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【お手本作品】タオルミーナの魚/吉川トリコ【#夜更けのおつまみ】

 三年ほど前に苛烈な旅をした。

 三十代半ばの女三人でイタリア、スペイン、フランスを三週間かけてまわる自由旅行―というと、一都市に二、三日滞在し、観光地をまわったりショッピングを楽しんだり、生演奏を聴かせるレストランで地元の料理とワインに舌鼓をうったりするような大人の旅だと思われそうだが、私たちの旅はそんな優雅なものではなかった。旅の道連れA子の「あっちも行きたいこっちも行きたい」という要望に応えているうちに、一泊したらすぐ次の町へと移動を重ね、宿代と時間節約のため夜行列車を利用することもしばしばで、滞在時間より移動時間のほうが長いんじゃないかというほどハードな旅程となってしまった。フィレンツェは半日、コルドバは三時間、アッシジに至っては、まだ電車の動いていない早朝に朝靄けぶる古都をざっと流して「済」のスタンプを押した。

 ハードなスケジュールもさることながら、トラブル続きの旅でもあった。三日目のナポリでパスポートを盗まれ、タオルミーナへと向かう寝台列車でおかしな男につきまとわれ、リヨンでは宿が取れずに夜の町をさまよい、最後に辿りついたパリではA子がスリに遭い、ノートルダム大聖堂のふもとで窃盗グループの女たちとキャットファイトを繰り広げた。

「早く日本に帰りたい……」

 その逆はあれど、旅先でそんなことを思ったのははじめてだった。安宿の固いベッドの上で毛布にくるまって何度べそをかいたことか。

 それでもなんとかくじけずにいられたのはごはんがおいしかったからだ。三人とも食いしん坊で、貧乏旅行なりにできるだけおいしいものを食べようということで意見が一致していたのがさいわいだった。移動の車中でガイドブックを突き合わせ、その夜のレストランをどうするかじっくり相談して決めた。日中めまぐるしく動きまわっているので、ワインを飲みながら夜更けまで語り合うような元気はとてもなく、食事を終えたらさっさと宿に戻ってバタンキューだったのが残念ではあったけど、吟味した甲斐あってかどこも安くておいしいレストランばかりだった。

 干し鱈をもどして茹でたじゃがいもとペーストにしたもの、野菜のスープにパンを入れてくたくたに煮込んだパン粥、焦がし玉ねぎのオイルソースでソテーしたフォアグラ等々、日本に戻ってから真似して作った料理がいくつかあるが、中でもとくに頻度が高いのがタオルミーナで食べた魚のソテーだ。

 ナポリでパスポートを盗まれたばかりの私は、その翌日に訪れたタオルミーナでほとんど自棄になって大はしゃぎしていた。青の洞窟を見に行くために乗ったボートでは、どういうわけだか笑いが止まらずにずっとげらげら笑っていた。海も空もばかみたいに青く、ラジカセからは「ゴッドファーザー」のテーマが流れ、ふりかえると絶壁にへばりつくように赤い屋根の家々が建ち並んでいる。嘘みたいな景色がおかしくてまた笑い、船酔いしたA子がボートの上からげえげえ吐いているのを見てさらに笑った。

 この旅で唯一のリゾート地というのもよかったのかもしれない。あたふたとめまぐるしい旅程の中で、タオルミーナだけは時間の流れ方が異なり、ゆったりと開放的な気分でいられた。

 その夜、レストランで出てきたのが前述の一品。地中海で獲れたカジキをにんにくオイルで焼いて、刻んだイタリアンパセリを散らし、最後にレモンを絞っただけの料理ともいえない料理なのだけれど、よく冷えたシチリアワインとの相性がばつぐんでほんとうにおいしかった。

 それまで魚料理にはどうも苦手意識があったのだが、この調理法に出会ってからというものカジキに限らずなにか良さそうな魚が売っていればすすんで求めるようになった。刺身用のまぐろが安く手に入った時には、タタキの要領で軽く両面を炙ってレアでいただく。ちょっと醤油をたらしてもおいしい。秋刀魚や鱈、イカやエビなんかでも。春には菜の花や筍、夏にはズッキーニやオクラ、ほかにもアスパラ、芽キャベツ、モロッコインゲン等々、旬の野菜もいっしょに焼いてしまえば立派なひと皿のできあがりだ。


レシピ
①フライパンに潰したにんにくとオリーブオイルを入れ、弱火でじゅくじゅく香りが立つまで火を入れる。
②おこのみの魚をじゃっと入れて焼く。両面焼き色がつくまで香ばしく焼いた方がおいしいけれど、あんまり強気に強火でやると生焼けになるので注意!
③塩で味付けして、刻んだイタリアンパセリを散らし、レモンを搾っていただきます!

*吉川トリコ(よしかわ・とりこ)*1977年静岡県生まれ、名古屋在住。2004年、「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞を受賞。著書に、映画化された『グッモーエビアン!』ほか、『しゃぼん』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『女優の娘』「マリー・アントワネットの日記」シリーズなどがある。
このnoteは、キリンビール×ポプラ社 の「 #夜更けのおつまみ 」コンテストの参考作品として3月刊行のポプラ文庫『夜更けのおつまみ』から事前公開したものです。

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