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キャッチボール〜舞台闇に咲く花観劇感想からのサイドストーリー〜

これはこまつ座の舞台闇に咲く花のサイドストーリーです。
[舞台あらすじ]
愛敬稲荷神社の宮司牛木公麿は、戦争で一人息子健太郎を亡くしていた。そんな神社のお面工場では、夫を亡くした5人の女性達が働いていて、貧しくも力強く生活していた。そんな中、死んだはずの健太郎が帰還し、元々好きだった野球選手に復活することを夢見ていたが、戦地のグアム島で起きた些細な出来事がC級戦犯とみなされ、そのショックで記憶を失ってしまう。その後、親友の稲垣の行動により、記憶は回復するが、そのことにより、グアムに収監されてしまう事となる。
戦争とは何か?何が戦争なのか。平和とは何か?何が平和なのか。
そして神社とはどうあるべきなのか?から、政治と世相を切り取った舞台です。
今回は、その登場人物の中の健太郎の親友であり、神経科の医師である稲垣善治のお話を妄想しました。
[登場人物]
稲垣善治…牛木健太郎の親友でバッテリー。野球の職業団でもキャッチャーを務めた。退団後は家業の神経科を継ぐべく医師を務めていた。終戦後バリ島の収容所にいたが、無事帰国。ほぼ同時に帰国した健太郎がC級戦犯の疑いをかけられて、記憶喪失に。その記憶を取り戻すべく、いろいろな策を講じる。記憶が戻った際は自分の母親の実家の秩父へ逃すことを算段したが結局、健太郎はグアムに収監されてしまう。
牛木健太郎…プロ野球にエースとして所属していた。グアムで戦死したと報じられていたが、記憶喪失で捕虜として生きていて、記憶を取り戻し帰還する。喜びも束の間、グアムで島民と野球をしていた際に怪我をさせてしまい、それがC級戦犯と見なされ収監、処刑されてしまう。神社とは小さな花であるべきだと父親に問うてグアムに旅立った。

灼きつく太陽
垂れてくる汗が勿体無いと思うくらい、喉が渇く。次第にふわりと気が遠くなる。

「パァン」

キャッチャーミットにボールが収まる音が聞こえる。

「ナイスボール!!健坊!」

そう叫ぶが、健坊はいない。
外を守る神田中のナインもいない。
誰もいない。
その時、身体がぶるっと震え、俺はハッとする。
ここは日本ではない、バリ島だ。
俺は捕虜としてバリ島の収容所にいた。

捕虜として生活する中、俺の心が折れそうになる時、必ず思い出されたのは、健坊とのキャッチボール。そして、愛敬稲荷。

「日本に帰って、健坊と、神田中のみんなとキャッチボールができますように」

空想で、子供の頃からいつも健坊と遊んでいた愛敬稲荷の鈴を鳴らして、柏手を打つ。

毎日毎日、そう願った。
神様なんてこんな戦場にいる訳はない。分かってはいるが、それでも、それが俺の糧となった。

そう、健坊と愛敬稲荷は俺の光、俺の未来だった。
憧れたし、追いかけた。そして、拠り所にもした。
なのに、なのに、なんで。なんでだ。
健坊がC級戦犯だなんて。

やっと帰ってきたのに。
やっと帰って来れたのに。
やっと、取り戻せたのに。

「みんなに会いたいな」

そう懐かしそうに呟いた健坊を思い出した。
そうだ、神田中のナインを集めよう。
あの頃の仲間がいたら、健坊も記憶を取り戻しててくれるかもしれない。

ただ、記憶を取り戻すということは健坊がグアムに収監されてしまうことになる。
だけども、このまま記憶をなくし、赤子のように過ごす事が正しいのか?
俺は自問自答を繰り返した。
繰り返す中で、自分が医師である事を逆手に取る方法を思いついた。
これで健坊は救われる。
そう思って俺はツテを頼りながら、野球部の仲間の足跡を辿り出した。

まずは1番センター荒木。足の速いやつだった。あの俊足があれば、きっと戦場でも役に立っていたに違いない。

「息子は、南方ニューギニアで脚気にやられて置き去りにされた。そう聞いています」

やっと探し当てた荒木の母親から、生気のない声でそう聞かされた。
これだけの戦死者が出ているんだ。皆が生きているとは思わなかったが、あれだけ足の速かった荒木が足をやられるなんて…

俺は震える手で、手帳に記した神田中のメンバー9人の名前の『1番荒木』に二重線をつけた。

その後も足跡を辿っては、戦死を目の当たりにした。

2番ショート長谷川 フィリピンのダパオで餓死。
3番サード林 特攻隊で敵艦に激突する前に撃墜。
6番サード大岡 サイパンで玉砕。
7番レフト武藤 バシー海峡で乗っていた駆逐艦が撃沈。
8番ライト矢部 フィリピンのルソン島で督戦隊によって射殺。

ナインの消息を知る度に、デットボールを受けたかのように身体に鈍痛が残った。

俺は何をしてるんだ。
なんのために一人一人神田中ナインの消息を訪ね、そして死んだことを目の当たりにしてるんだ。

遠いバリ島で、幻のように毎日神田中のみんなとキャッチボールをする夢を見続けていたのに。
日本に帰ってきて、やっとその夢が叶うというのに、俺の投げるボールは、誰も受け取ってくれない。
仲間を集めたくて動き始めたのに、仲間が一人一人消えていく。
それは、皆で撮った集合写真から、一人一人が白い影となって俺の周りから消えていく、そう言うことだと言う事がわかって、俺はただただ、それを畏れて、身体中に残った鈍痛に悶えた。

健坊にも言えない。健忘症を患う今の彼に強いショックは与えないほうがいい。
幸い彼は、健忘症のせいで神田中の事も覚えていない。
そうだ。野球に関係のない事で記憶を取り戻せば良い。
そう思った俺は、重い腰を上げて神社に向かい、健坊と向き合い、会話を続けた。
俺の思惑通り、彼は野球のことよりも神社のことを覚えていた。それを糸口にしてしまえばいい。そして、記憶が戻った所で、秩父に行ってしまえば、野球どころではなくなるだろう。
その分、俺が彼に会いに行く。そばに居る。
そう思って、その日は神社を後にした。

俺が神田中ナインの消息を訪ね歩いているという噂が広がったのか、次の日、1人の女性が訪ねてきた。
水上、9番サード水上の姉だった。

水上は、肋膜で戦争には行かなかったが、神田の空襲で亡くなっていた。

「これを渡したくて」

渡されたのは、お守りだった。
このお守りは、健坊が大会前に、一人一人に願い事を書いてみんなに贈ったものだった。
俺には『扇』と書いてあった。扇のように見渡せよ!そう言いたかったのだろう。
水上のお守りを開くと『堅守』と書いてあった。

「これがあると、俺は強く居られるんだ。俺が届かなかったボールも、後ろの味方がきっと拾ってくれる。カバーしてくれる。そう思っていたから。だから、俺は戦争には行けなかったけど、この日本でみんなの分も護るんだ」

水上はいつもそんな風に言いながら、遠い空を見つめていたそうだ。
空襲の時、全身に火傷を負って意識も遠のく中、水上は「ドンマイドンマイ、しまっていこーぜ」とお守りをグローブがわりに右手で叩いていたのだと。

「あのお守りがあったから、弟は最後まで誇りを持っていられた。そのお礼が言いたかったんです」

水上のお姉さんは、そう言いながら俺の手を掴み、お守りを握らせた。

「どうぞ、あなたは元気で。どうか元気で」

そう言って水上のお姉さんは何遍も頭を下げた。

「神社ってのはね、稲垣、人々の小さな仕合せをすくいあげるところなんだよ」

その時、そう笑いながら話す健坊を思い出した。
それは、愛敬神社をもっと大きくして、東京でいちばんの神社にしたら良い。と言う、俺のなんとも子供じみた問いかけへの答えだった。

「そうかあ?神田明神みたいに、大きな神社の方がカッコいいじゃないか」

「そうだね。大きい神社はかっこいい。
でもね、稲垣、社が大きくなると願い事もどんどん大きくなってしまう。そんな気はしないか?小さい花が大きな所で咲いていても目立たないけど、小さい所で咲いていれば見つけることができる。それと同じだよ。
人々は、日々の生活のちょっとした変化を求めて、ここにくるんだよ。だからね、小さい神社、この愛敬くらいでちょうど良いのさ」

神田明神のように沢山の神様のお世話をするのも大変すぎるし、うちの父さんには力不足だ。と青空に抜けるような声をあげて、そう笑い飛ばした。

そうだ。
神社は小さな仕合せをすくいあげるところ。

『生きたい』

こんな原始的な、簡単な願い事も叶わなかったアイツら、神田中ナインの最期を伝えなければ。
死んで、なかったことにしちゃいけない。
生きて、生きて、生き抜いて死んだんだって事を伝えなければ。
この字を、願いを込めて書いた健坊の為にもこの事を伝えなければ。

俺は愛敬神社に向かい、健坊と対峙した。

神田中ナインの一人一人の最期を伝える。
健坊はナインの顔と名前を思い出した喜びの表情から、彼らが既にこの世にいない事を俺の口から伝えられるたびに、のたうちまわった。
俺と同じように、デットボールを喰らって辛いのだろう。

すまん健坊。
でも、アイツらは、生きたんだ。死んだけど、生きたんだよ!!
それを生き残った俺たちバッテリーがきちんとアイツらのことを思い出して、そして受け止めてやらないと、アイツらとのキャッチボールができないんだ。

そして、苦しんで苦しんだ末に、健坊は再び全てを思い出した。

⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂⁂

俺はグラウンドで神田中のナインにボールを投げる。すると、ボールが届くと1人1人白くなって消えてしまう。
俺はどんどん焦る。

すると、健坊からボールが飛んでくる。

「パァン」

キャッチャーミットにボールが収まる音が聞こえる。

「ボーッとすんなよ!相棒!」

健坊が笑いながらそう叫ぶ。

俺はそうだな。何を焦っているんだ。そう思ってボールを健坊に返す。

「しまっていこうぜ!」

そう言うと、ボールを受け取ったはずの健坊が消えてなくなっている。

ああ、俺は全ての仲間を失ったんだ。
白く消えてしまったのは、みんなではなく、俺だ。
俺1人だけが生き残って消えて亡くなってしまった。

そう思った所で目が覚めた。

あの日、健坊が記憶を取り戻した日、俺の相棒は再び帰ってきた。
だが、俺の策も虚しく、健坊はグアムに収監されて、裁判はたったの三日で結審し、健坊は処刑された。

それから俺は眠ると必ず同じ夢を見た。
目が覚めるといつかのデッドボールを受けた後の鈍痛が身体中に渦巻いていた。
仕方ない。
俺はそれだけのことをしたのだ。
いくら後悔しても健坊は帰ってこない。
だとしたら、この鈍痛を体に抱え続けて生きていく。ただ、いきていく。
それしかない。

そう思って鈍痛に耐えながら、重い身体を引きずり上げて、日々を過ごしていた。

ただ、その日の少しだけの平穏が欲しくて毎日のように神社に足を運んでいた。
神社では、いつも繁子さんたちが賑やかに迎えてくれた。
それだけで俺はここにいて良いんだ。生きていて良いんだと少しだけ思えていた。

ある日、GHQの諏訪さんが神社を訪ねて、健坊の遺品のボールを届けてくれた。

諏訪さんが力強く俺の手のひらに「パチン」とボールを渡す。
野球のボールは数え切れない程持ってきたが、このボールはとてつもなく重かった。重くて重くて落としそうになったが、俺の本能が「肩が外れても落としてはならない」と言って、かろうじて落とさず受け取った。

健坊が最期まで持っていたと言うボール。
それが俺の手元に来た。

夢の中で受け取ってもらえなかったボールが、今俺に帰ってきたのか。
神田中のナインが、全て俺の手のひらに帰ってきた。

そうだ。

忘れてはならない。

俺は、彼らを忘れてはならない。
俺が、彼らの事を覚えていなければ。

「あなたは元気で。どうか元気で」

そう言った水上のお姉さんの言葉を思い出した。

俺は生き残った。
だとしたら、ただ生きるのではなく、明日を見つめて生きなくては。

そう思うと、俺は神社のその向こうにいる健坊にボールを力強くボールを向けていた。

「頼んだぞ!キャプテン!」

神社のどこからか、健坊の声がこだまするように、俺に降り注ぎ、その音は加藤さんのギターに溶けていった。

あとがき
闇に咲く花で、稲垣くんはとてもユーモアがあり、利発で、まっすぐな男でした。
ですが、彼もまたものすごい業を抱えて生きていく定を負ってしまったのだと思い、この話を書きました。
ただ1人生き残る。
そして最後には健太郎のボールを受け取る。
このシーンは客席から見てても「重い」と呟いてしまうほど、ボールが重く見えました。
そんな稲垣くんの戦後が少しでも、ほんの少しでも軽くなれば良いなと思って書きました。
なお、このお話は、こまつ座さんのお話とは全く無関係ですので、悪しからずです。






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