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「研究授業はめんどくさい」

とほとんどの教師が思っている。

にもかかわらず!

その本音を表立って言う教師は少ない。

研究授業は嫌なものである。私も嫌だ。

なぜか。

ほとんどの研究授業は「参観する他の教師の答え探し」になってしまっているからだ。

本当は「教師⇔子ども」であるはずの授業が「教師⇔教師」になってしまう。見に来る教師の目線がどうしても気になる。

授業後の研究会で他の教師に自分の授業を批判されるのは

か・な・り嫌である。

こんな中で、新しい授業の提案なんてできるわけない。

結局、過去の誰かの実践になぞらえた

あたりさわりのない授業になってしまう。

当然だ。そうすることが一番リスクが少ないからだ。

あと、指導案もめんどくさい。

本来、指導案は授業をする先生のためのものだ。

これも、参観する他の教師のためのものになってしまっている気がする。

小学校の学習指導案でよくある

「本学級の児童は明るく活発で・・・」という書き出し。

そりゃ大体の子どもはそうだろ。

暗く陰気な子どもばかりの学級の方が珍しいだろ

指導案の書き方がおおよそ決まっているのもなんだかやりづらい。

1時間、子どもとどう学んでいくかを考える授業研究は

本来もっとクリエイティブで楽しいはずだ!

もっと教師それぞれの個性が出ていいはずだ!

参観者もそんな生き生きとした教師の授業が見たいはずだ!

しかし、どうしても周りの教師の目を気にして萎縮してしまったり

面倒な指導案作成の負担が大きかったりする。


研究授業のイメージを変えたい

そこで、私の勤務する学校では今年度

指導案と授業後の研究会のない「ゆるふわ」な研究授業を行っている。

実際にやってみると・・・

指導案がなくても、
授業者のやりたいことは見れば大体わかる。

研究会がなくても、
授業の最中や後で、参観者どうしで授業について話し合っている。

授業者の負担は少なく、参観者もなんらかの学びがある。

こんな研究授業のカタチもありなんじゃないか。と思えてきた。

だって、授業は本来楽しいはずだから。

重く面倒な研究授業のイメージを、なんとか変えてみたい。










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