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葛飾柴又

所在地:東京都葛飾区柴又
アクセス:京成金町線柴又駅
指定:平成30年(2018)2月13日 国重要文化的景観
訪問日:2024年3月3日

『男はつらいよ』でおなじみの葛飾柴又へ行ってきました。
お目当ては帝釈天の名前で親しまれている経栄山題経寺(ぎょうえいざんだいきょうじ)。
建物も彫刻もすばらしいので、てっきり文化財指定を受けていると思っていたのですが、調べてみると、指定されていないんですね。
指定されていなくても、文化財であることに変わりはありませんが。

柴又の町全体が、重要文化的景観であることを知りました。
・都内23区にありながら残っている農地と農家の屋敷構えをもつ旧家。
・帝釈天題経寺と門前。
・江戸川の水路やそれに沿った自然。
といった主に3つの観点から指定されたそうです。

重要文化的景観とは?

地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの

文化財保護法第2条第1項第5号

葛飾区はこの「生業」を重視しています。
つまり、生活に根ざした町でありたい、と(私の理解)。

東京大学名誉教授の伊藤毅氏は「かけがいのない日常風景」と表現しています。
開発圧力に負けないぞ、という意気込みも語っていました。



柴又駅前の寅さん像


旅立つ前に故郷を振り返る姿。
寅さんって、そんなにいいかなあ、だってふーてんでしょ?
テキ屋殺すにゃナイフは要らぬ、雨の3日も降ればいい、んでしょ?
憧れる?

筆者撮影


帝釈天参道

柴又駅の目の前から、帝釈天までおよそ200m 。
たくさんの人がお参りにくる庚申の日に、近くの農家が副業としてお店を出したのが始まり。
「一店一品」が原点だったそうです。

筆者撮影
出典:葛飾区柴又帝釈天参道商店街神明会
「観光Map」

川魚専門店『ゑびす家』

筆者撮影


川魚というと、私は鮎の塩焼きが真っ先に浮かぶのですが、柴又ではうなぎと鯉。
吉田兼好の『徒然草』に、「鯉は天皇の御前で捌くことが許された唯一の魚」と記されているそうです。
鯉の滝登りという言葉もありますし、風格がありますね。それだけに食べたるのはちょっと怖い。


飴屋『松屋の飴』

トントコトコトコ、トントコトコトコ、「飴切り音頭」の軽快なリズムに合わせて、小刻みに飴を切ります。
最後は包丁をくるっと一回転させるパフォーマンスも。

筆者撮影


寅さんでおなじみのお団子屋さん『とらや』

葛飾は古来よりお米の産地で、江戸時代には「葛西米」と呼ばれていました。
よもぎは江戸川の土手でよく採れたそうです。

寅さんの撮影に使われた建物(明治20年築)は老朽化のため、平成元年に現在の建物に建て替えられました。

筆者撮影


帝釈天 題経寺

到着。
松の木がかっこ良すぎる。
「瑞龍のマツ」と呼ばれるこの松は、平成28年(2016)3月11日に東京都指定天然記念物になりました。

題経寺のご本尊は「帝釈天の板本尊」。
長い間行方不明になっていましたが、安永8年(1779)の春、庚申(かのえさる)の日に発見されました。
そのため庚申が縁日となり、御本尊が開帳されます。


寅さんが御神水を産湯としてつかったことで有名(らしい)御神水。
手を清めてからお参りします。

筆者撮影


帝釈堂内殿は、東・北・西の壁3面が装飾彫刻で覆われていて「彫刻ギャラリー」になっています。
大人一人400円。撮影可です。

精緻な「法華経説話彫刻」は全部で10面あり、10人の彫刻家が担当しました。
1面がこの厚み、どうやって彫っているんだろう。
4枚の板を重ねて、立体的にしているのだそうです。

拡大してみます。
象に乗っているのは、まさに帝釈天ですね。
帝釈天は軍神・武勇神インドラと言われていた神様で、本来はとても強い。
仏教に取り入れられたときに、守護神となりました。

嘔吐してるお父さんを介護する息子(とは限らないけど)に目がいってしまう。


庭園 邃渓園(すいけいえん)

東京都向島の庭師、永井楽山翁が昭和40年、92歳まで心血を注いだという最後の作です。
邃渓園は「庭園の滝の風情が幽邃でもの静かである」から命名されました。
彫刻ギャラリーと共通チケットで拝観できます。

筆者撮影

庭園と廊下は撮影可ですが、室内は禁止とのこと。
室内には横山大観「群猿遊戯図」(彫刻下絵)がありました。

回廊がぐるっと一周しているので、360度から庭園を鑑賞することができます。

椅子にすわってゆっくりくつろいでいる方もいらっしゃいました。
時間によって、庭園の雰囲気が変わるのでしょうね。


矢切の渡し


江戸川河川敷にはためく「矢切の渡し」の幟。
広ーい河川敷に、ぽつんと立っています。
土手を歩いていると、見渡す限りの河川敷、遠すぎて見逃しがちです、風が止めば文字は見えないし。(2往復してしまいました)。

筆者撮影

細川たかしが歌うその歌詞を、「矢切の私」だと思っていた子どもは、私だけではあるまい。
当地と千葉県とを結ぶ、古代から近世まで続いた交通の結節点であり、都内に唯一残っている渡し場です。

鎌倉時代の『保暦間記』(書かれたのは14世紀)に「頼朝の軍勢が須田(墨田)、八切(矢切)を渡って…」とあるそうです。
そんな昔から!

向こう岸へ行くこともできますし、往復することもできます。
片道200円。
乗ってみます。

桟橋

最初は手漕ぎでしたが、途中で、「あー疲れた、もうだめ」と先頭さんが言い、エンジンをかけました。「ガソリンは高いし、血糖値は高いし」という茶髪の先頭さん、お疲れ様です。

レンガ造りの取水塔。

最中とお団子と奈良漬をお土産に買いました。



<参考資料>
「葛飾柴又の文化的景観」ニュースvol.1~6 令和3年〜令和5年

柴又帝釈天公式webサイト
http://www.taishakuten.or.jp/

葛飾区郷土と天文の博物館公式webサイト
https://www.museum.city.katsushika.lg.jp/bunkazai/shibamata/index.php

葛飾区柴又帝釈天参道商店街神明会公式webサイト
http://shibamata.net/map/map.html

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