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違和感を見逃すな。そこには、他責じゃなく、自分の弱さがある。

日曜に、新たに知り合いになった方と
お会いする機会がありました。

もともと、自分の好きな人と
会える日だったのです。

そのことを知った
新しく知り合いになった方が、
「ぜひその方にもお会いしたい!」
と仰ったので、
「なにか、面白いことが起こるかも」
と、その場をセッティングしたのです。

謎会で消耗してしまった

正直、その会は、わたしの中で、
マジで「謎会」になりました。

白金ゆにわという、
最高にエネルギーチャージできる場で、
わたしは、疲れ果てるくらいに、
消耗してしまいました。

新しい知り合いも、
好きな人も、
全員悪い人ではないのに、
一同に会したときに、
わたしは、異様に疲れたのです。

消耗したのは何故か?

何故だろう?
話したことと言えば、
お互いの自己紹介と、
好きな人のどんなところが
良いところか、とか。

その事象から、わたしが感じた印象は、
「相手から土足で踏み込まれた」と
思ってしまったのです。

わたしの中で、
好きな人の関係は、
大切に育みたいもの。
荒波を立てるのは、やめてほしい、
と思ったのでした。

消耗したのは、相手のせいなのか?

そこまで、言語化できた時点で、
わたしは「あれ?」って
思ったのです。

違和感や疲労の理由を、
「土足で踏み込まれた」と言って、
相手の言動のせいにしてないか?

その考え方って、
相手との分離を生む考え方で、
「これからどんな人とも
仲間になっていきたい」という、
わたしのポリシーに反するものじゃないか?

きっと、この違和感は
自分の中から発しているものだ。
ここから学べることって何だ??

違和感の理由を再度検証

そう考えて、違和感を感じたポイントを
もう一度検証してみました。

わたしが一番違和感を感じたのは、
知り合いが、わたしの好きな人に
「何やってる人なんですか?」
と尋ねたときと、
「相手のどんなところが好きなの?」
という話題のときでした。

そのとき、わたしはむちゃくちゃ
悔しかったのです。

どんな人なのか?と
知り合いから、好きな人が
質問を受けているとき、
わたしはカットインしていきたかった。
「この人は、こんなすごい人なんです!」
って。

でも、できなかった。
好きな人がすごい人だって知ってるのに、
わたしは、この人の可能性がめちゃくちゃ
輝いていることを知っているのに。

いざ言葉にしようとすると、
「こんな実績があってね」
とか、実績とか肩書きとか
そんなものに頼った言葉しか出てこなくて、
わたしはそんなことで、
この人を好きになったんじゃない!
それでは、この人の魅力は伝わらない!
と思っていたから。

再度、悔しさを覚えたのが、わたしが
「彼のどんなところが好きなの?」
と尋ねられたときでした。

「会話をしていて、自分の盲点を気づかせてくれて、
頭の体操しているみたいなところが好きです」
と答えたんです。

今思っても、「なんだよ!それ!」
って感じなんですが。
もちろん、それも魅力の一つではあるんですが、
すごく部分的で、
魅力がほとんど伝えられてない、
と思ったんです。悔しい!

魅力を伝える準備が圧倒的に不足していた

きっとね、
今周囲にいてくれる仲間は、
わたしの好きな人のすごさがわかってて、
「エネルギー」とか、抽象的な言葉でも
わかってくれていたんです。

わたしも、それに依存していて、
全く新しい知り合いに、
彼の良さを伝える準備が
圧倒的に不足していたのです。

わたしは、新しい知り合いにも
わたしが好きな人に感じる、まぶしさとか、
これからの可能性に対するワクワク感とか、
そういうのを全部わかってほしかった。
同じように、あなた方にも
彼のファンになってほしいんです、
と思っていた。

なのに、自分の圧倒的な準備不足で、
こんなお粗末なプレゼンになってしまった。

準備不足よりも大きな問題が見つかった

その準備不足のことを考えるときに、
それ以上に、
もっと大きな問題が
横たわっていることに気づきました。

わたしは、新しい知り合いに対して、
「こんなこと言っても伝わらないだろうな」
と思って、最初からあきらめてしまっていたのです。
その知り合いのことを、信じていなかった。

「「エネルギー」とか、「空気感」とか、
そんな抽象的な言葉を言ったって
わからないだろう、」と。
「わかりやすい実績とか、肩書きとか
っていう言葉じゃなければ、わからないだろう」って。

わたし自身が、相手に対して距離をとっていた。
肩書きなんていらない、とか言ってるくせに、
まだまだそこに縛られているじゃん!わたしよ!
と思いました。

伝わるか、伝わらないかじゃなくて、
伝えたいと思っているのなら、
言葉はたどたどしくても、
全力でぶつかっていけばよかった。

「エネルギー」だの、
「一体感」だの、
相手にとって
訳わからない言葉だったとしても、
とにかく想いを込めて、
情熱だけで押し切ればよかった。

「相手を信じていない」
ということが、
まだまだ自分にあることに
気づいたことは、大きな学びでした。

本当に自分は至らない。

好きな人との関係が一番「我」が出やすい

それに気づけたのも、
自分が大切にしている
好きな人との関係性の中で起きた
出来事だったからだと思います。

好きな人との関係に対する、
わたしの内面について、
安易に人から触れられたくない、
と思っているのは、
まだわたしに「我」が残っているから。
なんとか、うまくやろうと、
思っているズルさがあるから。
そのことにも気づけました。

一歩外に出たときに気づく、自分の限界ライン

自分のことを理解してくれている仲間と
いつも一緒にいるから、
みんなが温かすぎるから、
ちょっと、そこに甘えている部分が大きかったです。

そこから、一歩外に踏み出したときに、
新しいフィールドで仲間を増やしていこう、
としたときに、
自分の限界に気づけました。

もっと成長したい、
改めて祈り直そう、と思いました。

絶対これは、リベンジしなきゃいけない!

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