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鬼の宿

節分は鬼の厄日です。
「福はうち、鬼はそと」
家を追い出された鬼は、その後どうなるのでしょう。

東大和市奈良橋には、その鬼を「厄神さま」として迎え、毎年宿をする家があります。まわりではその家を「鬼の宿」と言っています。
節分の日、まだ豆まきが始まらない明るいうちにご飯を炊き、水とともに大神宮様の脇に祀っている厄神さまにお供えします。豆まきが始まると、行き場を失った鬼たちが集まってきます。
もちろんこの家では豆をまきません。目刺しを門口に飾ることもしません。

優しい人がいるものですね。
「宿」というくらいなので、鬼は泊まっていくのでしょう。
お家の人は、鬼が怖いとは思わないのでしょうか。
親切にもてなしたことで、居心地がよくてしばらく滞在したり、居ついてしまう、そんな心配はないのでしょうか。
あるいは、鬼はお礼に、このお家に福をもたらすのでしょうか。


調べてみると、小平市にも「鬼の宿」があることがわかりました。
節分の日の夕刻、台所の神棚に神酒、灯明、小豆飯を供えます。
鬼が来ると、「鬼はそと」が聴こえないように窓を閉め、テレビの音を消して静かに過ごします。
夜中の12時過ぎ、鬼を送り出します。供えた小豆飯に神酒をかけて、家のまわりの四角に置く、そうすると、鬼はどちらの方向にも帰れるらしいです。このとき小豆飯を運んでいる姿を人にみられてはいけない、また家に戻るときに後ろを振り返ってはいけない、との謂れがあるそうです。
この風習は170年続いているのだとか。


東大和市にしろ小平市にしろ、「鬼の宿」を行っているのは普通の民家であり、なぜするようになったか理由はわかっていないようです。


由緒がはっきりしているのが、奈良県天河大辨財天社。
天河社社家は、前鬼・後鬼※の子孫と伝わっているため、鬼はご先祖さまです。
節分の前日に「鬼の宿」として鬼を迎え、布団を敷き、握り飯と梅干しと水をお備えします。
翌朝には手桶に砂が沈んでおり、鬼が手を洗った=泊まった、と確認するそうです。
節分当日は、歳男により「福はうち、鬼はうち」といいながら福豆がまかれます。

出典:天河大辨財天社公式HP

前鬼・後鬼は、役小角(えんのおづぬ)が従えていた鬼夫婦。
役小角は飛鳥時代の呪術者で、葛城・吉野・熊野などの厳しい山々で修行し神通力を得たため、修験道の開祖とする説があります。
あるとき夢のお告げで、鬼夫婦が人間の子どもを捕まえていることを知り、生駒山で待ち構え、調伏しました。
鬼夫婦は反省し、改心したので、役小角は、前鬼には義覚(ぎかく)、後鬼には義賢(ぎけん)という名前をつけて弟子にしました。
以来、鬼夫婦は修験僧たちのお世話をし、また5人の子どもたちは役小角の呪術で人間になり、それぞれ宿坊をつくり、修験僧たちの支援を続けたそうです。

葛飾北斎「北斎漫画」 前鬼・後鬼をを従えた役小角
出典:wikipedia

カバー写真:我が家の恵方巻


<参考資料>

『東大和のよもやまばなし』
編集:東大和市自主グループ郷土史みちの会 平成元年(1989)

小平市図書館/こだいらデジタルアーカイブ
https://adeac.jp/kodaira-lib/text-list/d100010/ht003910
市報こだいら 2018年1月20日
https://www.city.kodaira.tokyo.jp/shihou/058/058959.html

天河大辨財天社公式Webサイト
https://www.tenkawa-jinja.or.jp/saitenshinji


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