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音楽は記憶を連れてくる

たぶん二十歳を過ぎたあたりから

音楽はただ聴くだけのものではなくなった

曲を聴いていた当時の自分だったり
時間を共にした人、聴くきっかけをくれた人が
頭に浮かぶようになった

社会人1年目
- BUMP OF CHICKEN

地獄の店舗研修の幕開け

めちゃくちゃ左脳派なので、
感情論で教えられても正直ピンとこない

そしてなにより人がどんな服を着ようが興味がない
(自分が着たい服だけ着てればよくないですか?)

そんな私にとって
“アパレル店員”という職業が本当にしんどかった…

心を無にして服を売れば売るほど
精神がすり減っていく感覚

川崎駅に近づくと心臓がむずむずしてきて
その精神をバンプのRAYを聴いて
どうにか仕事に行けてた気がする


社会人2-4年目
- スピッツ

1年間の販売員研修を終えて
念願のプレス業務だったはずなのに余裕がない

自分のキャパシティ以上の業務に追われて
先輩も後輩もいっぱいいっぱいなのが分かるから
頼れない

そんな状況が2年くらい続いて

仕事のことを忘れられる時間は
ノイズキャンセリングでスピッツを聴いているときだけ

その時間だけはスイッチが完全にオフになって
寝過ごすこともしばしば

この当時なんの躊躇もなく寄りかかれるのは
正宗さんの歌声だけだった


社会人5年目(現在)
- ASIAN KUNG-FU GENERATION

自分で想像していたよりも早く
夢だった仕事に就けた

うれしい半面、
ゴールテープを切ってしまったことで
次はなにをどんな風にがんばったらいいのか
分からなくなった

そして過酷さを覚悟して
自ら望んで選んだ仕事なのに

“楽しい”という感情が湧き出る隙間もないくらいの
忙しさと無力さに打ちのめされる

大好きな雑誌だったはずなのに
今は心から好きだと言えない

好きだったものを作る側になって
自分が好きでいられなくなる

そんな自分から生まれた雑誌に
だれが心掴まれてくれるんだろう

寝たい、つらい、やめたい
でもやめない

これはただの頑固だと思う
それでも今はまだ続けたい

そんなぐちゃぐちゃの日々の中で
深夜テンションで取ってしまったアジカン宇都宮公演に

優しくもキツくもない
アジカンの音楽が心地よかった


音楽は記憶を連れてくる

きっと数年後もっと大人になった時
この曲を聴くとともに
この記憶たちが蘇ってくる

そしてその音楽を共有している人がいた場合
親友だろうが元彼だろうが、
曲を聴くたびにどうしても思い出されてしまう

=自分だけの曲ではなくなる

だからこそライブに行くのもフェスに行くのも
好きな人とだけがいい

大好きな曲を聴いて嫌いな人を思い出したくないから

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