使えるように勉強してみたい。
そう思っていただけで行動にうつしたことはほぼなかった。

美大を出てるのに、何もできない。

自分でコンプレックスを作っては悶々としていた。

その数年間のコンプレックスが、1ヶ月で変わった。
基礎レベルとはいえど、やりたいけど出来ないと悶々としていたフォトショとイラレが使えるようになった。

行動にうつすことで、こんなにも景色が変わるんだと、久しぶりに気がついた。

保育園の関係で、訓練校のほかの人たちより早く就職を決める必要があり焦りもしたのだが、思いの外早く、というか初めて面接に行った会社で採用が決まった。
訓練期間はあと1ヶ月半ほどあったけれど、学ぶことは粗方学び、授業が終わって卒業制作や企業研修がメインとなるタイミングだったこともあり、退校して小さな雑貨メーカーのデザイナーとして就職した。

正直ダサい商品しかない会社だったが、雑貨のデザイナーは念願の仕事だった。

思えば遠くまで来たものだ。
そんな心地だった。

しかし、仕事を始めて1ヶ月余り、突然そのダサい雑貨メーカーをクビになった。
もともとは40代のガチのベテランを採用したかったようだったし、本当に小さな会社だったので私のような未経験にイチから教える時間も金もないというのは薄々気づいていた。

正直、居心地は最悪だった。
あと一年でも我慢すれば辞められる。

そう思っていたから、呼び出されてクビと言われたときは真っ先にホッとした。
ただ、保育園を継続できるかどうかの事情が不安だった。

再びマザーズハローワークに行き、春に「家庭が一番だ」と言っていたオバちゃんの元へ舞い戻った。
あなたの好きなデザインの仕事を探しながら、しばらくココで働いてみな!と相変わらずゴリゴリと勧めてくれた職場で働きはじめた。
それが、12月のことだ。

クリープハイプの「社会の窓」が常に脳内で再生されているくらい誰にでもできる仕事だけれど、平日休みの夫に合わせて週4に勤務を減らしたことで自分の時間もでき、人手が多いから気兼ねしすぎず体調不良で休むこともできる。

ずっとなりたかったものになって、再びここに戻ってきた。
去年はそんな一年だった。

だけど、自分自身は明らかに違っている。
今の自分は、動いたら景色が変わることが分かった。
2016年の12月末の写真を見返すと、その時の自分にはには想像もできなかったような景色をたくさん見たことを誇りに思える。

体調不良と看病続きの疲労のせいか、しかしながら単調な仕事で悶々と過ごす時間が最近増えてきた。
またあの自分を卑下して何もせずに立ち止まった数年間の中に、すぐに戻りそうなくらい。

そんな自分にいま気づけたのを幸いと思って、2018年は手を動かしたい。

作りたいものを作れる自分になったのだから、やりたいことをやれる自分になる一年にしていきたい。

今の自分は、たとえたらお土産を持って帰ってきた寅さんみたいな感じなのかと思ったけれど、ググったらなんか違いそうだった。
そもそも寅さんがお土産を持って帰ってくるのかすら知らない。
正直まともに観たことがないから無理があった。

手を動かす。
やりたいことをやる。
とりあえず具体的には、今年こそ空耳アワーにハガキを送りたいと思っている。


#日記 #エッセイ #育児




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