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ハーモニカには「荒野」がある ハーモニカ奏者 深沢剛さんインタビュー

先日参加したピアノの発表会にて。グランドピアノが置かれたステージで、ギター用のマルチエフェクター(足元で音色操作ができる機械)をつなぐ男性がいた。楽器はどこだろう、と思ったら、ハーモニカの演奏者さん。演奏曲は、映画サウンド・オブ・ミュージックで有名な「My Favorite things」。独特の緊張感が漂うリハーサルタイムに、吹き抜ける風のような心地の良い音で、「ああ、演奏って楽しいよなあ」としみじみ感じた。

それが、ハーモニカプレイヤー深沢さんとの出会いだった。

今年の8月に、メンバーである4人組インストゥルメンタルバンドF-O-A2からアルバム「1st Travellin’」を発売した、深沢剛さんにお話を伺った。


近所のおじさんの声援

深沢さんがハーモニカを始めたのは、17歳のころ。

「地元茅ヶ崎の進学校に通っていたのですが、2年生のころは雨が降ると学校へ行かないような生徒でした。要するに、学業のほうはあんまり真面目じゃなかったんです」

あるとき、テレビの音楽番組でハーモニカを目にし、「できるかも」と感じ、自身も入部していた写真部の仲間のバンドに参加するように。80年代、当時流行していた音楽と言えば、ブルーハーツに代表される青春パンク系だったが、親世代の影響を受け、コピーしていたのはビートルズ、黒人ブルースなど「若者としてはかなり渋い」バンドだったそうだ。

ブルースのコミュニティは狭いため、そのステージを見に行くと、ライブハウスの大人のセッションに混ぜてもらうこともあった。地元の商工会が催す地域のイベントでも発表を行った。

「近所のおじさんから褒められたりして、そういうことがやる気になった。今だったら、ユーチューブなんかで『世界の真実』っていうのかな、世の中には自分の実力よりもはるかに上の人がたくさんいることがすぐに目に入ってしまうかもしれないけど。僕はまわりの人の応援を受けながら、『すてきな勘違い』を続けられたんだと思います」

楽器経験者ばかりの友人らに追いつこうと、教則本を片手に、のめりこむように練習した。しかし、始めてから半年後、独学では難しい部分にやる気が失せた。そんな時、ハーモニカのサークルを知り、クロマチックハーモニカを手に取る。そして、高校2年生の1月にはハーモニカの師匠となる吉田有信氏と出会った。

毎日8時間の練習。それから1年後には全日本ハーモニカコンテストで優勝した。

「その後、19歳で世界大会2位を取ることができたのですが…」手放しに喜べたわけではなく、複雑な心境だったという。

世界第2位、実質は負け―?

「出場していた人たちは、どんな人とも一緒に、会話するようにセッションを楽しんでいました。僕が理想としてた音楽を、彼らはやっていました。女性に対しての対応も紳士的。高校を出たばかりの19の僕にとっては、みんなすごく大人に見えました。僕は大会のために準備した1曲だけはそれなりに吹けたけれど、実質は遠く及んで無いんだなあと」

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↑ 1993年、世界ハーモニカチャンピオンシップ(ドイツのトロシンゲン大会)での2位受賞トロフィーと賞状*ご本人撮影

コンクールのための練習をするのではなく、セッション感覚を身に着けたい――。そんな思いで帰国後はブルーグラスを演奏するバンドに参加。銀座のバーなどで、年長者に交ざって演奏した。「楽器の組み合わせ、人の組み合わせによって、演奏の色が変わるところが、楽しかった」。今のバンド活動にも通じている。

そんな20代半ば、「これだ!」と衝撃を受ける出来事があった。ジャズへの目覚めだった。

「2人の世界的ミュージシャンの音源を聴いたんです。1人はサックス奏者チャーリー・パーカー。感情の爆発度合いがとびぬけているのと同時に、技巧派。そして、バイオリン奏者ステファン・グラッペリ。乱暴なところがひとつもないくらいに紳士なんだけど、グルービーです。彼らの作品をきいて、ハーモニカ―には『耕されていない荒野』が広がっていると気が付きました」

ハーモニカの、未開の荒野

「耕されていない荒野」とは、ハーモニカで演奏されたことのない演奏スタイルのことだった。

「ピアノやギターのように演奏人口が多い楽器はいろいろな手法が試されているけれど、ハーモニカの場合は開拓されていない部分がまだまだあると思うんです。もともと「歌の代わり」としての扱いが多かったから、ハーモニカのための曲って、数はそれほど多くない。また、登場するジャンルもブルース、カントリー、ロックがほとんど。他のジャンルで演奏するケースはそれほどありませんでした」

「俺は今まで何をやっていたんだ」と深沢さん。音楽活動と並行ていたサラリーマンを辞め、活動に打ち込むことを決めた。

「それからは、教室を始めつつ、ブログを使ってハーモニカの楽器、世界的な奏者の話題を紹介し始めました。演奏活動では、ハーモニカでクラッシック曲、熊蜂の飛行、子犬のワルツなどを演奏しました。ハーモニカは一般的に童謡歌唱というイメージが強かったので、『ハーモニカでここまでできるものか』と興味を持っていただけることも多かったです(笑)」

そして29歳には、日本コロムビアレコードからメジャーデビューし、ジャズピアニストのケイ柴田さんとアルバム「ハピネス」をリリースする。その後は歌手りりィさんのユニット「りりィ洋士」のサポートミュージシャンを、約15年間ご本人が亡くなるまで務めた。

「シンガーソングライターのまさに草分けである、りりィさんのバンドでは、編成はボーカル、ギター、ハーモニカ。ギターがベースの役割も担っていたから、僕はサックスや、ストリングスの役割を自由に演奏させていただいていました」

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 ↑ 千葉県柏市、ライブハウスWUUで行われた「りりィ洋士」のステージ

4人でしかだせない音とは?

そんな深沢さんは、2017年からバンドF-O-A2のメンバーとしても活動している。8月に1stアルバムを発売した。

ユニット結成の音頭をとったのはピアニストの安齋孝秋さん。ギターは朝井泰生さん。中棹三味線は 尾上秀樹さん。アレンジャーや、ソリストとして音楽業界で活動してきたミュージシャンが参加している。

肩書きとしてリーダーは決まっておらず、アルバム「1st Travellin’」は、メンバー全員の持ち寄り曲によって構成されている。曲ごとに曲調が一変する様には、旅の道程にいざなわれたかのような気分になる。

「本来はデスメタルで弾かれるようなリフを、三味線で表現してみたり。祭囃子のような和のテイストがはいったり、フュージョン的であったり。インストでは特にみんなを飽きさせないことを、他のメンバーも意識しているのではないかな、と思います」

特徴的な編成を活かす曲作りにも力を入れている。

「この4人のバランスでないと出せない音楽を作りたいんです。もし、ハーモニカのパートがバイオリンに代わったとすると、西洋のテイストがでやすいけれど、ハーモニカって、どこの国とも印象を限定されにくいでしょう。和でもなく洋でもない。このバンドだけの音楽ができると思います。ちなみに僕が作曲する曲は、日本らしさの中にどこか異国感が漂う『エキゾチックジャパン』がテーマになっています」

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↑ 2021年8月29日、目黒ライブステーションにおいて行われた「F-O-A2」のレコ発ライブ

自身が学んだことのあるイスラム圏の音楽から着想を得ることも。収録曲13曲目の「イスカンダル」は、まさに異国情緒が感じられる曲だ。

「その曲は、中央アジアでかつて繫栄していた、古代ギリシアアレキサンダー大王の力強さをイメージしながら書きました。でも、聴く人によっては宇宙戦艦ヤマトの惑星イスカンダルを思い浮かべるかもしれません。インストには歌詞がない分、題名を頼りに人それぞれの想像が膨らむところがおもしろいですね。歌い手さんが強烈な想いを表現するような曲というよりも、聴く人それぞれが気持ちを重ねて聴いてもらえるところに魅力があると思います」

今当たり前にある音楽は


ハーモニカで、誰もやっていないことをやろう、そう思った20代。それから音楽を続けてきた思いについて、深沢さんはこんな風におっしゃっていた。

「ここ100年間で新しく生まれた音楽――ボサノヴァ、ラップ、ボカロなどは、今当たり前にあるように思えるけど、昔はなかったんです。そしてハーモニカは、今もまだ発展途上の楽器です」

「インターネットが発展していなかった20代の頃は気が付いていなかったけれど、今となっては自分と同じように開拓をしてきた人がたくさんいることが分かります。ブログを書いた20年後に出会った人から、『あのブログ、読んでました』と言ってもらうことがあったりするんですよ」

もしも「20年後」にタイムスリップしたら、未来には何が起きているのだろう――わからない。でも、長い時の流れの中に生きていると思うと、何でもやれる気がしてきた。

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↑取材のため訪れたのは町田のcafeKATSUO

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今回、町田駅で取材にお付き合いいただきました。いろんなたとえを使ってくださるおかげで、音楽に無知ながら場面を想像しながら聞かせていただきました。

取材日 2021/09/28
 町田駅にて



F-O-A2の情報はこちらからご覧ください→https://www.youtube.com/playlist?list=PLzHddhjBL1ARejxj2b9PgvC7_VOyRtuCH



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