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一杯のショコララテ

突然だが、私は疲れている。
特に変わり映えのしない大学生活、決まりきった毎日のルーティーン。プライベートの退屈さに加えて、最近は大学祭の実行委員会の忙しさのせいで、私は心身ともに疲れきっていた。

今日も私は、昼休みの集まりに参加するために、早めに大学に来て食堂で昼ご飯を食べていた。偶然居合わせた友達と話しながら、限定メニューらしかったチーズの乗ったハヤシライスを食べ終え、私は一足先に席を立った。ぎりぎりの時間になってしまったので、急いでトレーを返却し、指定の教室に向かおうとした時だった。

――あのう、お姉ちゃん、ちょっといいかしら。
ひとりの女性が話しかけてきた。向こうは私のことを知らないかもしれないけれど、私はその女性に見覚えがあった。
いつも大学内のトイレ清掃をしてくださっている女性だったのだ。
当たり前かもしれないがトイレでしかほとんど見かけたことがなかったので、そんな人が食堂にいる、しかも私にいきなり声をかけてきているということに驚きを隠せず、
――はい!?
と思わず裏返った大きな声を出してしまった。お昼時で大勢の学生がいたので今となっては恥ずかしいが、そんなことを気にしている場合ではなかった。
――あの自販機の使い方がよく分からなくて…
女性が指さしたのは、コーヒーの自販機だった。よく高速道路のパーキングエリアなんかにあるような、カップに入ったコーヒーが出てくるアレだ。たしかにあの自販機は使い慣れない部分もあるかもしれないと思い、時間はなかったけれど、女性を助けることにした。

――お金を入れるとなぜか下から出てきちゃうのよ。
そう言うので、女性が持っていたお金を入れてみると、確かに返却口からお金が返ってきてしまう。なぜだろうと思いながら返ってきたお金を取り出してみると、新しい500円玉であった。私はすぐにピンときた。新500円硬貨が普及してから、自販機がそれに対応していない、というような話を聞いたことがあったのだ。
――ちょっと待っててください。
そこで私は、食堂のスタッフさんに、あの自販機は新しい500円玉は対応していないんですか、とたずねた。状況を理解したスタッフさんは、すぐに500円を100円玉5枚に両替してくれた。
――これだったら大丈夫だと思います。
そして使い方を教えつつ、ホットのブラックコーヒーを買うことができた。
――ありがとう~良かったらあなたもこれで何か飲み物買いなさい。それじゃあね。
そう言って私に100円を渡し、私がありがとうございます、と言っているのを背に女性は行ってしまった。嵐のように過ぎ去っていった一連の出来事に驚いてはいるものの、
――せっかくならこの自販機で何か買おう。
そう思って、もう一度自販機に向き直った。
この自販機を使ったことはほとんどなかったけれど、100円でも買える飲み物もあるみたいだ。ミルクティーやココアなど、いくつか種類があったが、私は一番下のアイスのショコララテを選んでボタンを押した。

飲み物が出てくるまでの数十秒間、私はさっきまでの出来事を思い出し、久々に人に親切なことをしたな、と思った。毎日の生活の中で、人のやさしさに触れることは少なくなってしまったのかもしれない。それでも、少なくともあの女性は、私に親切にしてもらったという出来事が心に残り、トイレ掃除の合間のコーヒーを飲む一瞬だけでも幸せな気持ちになるのだろう。そう思うと、思わず私も嬉しい気持ちになり、心があたたかくなるのだった。

そして出てきたショコララテ。甘党の私にとっても甘すぎるくらいに甘ったるかったけど、今日はそれでもいい気がした。

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