協調性の無い柔道整復師が始めた同業者向けに始めたブログ

夢を持って資格を取った柔道整復師。私の場合は実家が接骨院だったので言われるがままに資格を取得する道に行きましたが(笑)。周りには昔スポーツに携わる人が多く、自分とは空気感が違いを感じました。

あれよこれよと資格を取得し、大手整骨院グループに入社。田舎町から都会への上京に胸を弾ませましたが、現実は超絶ブラックの業界。当時はそれが当たり前だったのでひたすら耐えましたが、今思えばとんでもないとこでした。今もそうなのだろうかと心配(新卒の若者が)

3年勤務後、実家を継ごうと田舎に逃げるように戻って、これでようやく腰を据えるんだろうなと思っていましたが問題勃発。親との価値観の違い、方向性の違い、実家の束縛に耐えられなくなってしまった、都会と田舎の時間軸の流れの焦り。

僅か半年間で「自分の人生このまま腐っていくんだろうか」という焦りから再度実家を出ることを決意。とりあえず30歳まで再度修行をするという事で、整骨院で学べなかったリハビリや外傷が診たく整形外科へ勤務を決意。

整形外科の勤務が決まり、新しい門出に心を躍らせながらのスタートは僅か一週間で終わりを告げます。人間関係が超絶ブラック。後輩を下僕として扱う問題児や、それを見て見ぬふりをする周りの先輩上司。精神的に不安定な院長や泥沼関係の事務受付。

そこに追い打ちをかけるように、実家の土砂崩れ警戒区域認定。土地としての価値がなくなるらしい(よくわからないが)父親から告げられたのは「実家を継がずに自由に生きてくれ」と

しかしこれが逆に転機となり、いずれ継がなくては、から自由に生きていいになり、心が楽になりました。

それから整形外科になんとか正社員として1年半ほど勤務し、独立を見据えて、都心港区に矛先を変えて、正社員を辞めて港区のスポーツジムとのダブルワークを始めました。

スポーツジムは勤務内容的に楽でしたが、ここでも人間関係に悩まされました。報酬が自給+完全歩合制だったので、日に日に顧客を獲得していったのが気に食わないのか、最初は優しかった周りスタッフが急に冷たくなり孤立しました。

ここまでの経緯を見ると、もしかしたら自分が周りとなじめず、性格に問題があったのかもしれませんが(笑)それでも自分は自分。

長くなりましたがこんな感じの経緯を生きています。この後に自分で会社を起業していくのですが、ここでまた人間関係や事業の大失敗を繰り返します。

私が伝えたいのは、柔道整復師はもっと自由に生きていい。形にとらわれず自由な仕事スタイル、生き方、人間関係でも良いのではないかという事。

自分が侵した失敗や経験談を二度と繰り返さない為、自分自身の記録とそれを伝えて一人でも多くの同業者の方の手助けになればと思います。

真面目な内容から、少しおふざけの内容もありますが、もし目に留まったら見て頂ければと思います。

この記事が参加している募集

業界あるある

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?