ゆるふわ教育論

小学校教員です。 「教育はもっとゆるくてふわっとしてもいい。」 自分の日頃の思いを…

ゆるふわ教育論

小学校教員です。 「教育はもっとゆるくてふわっとしてもいい。」 自分の日頃の思いを投稿していきます。

最近の記事

新年度こそ「ゆるふわ」で

嫌でも忙しくなる新年度、気持ちだけでも「ゆるふわ」で臨もう! もうすぐ新年度ですね。 教師にとっての春休みは、なんだかんだ毎日バタバタと忙しいものです。 そしてすぐに4月1日がやってきます。 新年度の職員室の雰囲気は、その時しかない独特のものがありますよね。 みんなアドレナリン全開でハイになってる感じです。 普段やる気のない先生もハツラツとしているし、いつも暗い先生もなぜか笑顔全開です。キャラ違うやん。 それもそのはず、年度初日から始業式までのカウントダウンは始まってい

    • 授業者がしゃべらなくていい授業研究会②

      授業者に優しい授業研究会にしたい! という思いで、「授業者がしゃべらなくていい授業研究会」を行いました。 一言でいうと、グループ協議が中心の「参観者がしゃべる授業研究会」です。 目指すイメージ小学校での一般的な授業研究会は下のようなイメージです。 今回は、それを下のようなイメージを目指して研究会を行いました。 研究会の流れ 実際には、次のような流れで行いました。 ①参観者が、授業の気づきを付箋に書き出す。 ②グループ内で、それぞれの気づきを共有し、協議する。  (付

      • 授業者がしゃべらなくていい授業研究会①

        公開授業の何が嫌か。 私は授業後に行われる「授業研究会」が憂鬱です! たくさんの人に自分の授業を見られる。 それだけでもものすごくエネルギーを使います。 それなのに! そのあとすぐに批判必至の研究会があるなんて! まさに地獄の第2ラウンドです。 「むしろ後の研究会の方が本番だよ・・・」なんて本音もよく聞きます。 普通の授業研究会では、まず授業者の懺悔からスタートします。 「今日の授業の反省点は・・・。」 「普段の授業で気をつけていることは・・・。」 「本当はこう

        • 「あいまい」を楽しむ

          教師が授業をすると、その1時間の中で 「答え」なり「まとめ」なりを出します。 私も、授業後に子どもたちがスッキリした顔で、 「今日はこれがわかった!」「できた!」と 満足してもらえるとうれしいです。 教師としての自信にもなります。 そんなわかりやすい授業、よくわかる授業が ずっと「良い授業」とされてきました。 そりゃそうでしょう。 ・・・。 本当にそれは「良い授業」なのか? 最近、少し考えるようになってきました。 「わかったこと」「できたこと」がはっきりする授業は

        新年度こそ「ゆるふわ」で

          「研究授業はめんどくさい」

          とほとんどの教師が思っている。 にもかかわらず! その本音を表立って言う教師は少ない。 研究授業は嫌なものである。私も嫌だ。 なぜか。 ほとんどの研究授業は「参観する他の教師の答え探し」になってしまっているからだ。 本当は「教師⇔子ども」であるはずの授業が「教師⇔教師」になってしまう。見に来る教師の目線がどうしても気になる。 授業後の研究会で他の教師に自分の授業を批判されるのは か・な・り嫌である。 こんな中で、新しい授業の提案なんてできるわけない。 結局

          「研究授業はめんどくさい」

          「こだわり」は「とらわれ」を生む?

          「こだわり」をもつことは良い面と悪い面があると考えます。 それぞれの「こだわり」 教師はそれぞれに「こだわり」をもって日々子どもと向き合っています。これまでの経験や、得意分野や、ライフスタイルなどから、それぞれが価値観を持っています。 これが、教師の「これだけはゆずれない」という「こだわり」となります。 「こだわり」のよさ教師がそれぞれ「こだわり」をもって教育を進めることで、その教師にしかできない教育的効果が期待されるでしょう。 子どもは教師の「こだわり」によって能力を

          「こだわり」は「とらわれ」を生む?

          教師は教育書を読むな

          というのは言い過ぎですが、 教育書「ばかり」読んではいけないと感じます。 教育以外の本をもっと積極的に読むべきだ! 教師は世間知らず?「教師は社会を知らないまま仕事についたから世間知らずだ!」 日本の教師はよく揶揄されています。 正直ムッとする。 しかし、半分は正解だと思います。 😡社会を知らないまま?じゃあその「社会」ってどこやねん!  十分社会の中でやっとるわ! 😢正直、社会人のマナーなんてわからん・・・名刺交換もしたことない。  教師は仕事の成績悪くてもクビに

          教師は教育書を読むな

          教室における「みんなちがってみんないい」の違和感

          「みんなちがってみんないい。」 教師なら誰もがそう思っているし、そう思うべきだし、子どもにもそう思ってほしい。 「同じ」を強調する教師しかし、教室で子どもに語る時には 逆の意味のことばかり言ってしまう。 「みんなと同じようにしなさい。」 「あなただけ特別扱いはできない。」 「普通そんなことしないだろ。」 「みんなに合わせないと迷惑だろ。」 といった子どもを叱る言葉。 「みんなの気持ちが一つになったね。」 「今日の学習は全員理解できたね。」 「みんな6年生らしくなって

          教室における「みんなちがってみんないい」の違和感

          「遠回り」の価値

          「先生、自分が授業をやってみたい。」 クラスの子ども(2人)がそう言ってきたので、1時間授業をまかせてみることにしました。 子どもには算数の指導書のコピーと、自分がいつも使っている板書計画のノートを渡しました。 その子たちは休み時間や自習の時間に楽しそうに「教材研究」を行い、授業前日の放課後には「模擬授業」も行っていました。 授業当日は、授業者の子どもはとても緊張した様子でした。 他の子どもたちはなんだか楽しそうです。 授業者の子どもは、いつも私が行っている流し方

          「遠回り」の価値

          「好き」を子どもに押し付けないようにしよう

          おもしろい本を読みました。 著者が一番伝えたいことは 「体育」なんて好きにならなくてもいい だそうです。 私の研究教科も体育ですが、同感です! ・大人の都合で体育を好きにさせようとしていないか ・「好き」は他者がコントロールできるものではない ・「運動」の意味は幅広い 運動=スポーツではない などなど。 教師としての自分の視野が広がる一冊でした。 さて、私は自分の「好き」を子どもに押し付けてはいないのか。 「運動って面白いでしょ?勉強って面白いでしょ?」 「

          「好き」を子どもに押し付けないようにしよう

          きついときに研修する必要はない

          子どものみならず教員も体調不良が理由での休みも増える季節です。 今週は、私が勤める学校でも数名の先生が休んでいました。 担任が休んでいればその補強などで他の先生も負担が増えます。 学校全体が大変な時です。正直今週はきつかった。 私は今、校内では研修主任です。 こんな大変なときなので、 今週は校内研修を中止にしました。 私は「心身が健康で余裕のある時にしか研修は効果がない」 と考えています。 「計画しているから」と効果のない研修を無理して行っても誰も得しません

          きついときに研修する必要はない

          学級崩壊は教師の責任か

          「学級崩壊は、学級担任制という学校のシステムの問題、バグである!」 教師が恐れる学級崩壊 授業が成り立たず、教師の指示が通らない。 子どもが安心して教室の中で生活できない・学習できない状態。 こんな教室の状態が「学級崩壊」である。 公的にはマイルドな言い方で「学級がうまく機能しない状態」などとも表せれている。確かに「崩壊」はめっちゃ怖いワードだ。 そして、この学級崩壊を教師は一番恐れている。 「学級経営」のために教師に求められていること教師が上手な「学級経営」を行

          学級崩壊は教師の責任か

          自らの「OS」をアップデートできているか

          能力=「OS」?仕事の生産性について考える上で 人間をコンピュータに例えるなら 持っている知識や技術は「ソフトウェア」 身体や体力は「ハード」 自身の考え方や能力・人間性は「OS」にあたると私は考えている。 どれも大事だが,この中で、 効率的に仕事を行う上で最も大事なのは「OS」面だと最近つくづく感じる。「OS」>「ハード」>「ソフト」くらいに捉えている。 単純な計算で考えてみると単純に 能力(A)✕(時間)=(仕事の生産性) とする。 私の今の能力A=10だと仮定する

          自らの「OS」をアップデートできているか

          子どもの成績を「ゆるふわ」につける

          「脱・減点主義!」 そこまで厳密にしなくても テストなどの成績処理や普段の授業の評価は正直言ってめんどくさいものである。 ノートなどの提出物や忘れ物をいちいちチェックして,態度面の評価を減点する先生も多い。 何かにつけて子どもを「減点」することで評価するのは,教師の立場として非常に疲れる。 子どもの何もかもが減点対象になってしまう。 子どもの悪い面にしか目がいかなくなってしまう。 子どもだって嫌だろう。どうにかならないものか。 教師が評価を厳しくしなければいけな

          子どもの成績を「ゆるふわ」につける

          「研究授業」のコスパ

          他の教師に授業を公開する「研究授業」。 とある先生は指導案の作成に10時間以上を費やした。 想定した発問や板書は丁寧に「貼りもの」で事前に作っておき、 教師と子どものやり取りを想定した「細案」を作り、 毎日遅くまで残り何度も模擬授業を行い、リハーサルをした。 授業当日は、教師のやる気を察したのか子どもたちも積極的に活動し、 授業は想定どおりの展開で終えることができた。 その後の研究会でも、「頑張って準備した甲斐があった」「先生の熱意が子どもに伝わった」と他の先生

          「研究授業」のコスパ

          授業中「立ち歩く」子ども

          「座ってられないのは教師のせい?」 立ち歩き 授業中に子どもが自分の席に座らず うろうろ歩きまわることについて 教師は「立ち歩き」と呼んでいる。 皆さんの小学校時代のクラスメイトにもいたのではないか。 まあ授業を行っている教師からすれば そんな子どもは邪魔なことこの上ない。 他の子どもも気が散ってしょうがない。 さらに授業中立ち歩く子どもを きちんと指導できない教師まで白い目で見られる。 いいことないじゃん。 立ち歩くことが問題ではなく私は子どもが立ち歩くのは仕方がな

          授業中「立ち歩く」子ども