仕事において本当にプライベートな部分を開示する必要はあるのか?
ここのところ、同業の人や同業じゃなくとも仕事人としての自分の相談ができる人とよく話すようにしてる。コロナ禍とは思えないほど刺激が多くて、相手をしてくださる皆さんには感謝している。言葉を自分の中から吐き出すとやっぱり別物になる。壁打ち大事だなぁ〜
ここ一年くらいは本当に思考を邪魔するものが減っていて、考え事に没頭できるんだよなー幸せ。
そんな中で話してて「あー、そういうことか」って思うことがいくつかあったので忘れないうちに。
相互理解のための自己開示
前職は、相互理解のために過去の経験や幼少期のトラウマを開示して語り合う研修のようなものを行うチームが多かった。自分も所属していた頃は何も疑いがなかったが、中途採用で入ってきた社員の一部にはこのような研修でベラベラと自分の過去について話すことに抵抗を覚えて、なかなか話し始めることができない人もいた。
わたしにはなぜそれができないのか理解ができなかった。正確にいうと「理解を示している素振りさえしなかった」。鬼。
ただ、異動して、転職して、もっと多様な職種や文化、バックグラウンドの人と会話するようになってからはその考えがイマイチだったことがよくわかる。穴があったら入りたい鬼。
仕事で演じたい自分とプライベートの自分は必ずしも全一致しなくて良い
こんなふうに思えるようになったのは、異動と転職があったからかもしれない。
仕事の自分とプライベートの自分が全一致していることが求められる社風の会社は、爆発力を発揮することもできるがマイナスにふれたとき、キツくなる
最近、人と会話してて学んだのはこれ。
わたしの前所属していな会社はまさしくこれだったのだ。言ってもらってあーすっきり。
そしてなんだかんだ、私自身は仕事とプライベートを生き分けている。別人格。前の会社では両人格を開示していただけで、別ではあった。
ただ、前述の通り一致させている人もたくさんみてきた。だからなのか、メンタルを壊すとダメージも大きかったように感じる。なぜなら、仕事人格だけでなく、人格そのものを折られてしまうということだから。だからこそ、復活までに時間を要している人が体幹として多かったように感じる。こればかりは正しいかわからないけど。
簡単に「自己開示」という言葉を使わない
自己開示という言葉は簡単に使ってはいけないな、と。自己開示研修なんて名前はもってのほか。
研修などで言葉を投げかけるときは気をつけようと思った次第です。
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