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映画「笑いのカイブツ」

「伝説のハガキ職人」の異名を持つ作家、ツチヤタカユキ氏の
同名私小説が原作となった映画です。

後味が悪いのは観る前から覚悟していました。
でも、観てよかった。

あまりにも主観的な映画でした。
他者の視点が欠けている。
それに、映画で切り取られた前後の人生が、まったく見えなかった。

だからこそ、
「今、ここ、私」しか見えていない
他人の脳内に入り込んだような
居心地の悪さがあったのだと思います。
「主人公にもっと共感できる映画にしてほしかった」
というレビューをいくつか見ましたが、
共感できないこと自体が、私にはおもしろかったです。
以下、#ネタバレ を含みます。

好きを仕事にする

世の中では、好きなことを仕事にしようという風潮があります。
でも、この映画を観て、
好きなことを好きなことのまま仕事にするのは不可能だと感じました。
付随する嫌なことも、受け入れなければならない。
それをどこまで我慢できるか、
人によっては我慢に思わない人もいて、
それはラッキーで。
誰しも譲れないものってあると思います。
「これをやるぐらいなら死んだほうがマシや!」ってものが。
ツチヤにとっては、それが
「おもろいネタを書く以外のすべて」
だったから、仕事にできなかったと感じました。

承認欲求

私は、ハガキ職人をやっていますが、
メールが読まれた時って、めっちゃ嬉しいんです。
それがウケたときの快感ってヤバいんです。
クセになるし、メールを送る量も増える。
やがて来週のメールテーマには何を送ろうかなって
気がついたら考えるようになる。

これって別に私のメールで誰か笑顔にしたいとかじゃなくて、
ただ私がおもろいって思われたいだけなんです。
承認欲求の塊で、独りよがりなんです。

最近、消費されるものになりたく無いなぁって思っています。
大袈裟にいうと誰かの人生を作るものになりたいし、
誰かの心にちょっと引っかかっていたい。

ツチヤもきっと、承認欲求が強かったし、
何かを遺すことを望んでいたのだと思います。
おもろい、と流されて終わって、それの何がおもろいねん。
劇場のゲームコーナーを否定した時も、
ベーコンズ単独のネタを書いた時も。

笑えない

極限状態で、
ろくに食べず、腸から血を出して、
汚い道で這いつくばって、
怒られながら書いたネタって、おもろいんかな。

「笑い」っていう感情は死んでいるのに、
セオリーでネタを作っているような。

「お笑い」って、動物の感情の名称が入ったエンタメ、
よく考えたら意味わからんと思いませんか。
笑かされたからって笑うもんじゃない。

日常の「おもろい」を集めてネタにしたら強いと思いますが、
「嬉しい」「悲しい」「愛おしい」とか
「おもろい」以外の心の動きを
あの熱量で笑いに昇華できたらもっと強かったかもしれないし、
誰かを救う側になっていたかもしれないな、と思うのです。

せいぜい可愛い子を見てにやけるぐらいだったのに、
なにげない言葉でおかんを笑かして、
「しょうもな」と吐いて込み上げた笑い。

初めて笑いが漏れたあのラストが、唯一の救いで、
未来が劇的に変わる気はしなかったけど、
「おもろい」の幅は広がったかもしれないし、
また楽しく「笑い」に向き合える予感が無きにしも非ず。

まとめにかえて

人は、フロー状態がもっとも幸せだとも言われています。
時間を忘れるほど没頭している状態、
タスクそのものがモチベーションになっている状態のことです。
ツチヤは、ずっとフロー状態だった。
なのに、なぜあんなに苦しかったのか。
実力が認められて憧れの芸人の作家になれるなんて羨ましい限り。
なのに、なぜあんなに泣いていたのか。
嫌悪する世間に、認められたいという地獄。

「自分」以外を拒んでは生きていけないのです。

ベーコンズの単独ライブの
エンドクレジットに名前が載ったシーンが、私は1番グッときました。
あれだけ多くの人が関わってできているんです。
でも、それでいて、あそこに名前が載るのって一握りなんです。

ツチヤに共感できない、というかしたくない私はたぶん、
何者にもなれません。

おまけ

・みんな関西弁が嘘くさくなくてありがたかった!
・久馬さんとか、女と男とか、ハイツ友の会の西野さんとか出てきてびっくりした!
・マンゲキ時代、誰の作家についてたんやろう…

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