短編小説:やわらかもん(5)
「社長、これを見てほしいんです」
新しい市松屋店舗の看板商品の為、チーズケーキの開発をする中で、まさかのチーズが苦手な事を告白した和樹に「チーズが苦手な人間でも食べられるチーズケーキを作れば良い」と陸太郎は事も無げにそう伝えた。
言葉はとても簡単だったが、それは想像をはるかに超える難儀な作業だったが、それを乗り越えて出来立てのチーズケーキの販売に目途がたった頃、和樹は陸太郎に1枚の絵を見せてきた。
「なんやこれ」
にこやかに笑うおじさんの笑顔のイラストだった。
「社長のイメージしました」
「なんで」
陸太郎は心の底からの言葉を発した。
「このイラストをチーズケーキに焼き印しよう思うんです」
「焼き印!」
まさか、と言う声を隆太郎は挙げた。
焼き印は和菓子ではよくやる手法だが、洋菓子ではあまり見たことがなかったからだ。
「このチーズケーキ、見た目シンプルでそれはそれでええんですけど、なんかこう、もう一つパンチが欲しいなあと思いまして。で、考えたのが、このイラストです。どうです?かわいいでしょ?」
「……まあ、確かに、可愛らしいな。でも、おっさんである必要、あるか?可愛いのなら、他になんかキャラクターあるやろ」
「社長じゃないと、ダメなんです」
「だめ?」
「はい。うちは、洋菓子も沢山売るようになってますけど、元々は社長が始めた和菓子屋です。やから、社長の顔がええし、和菓子でよく使う焼き印を使いたいんです」
「そやかて…」
隆太郎は納得がいかなかった。
世の中、可愛いものが持て囃されるのであれば、いわゆるおじさんはその対局にいると思うからだ。
「でね、あと一つ提案があるんです」
隆太郎の不安をよそに、和樹は話し続けた。
「店の名前、変えませんか?」
「なんやて?!」
またしても思いもよらない提案に隆太郎は先ほどよりも大きな声を上げた。
同じ部屋にいた秘書が驚いて覗きに来たくらいだった。
和樹は、秘書に「大丈夫だよ」と笑顔でジェスチャーして、隆太郎の前に向き直る。
「これです」
和樹は、隆太郎の前に企画者を差し出した。
「名前は『りくたろーおじさんのお店』です。これでいきたいんです」
そう提案する和樹の顔は、凛々しくも柔らかくもあった。
「……よっしゃ、やったらええ」
隆太郎は企画書に目を通さずそう言い切った。
「え?!」
今度は和樹が驚いた。
「うん。お前の柔らかそうな顔見たら安心した。思うようにやってみたらええ。ただし、ええか?一番大事なのは」
「菓子を食べるお客さんの顔やろ?」
和樹がニヤリと笑いながら答えた。
「そや、あとな」
「菓子は柔らこうなきゃあかん」
2人で声を揃えた。
「それが分かってればええ。野田や他の社員の声を聞きながらやるんやで。もしあかんかっても、そうしとけば修正はいくらでもきくさかいな」
隆太郎はわははと、大きな声で笑った。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
カランカランカラン!!
焼きたてのチーズケーキの出来上がりに鳴らす鈴の音だ。
次々と焼きたてのチーズケーキが運ばれてくる。
そこには笑顔のおじさんのイラストが焼印されていた。
隆太郎のわははと大きな顔で笑う時の顔だ。
そのチーズケーキを受け取るお客さんたちが、隆太郎の笑顔と同じ顔で商品を受け取る。
今や、大阪の有名店となったりくたろーおじさんの店の前に、記者の大口が立っていた。
このりくたろーおじさんのお店の成功の秘訣を知りたくて、ここ数ヶ月ずっと密着で取材をしてきた。
大口の隣で陸太郎は感慨深くお客さんを眺めていた。
「良い顔してはりますね」
大口が陸太郎に声をかける。
「そりゃね、繁盛しとる店を眺めるのは、商売人としては最高の景色ですから」
ははは、と隆太郎は笑った。
「ここ数ヶ月ずっと取材をして分かったことがあるんです」
「ほほう、なんですか?」
「社長は、社員をすごく信頼されてますよね。その信頼があるからこそ、社員もそれにこたえようとしたから、これだけのお店に成長したんですね」
「それにたどり着くまでに、失敗も山ほどしました」
そう言って隆太郎は大口を穏やかに見つめた。
「この店は、自分がイチから築き上げたお店で、いわゆる自分の城ですわ。過去には暴走しすぎて社員がたくさん辞めてしまった時もありました」
隆太郎は店の中に入って椅子に座り、大口にも座るように促した。
「その沢山の失敗から得たものは『人の意見に耳を傾ける』ということ、それが一番でした。一番最初、リヤカーで菓子を売り歩いていた頃、どうやっても売れないことを中途半端に人のせいにしていたことに気づかせてくれたのは、当時少年だった、うちの役員の野田でした。野田の一言に耳を傾けたから、新しいことに挑戦することが出来た。パン事業の時もそうでした。結果が追い付いてこない焦りから、がむしゃらになりすぎて周りの声を無視し続けてしもた。あの時も不意に現れた野田の正直な言葉で助けられたんです」
社員が、隆太郎と大口のテーブルに出来立てのチーズケーキを運んできてくれた。
どうぞ、と隆太郎が勧めてくれたので、大口はケーキを口に運んだ。
「うま」
思わず言葉が漏れた。
その言葉を聞いて、満足するような顔をして隆太郎が言葉を続けた。
「いつでも、だれかに助けられて自分はこの店を大きくすることが出来ました。出来立てのチーズケーキを売りにしようと、息子の和樹が提案した時も、任せてよかったと思えた。当時1ホール1200円で売ってたチーズケーキを500円で売ると言い出した時は原価計算どないなっとんねん、とひっくり返るかと思いましたが、いや、あいつに任せてよかった。やから、もちろん社員の事を信頼はしとりますが、最初からって訳ではなく、それこそ、いろいろあった上に、ありがたく上書きさせてもろてるんです。そう、この焼印みたいに、ちょこんとね」
そう言って、あの焼き印と同じ笑顔で隆太郎が笑った。
大口は、残りのケーキを平らげて、ホクホクした顔になっていた。
「それ、その顔が見たくて菓子を作り続けてるんですわ。人は、菓子を食べていれば心が穏やかになる。色んなことある日々の中で、ほっと一息つける、そういう菓子をずっと作りたい、作り続けたい。そう思ってます」
なるほどなあ、大口が記事の見出しをどうしよう、そんなことを考えていると、店内で子供たちが小競り合いを始めた。
兄弟だろう、お兄ちゃんがずるいとか弟がどん臭いからやとかそんなことを言って、お互い泣きそうになっていた。
そんな兄弟に陸太郎はそっと近づきさっき切り分けたチーズケーキを二切れ、兄弟に渡した。
「ほれ、食べえ」
「え?」
兄弟もその親も突然の陸太郎の行動に驚き、目が丸くなっていた。
親は「申し訳ないです」と言って、子供たちからお菓子を取り上げようとした。
「ええ、ええ。ケンカするくらいがちょうどええけどな、泣くまで喧嘩したらあかん。ほれ、食べえ」
そんな陸太郎に促されるように、子供たちはケーキを口に入れる。すると、先ほどまで口をとがらせて喧嘩をしていた子供たちが途端に笑顔になっていた。
「わはは、ええ顔や。ええか?おいちゃんが良いこと教えてあげるわ。菓子も、人も、柔らこうなきゃあかんぞ?柔らかくいれば、人生楽しいで」
くしゃっと笑顔で陸太郎は子供たちの頭を力強く撫でた。
その時、再び「カランカランカラン」とチーズケーキが焼きあがる合図の鐘が鳴り響いた。
その鐘をきっかけに、その店内にいた人たちがもれなく笑顔になっていた。
りくたろーおじさんの焼き印と、社長の陸太郎、お客さんがみんな、同じ笑顔だった。
「な?柔らかい顔しとると、それだけで幸せやろ?」
幸せな鐘の音が、何時までもこだまするように、この大阪の商店街に鳴り響いていた。(おわり)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?