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発達指向型組織 / 成人発達理論 についてポテンシャライトなりに解釈をして説明をしてみる[2024年2月時点]

発達指向型組織、皆さまご存知でしょうか?

現在、僕は38歳で社会人16年ほどの経験を積みましたが、理想的な組織像として発達指向型組織に辿り着きました。「理想的な」と表現しましたが、発達指向型組織 自体がシンプルに理解をすることが難しい類であり、まだ「理想」か否かは正直わかりません。ただ、知れば知るほど素晴らしいと感じており、現タイミングでブログに記載をしてみようと思いました。

※一つご認識まで
発達指向型組織 / 成人発達理論については、僕は学び始めて日が浅いです。そのため、本領域に詳しい方からすると違和感がある内容もあるかもしれません。ただ、現時点で僕なりに解釈して文言化した内容であること、発達指向型組織 / 成人発達理論 山根ver としてご覧いただけますと幸いです!

では、ご覧ください!




1. 発達指向型組織とは?

発達指向型組織(Deliberately Developmental Organization 略してDDO)とは、ロバート・キーガン教授(ハーバード大学教育大学院)、リサ・ラスコウレイヒーが提唱する成人発達理論に根差した組織文化を持つ企業形態です。

高収益超成長文化の両立を果たしている企業を研究対象とし、それらの企業が成人発達理論の原則に適合した形で組織運営がなされていたことから、その特徴を学術的な見地から捉えなおし体系化しています。

研究対象となった企業はいずれも「企業の業績か、個人の成長かという二者択一で捉える」もしくは「どちらかが優先である」という考えがなく両社は一体のものとして捉える等の際立った特徴を備えていたことから、その必要性と本質的な意味が紐解かれています。

オーセンティックさんのHPより

この文章を見たときの山根の所感を記載しますと、

  • 「企業の業績」と「個人(社員)の成長」の両者を重要視している。

    • これは会社の代表としてはすごく理想。

    • ポテンシャライトは個人(社員)の成長に、会社側がコミットをしたい姿勢はあるのですが、それが企業の業績に繋がると尚嬉しいと感じていました。

    • そして個人(社員)が成長し続け、且つ長期就業を実現できると素晴らしいと感じていました。

  • 「情理と合理」というか「柔と剛というか」、対局の二者を追いかけていくイメージ。

    • 二兎追うものは一兎を得ず、ということわざがある通り、会社の経営をしていると、経営者と社員という対の関係性がどうしても存在してしまう。

    • 会社(自分)がかけた愛情に対して、退職が発生してしまったときに、どうしても愛情の阻害を感じてしまう。(山根のメンタルモデル)

    • 発達指向型組織においては、それをも解決してくるのではないか?という期待を持てた。

  • これを日本で実現できている企業はあるのか?

    • あまり聞いたことがなかった。取り組んでいる企業は存在しているのだと思うが、ポテンシャライトが先駆けの企業になれたら、当社もハッピーだし社員もハッピーになると感じた。

こんなことを感じておりました。


2. 水平的成長と垂直的成長について

個人的には、この2つの成長の定義を聞いて、38歳にして目から鱗の発見でした。

水平的成長とは
 仕事をする上での知識や経験の成長
 いわゆる業務スキル+人間力(ヒューマンスキル)
 例えば、採用コンサルティング力 / コミュニケーション力 / ロジカルシンキングなど

垂直的成長とは
 心の成長
 人としての器の成長
 視座の高さ
 勉強すれば成長できるわけではない
 試練、葛藤、苦しみなどが生み出す、気づいたら大きくなっていた類

皆さん、ピンときますでしょうか?この説明文を見てピンとこなければ、もしかしたら垂直的成長がまだ為されていらっしゃらない方なのかもしれません。
実は山根はメンバーに対して、こんなことを伝えることがあります。

「人間は突然大きく成長をしたりする。そしてその大きな成長は偶発的に訪れる。ただ、努力し続けている人ではない限り、この成長が訪れることはない。そして、山根からすると "あともう少しの期間 精一杯努力をし続ければグンと成長をするのに、努力を止めて(諦めて)しまう人が多いんだよな" と思うことがすごく多い。」

山根個人の社会人人生を振り返ると、個人的にすごく成長できた時期は、27歳の頃、31歳の頃、38歳の頃だと自認しています。本ブログではこの期間に何があったのかは割愛しますが、端的に説明をすると、「高い目標設定」「人生で最も大きなチャレンジ」「自分を大きく変化させなくてはならない事象」が発生しました。いずれの時期も "努力を止めることはせず長期間継続" していました。その頑張りが大きな成長に結びついたと感じていました。

「山根もそういった時期があったから、みんなも諦めずに努力を継続して頑張ろうよ」

そんなことを伝えていました。
ただ、この声がけには「根拠」が存在していませんでした。「努力を継続する」「頑張る」という精神的な話が多く、メンバーも信じて頑張っていてくれた(いてくれている)のですが、もう少しわかりやすく伝えたいな、とずっと思っていました。

そして、「垂直的成長」の話を聞いたときに、雷が落ちたような衝撃がありました。「あ、これが言いたかったのか…」という強烈な気づきを得ました。まさにこの「垂直的成長」が為されたときに、社会人は信じられないくら成長をすると感じています。イメージでいうと、通常の時期の成長との比較は少なく見積もって3倍、大きく見積もって6〜7倍くらいの体感があります。もう少し言語化して説明を進めます。


3. 成人発達理論における垂直的成長を山根なりに解釈して説明

成人発達理論とは:
「私たちの知性や能力が一生をかけて成長を遂げていく」という考えのもと、人の発達プロセスや発達メカニズムを解明する学問であり、発達心理学という心理学領域の一部に位置付けられます。

オーセンティックさんのHPより
  • 皆さんは何歳頃まで身長が伸び続けましたでしょうか?僕は18歳頃まででした。

  • 皆さんは何歳頃まで足が速くなり続けましたでしょうか?僕は18歳頃まででした。

  • 皆さんは何歳頃まで心の成長を実感しましたでしょうか?僕は…

突然こんな記載をしてみましたが、いわゆる「子供」の頃の吸収力は凄まじいものがありますよね。僕は2歳の娘がいますが、数回同じ絵本を読むと、その絵本の内容を覚えており、次のページに進む前に内容を突然話したりします。
そして、部活や勉強はわかりやすいですよね。これまで凄まじい「身体的」な成長と「知識面」の成長を僕らはしてまいりました。

ただ、18〜22歳頃から社会人になった僕らは、それ以降は成長しているのでしょうか?「いやいや、成長しているでしょ僕らは」という返答がありそうですが、「それって具体的にどのような成長ですか?」と聞かれた際に、

「業務スキルは身についたし、コミュニケーションも上手になった。論理的に思考することができるようになったし、タイピングも速くなった。成長しているでしょ」


これは「水平的成長」という類なのです。

前項で説明をした「水平的成長」と「垂直的成長」を図で表現をするとこんな感じです。もう一度同じ質問をします。

18〜22歳頃から社会人になった僕らは、「垂直的成長」の観点において成長しているのでしょうか?

皆さん、どのような回答をしますでしょうか?

「あ、うん、一応していると思う」
「いや、しているでしょ。している…でしょ」
「マネージャーになってから色々と苦労をして器は大きくなったと思います!」
「数年前の大きな挫折があってから、ちょっとしたことには動揺しなくなったし、器は大きくなっていると思います!」

などあらゆる回答があるのではないかと思います。
では、次の図をご覧ください。

こちらは成人発達理論における「段階」について触れています。本ブログでは上記の段階が上がっていく = 垂直的成長として説明を進めます。各段階を説明してまいりましょう。

3-1. 第一段階 

こちらは詳しく説明をしませんが、「自分」という存在を認識していない段階です。つまり、僕らがこの世に生まれた赤ちゃんの頃を指します。生まれた直後 数ヶ月は自分という存在を認識していません。自分と世界の区別もついておらず、自分の「手」についても理解していない、という話を耳にしたことはあるかもしれません。
つまり、「自分」という存在を認識していない故に、エゴを出すという段階まで進んでいない状態です。本ブログをご覧いただいている方の中で第一段階の方は存在していないはずです。

3-2. 第二段階 エゴリーダー

利己的段階で、他人の痛みを想像できない段階です。ここで言う「痛み」は身体的な痛みと心の痛みの両者を指します。年齢で言うと5〜18歳くらいまで常に「自分軸」で考える段階です。企業においては、社員の大半が第2段階の場合、自己主張が強く、社員の入退社が頻繁に繰り返す可能性があります。
山根個人の所感として「いじめ」が発生するのはこの段階なのではないかなと。「他者軸」が弱く、いじめられている側の痛みを想像できない段階です。
そして、第2段階は「自分が損する」ことを恐れれます。

3-3. 第三段階 八方美人 「環境順応型知性」

周りに合わせて自分の居場所を作る、他社に気配りをして気持ちを押しはかる環境順応型の段階といえます。「自分は黒だと思ったがみんなが白と言っているから白にした」というご経験、皆さんもお持ちですよね? そのため周りからどのように見られており/感じられており、どのような役割を期待されているのかによって自己が形成されるのかを気にします。つまり「自己が確立されておらず、周りにいる人の意見によって自分の行動が大きな影響を受ける」段階と言えます。会社においては上の立場(社長や部長)がどのような言動なのかを常に観察をして強い影響を受けています。

「周りからはこう見えている」「部長や社長がこれを期待している」などそのコミュニティ(会社)の中でポジションが高い人の意見を自分の意見とします。正しいことを曲げることも実行するイメージです。「忖度」する人はこの段階と言えます。

第二段階と比較すると「自分軸」ではなく「他者軸」で物が見られるようになります。就職活動で学生が一気に髪を黒く染めてリクルートスーツを着るのがその典型です。
第三段階でもリーダーシップは可能ですが、「会社が言っているから●●を実行してください」というレベル感の発信しかできません。企業内にいるのはほとんどこの段階だと思います。ちなみに、人間の8割は第三段階までに留まるようです。
そして、第三段階では「自分が嫌われること」を恐れます。

3-4. 第四段階 コアーダー 「自己主導型知性」

自分自身の価値観を持っており、自分自身で判断/選択をすることができる段階です。本当の自分を正直に言える 自己著述段階であり、自分の人生の台本を自分で書くことができ、人を巻き込みながら私を生きる、という段階です。

第四段階では第二段階と同じ「自分軸」にりますが、第三段階を経ているため、わがままなだけはなく人の意見を聞いた上で自分自身の価値観や志を用いた自己主張になります。第四段階に到達できるのは人間の2割と言われています。いわゆるリーダーシップを持てるのもこの段階からです。
第四段階では「自分が無価値だと感じること」を恐れています。

ただ、この第四段階(自己主導型知性)における限界が存在しています。それは「固定概念」です。「自分が思っていること=正解」と思い込んでしまうのです。

話が少しそれますが、「自分が思っていること=正解」と記載しましたが、過去の僕(山根)のことを書いているようで、少し心が痛いです。長い間 僕はこれに苦しめられました。僕はこれまでHR業界で経験を積んで参りましたが、実績や経験は人一倍積んでいる自負はあります。ただ、自信を持っている故に無意識的に自分の意見を相手に押し付けてしまう癖があったと自認しています。まさに「自分が思っていること=正解」という言動です。

ただ、「HRノウハウの変化スピードは非常に速いため、今のノウハウは1年後に廃れている」と僕はよく発信しており、これも事実として発信していましたが、「正解が常に変わる」ことを潜在的に理解していた気がしています。何を申し上げたいかというと、「ノウハウ/能力」については「アンラーニング」をする姿勢を僕は持っていたのだと思っています。

しかし、ここで一つ問題が発生します。「能力と価値観/感情を混同」して僕が捉えていたこと。そして、2023年10月にこんなブログを書いていたことを思い出しました。

ここでは「アンラーニング」と表現していますが、言い換えると「価値観の許容」です。本ブログでは詳細な説明は割愛しますが、お互いの価値観の許容ができないと成人発達の次のステップには進めないと個人的には解釈をしています。本件については第五段階に進むためにはどうすれば良いのか?という部分で説明しますね。

3-5. 第五段階 エルダー 「自己変容型知性」

自分自身の価値観や判断基準が絶対的なものではないと理解しており、「あらゆる事象(システム)や秩序」が不完全であることを理解しており、「矛盾や反対を受け入れることができる」段階と言えます。そのため、自分自身の価値観や判断基準にしがみ付いたりせずに相手の意見を聞き入れることができます。自分自身の価値観/感情/判断基準、そして能力を含めて客観視することができており、古い考えに固執せずに新しいものにどんどんバージョンアップしていきます。第五段階の方はバージョンアップに抵抗がないのですが、第四段階の方はバージョンアップに心理的な抵抗が発生します。
言うなれば「頑な」ではなくなってきて「しなやか」に移行できるフェーズと言えるかもしれません。

ちなみに、この第五段階でのキーワードに「慈愛」という言葉がります。慈愛で受け入れることができ、自分と世界の区別がなくなってきます。「自愛」から「慈愛」になるのが特徴の一つです。第五段階まで到達できるのは人間の1%と言われています。慈愛という表現の意味合いは後ほど説明します。

こちらの説明を聞いていただいて、皆さまはご自身がどの段階にいると思われますでしょうか?おそらく第三段階の方が多いかと思います。第四段階、第五段階まで到達されていらっしゃる方は希少だと思います。そして第五段階の説明を読んでもピンとこない方が多いかと思います。その理由は後述します。

3-6. 第二段階⇒第三段階への移動

「劣等感」「敗北感」「疎外感」などがポイントだと感じています。なぜならば、「自分」が主役で自分勝手に利己的に生きてきた人間が八方美人になるのであれば、「劣等感」や「敗北感」が一つのきっかけになるからだと感じているからです。自分にとってネガティブな事象が起きない限り八方美人になる必要性はありません。例えば、高校の中で自分が王様で誰しも自分の言うことを聞いてくれる場合、八方美人にはなりません。それ以降苦労することになるかと思います。
第二段階から第三段階にシフトしたときに、大人から「がまんしなさい」と言われて置いてきた自分の欲求が生まれるかもしれません。

逆に第三段階⇒第二段階に移動してしまう方もいるかと思っています。それは自分の能力/器以上の「ポジション」を掴んでしまった場合です。例えば、八方美人であったが、偶発的に実績が出て自分の能力/器以上の「ポジション」を得られたマネージャーの方。マネージャーという立ち位置を活かして、利己的なアクションになってしまう、なんてことも想定できます。

3-7. 第三段階⇒第四段階への移動

成人発達理論の中でもこの移動の難易度が非常に高いと言えます。第三段階と第四段階の比率を比較するとその理由をご理解いただけるかと思います。また、集団にいる利益よりも自分の考えを優先するため、孤独になる恐れを感じやすいと思います。

ただ、どのようなキッカケでこの移動を叶えることができるのでしょうか?山根個人的にはこの移動の背景を少しでも明らかにできるのであれば、すごく貴重であると思っています。なぜならば、いわゆる「一皮むけた」というタイミングは予想はできず偶発的に訪れると感じていたからです。

例えば、「高い目標」「大失敗」「崖っぷち」「葛藤」などさまざまなキッカケが存在しているかと思っているのですが、人それぞれ異なる、と感じるのは確かですが、一方で共通項目もあると思っています。この共通項目については僕はまだ明らかにできていないので、はっきりし次第、追ってブログでご紹介をしたいと思います。

逆に第四段階⇒第三段階に移動してしまう方もいるかと思っています。これは自分の自我を発信した際に、周りのメンバーに黙殺されたり、批判されたりした場合に発生します。皆さんもご経験をお持ちかもしれません。勇気を出して発信した際に、周りのメンバーに「え、何言っちゃってるの?」という雰囲気が流れた場合、「あ、そういうことか…このコミュニティでは自我は消したほうが良いのかな」と無意識的に思うかもしれません。

お気づきの方はいらっしゃるかもしれませんが、この成人発達段階については「所属しているコミュニティやチームによって異なる」と言われています。例えば、

  • 会社の事業部内では第五段階

  • 会社の組織全体の場では第三段階

  • 高校のクラスメートと会うときは第三段階

  • 家庭内では第二段階

などなど。皆さまはいかがでしょうか?各コミュニティやチーム、そして会社の中でも異なりそうですよね。ただ、認識いただきたいのはこの発達段階において「上の段階に進んだら偉い」というわけではありません。そのため、自身が第二段階にいる、第三段階にいることを責める必要はありません。

ただ、第五段階に進むためにはどのようなことが必要なのでしょうか?これはすごくハードルが高いと同時に、僕(山根)自身も第五段階に進めているかわかりません。しかし、何となく第五段階に進むためのステップがわかってきました。これは完全に僕なりの解釈になるため、成人発達理論にお詳しい方からすると違和感があるかもしれませんが、山根の意見としてご覧ください。

その前に慈愛について説明をさせてください。


4. (少し休憩)  慈愛について

第五段階の説明の際に「慈愛」という文字を用いてました。「慈愛って何?」と思われた方もいらっしゃるかと思います。僕もそうでした。ただ、現時点で僕は理解が進んでおり、清々しい気持ちです。僕なりに説明してみます。
※本項ではこちらのブログを参考にさせていただいております。ありがとうございます。

4-1. 慈愛とは何か?

慈愛とは
一般的な意味としては「我が子を愛するような慈しみの気持ち」
親であれば、我が子を愛するような深い愛情を持って接することができますがそれが他人や身近に接する人々との間ではなかなか難しいと感じられますね。しかし、私たちがひとつとして生きるのであれば相手がどのような人であっても、慈愛の心を持って接することで相手の立場を思いやり、お互いに良い関係を築いて行くことができるのです。

慈愛とは慈悲とは何か? 精神的に自立した人になる為に

この文章を見て、僕はNVCにおけるニーズに近しいと感じました。

こちらのブログの1-1〜3にかけて詳しく記載をしているのですが、人間には「ニーズ」という根本的な欲求が存在しています。「国籍」「宗教」「年齢」「性別」に共通したニーズは「愛情」だと僕は思っています。ちなみに山根個人のニーズの根源は「愛情」であると理解しています。
最近、会社/プライベート問わず、「誰かが悲しい顔している」「イライラしている」「喜んでいる」「興奮している」などの「感情」の変化については、何かしらの「愛情」が加えられたり欠損させられたりして「感情」が生まれているのかなと捉えるようにしています。

例えば、「退職したい」という意向があるメンバーが発生した際に、極端な話でいうと「愛情を感じられていなかったのかな」という視点で、その退職者の直近の状況を俯瞰してみると、腑に落ちることがあります。

例えば、モラルハザードが起きたとき、また不正が起きたとき。これはメンバーの「Respect」観点における指摘をすることは実施するのですが、もしかしたら「自分への愛情がなくなってしまうのではないか、という恐怖から、その行動を起こしている」という視点で、モラルハザード/不正を起こした場合の直近の状況を俯瞰してみると、腑に落ちることがあります。
もちろん、愛情の欠損⇒モラルハザードと極端な遷移ではなく、愛情の欠損⇒●●⇒▲▲⇒◯◯⇒モラルハザードであるかと思うのですが、そのような捉え方もありますよね。

ただ、この文章をご覧いただいた方々は、「いや、何となく言っていることを理解したけど、慈愛の気持ちを突然持つことは難しくないですか?」という問いが生まれているかもしれません。次項で説明いたします。

4-2. 慈愛の心を持つために

慈愛の心を持つために
まず「自分」を愛すること。「自分」を愛せれば、「他者」をも愛することができます。「相手」を愛せないというのはその「相手に原因」があるのではありません。自分を愛せないでいる気持ちが相手に投影されているだけなのです。お互いに傷つけ合ってしまうのはお互いに傷ついているからです。自分を愛せれば、誰かを傷つけようとは思えなくなるでしょう。それどころか、相手の傷ついた心を思いやり慈愛の手を差し伸べたくなるのです。親の目線で見れば私たちが行っている争いなどはただの兄弟喧嘩のようにしか見えないのかもしれませんね。

慈愛とは慈悲とは何か? 精神的に自立した人になる為に

個人的にはものすごく腑に落ちました。ただ、これは 卵と鶏 のような議論があるかと思います。「他者」から愛情を受けることができれば、「自分」を愛することができることもある。誰からも愛することができなければ、自分を愛することは難しいかもしれない?そんな仮説もあります。

山根個人としては、本当にいろいろな方から愛情を注がれた人生だったと思っています。両親は然ること乍ら、姉やおばあちゃん、小学校のサッカーのコーチ。高校のサッカーの監督、サッカー部のメンバー、大学の友達。ネオキャリア/ギークリーの上司や取締役、メンバーなど。そしてポテンシャライトのメンバー。本当にさまざまな方々から「愛情」をいただいた人生だったと思っています。この文章を書いて振り返っていると、本当に幸せな人生だったなと感じています。

ただ、これらの方々はなぜ山根に愛情を注いでいただけたのか?僕の恩師の小学校時代のサッカーコーチに聞いてみたらこんな回答をいただきました。

んー一言では言い表せないけど、多分一番は愛情だと思うよ。前に飲み会で話したかもだけど、色々あって子ども諦めかけてたけど、無事可愛い子宝に恵まれて、愛おしくて愛おしくてたまらないって感じてたの。
でも、それってみずほや白菊(幼稚園)の園庭で共に過ごした山根やのぶと、その先輩や後輩たちに感じてたそれと一緒だったんだよ。あー、オレはBIG(サッカーチーム名)やその周りの子たちに、我が子として接してたんだなって。
多分、どんな子どもとでも遊べるのの日本一だったから笑
自信もあったろうし、とにかく間近で成長を見られるのが本当に楽しく嬉しく有難いってコトだと思うよ。

小学校時代のサッカーコーチからの回答

素晴らしい回答、ありがとうございました!

ここで気づきがありました。

自分に対して愛情を注いでくれる筆頭は「両親」だと思います。ただ ご家庭の事情も皆さまあるかと思いますので、そうではない場合もあるかと思います。そして幼稚園/保育園の先生、小学校の先生やスポーツチームのコーチなど、僕らにはさまざまな愛情をいただく機会があったのだと思っています。ただ、「愛情を "受けている側"は、その当時は それが愛情であると"気づいていない" のだろうな」 と感じました。僕もそうだったと思っています。本ブログを書いてみて、そして2年前に娘が生まれてから愛情に対しての理解が深まった気がしています。そして、第五段階まで到達できている方は慈愛ができると仮定した際に、そもそも人間の1%に満たないというデータがあるので、そういった方と頻繁に出会うことは難しい、ということになります。僕の場合はその1%の方々とたくさん出会えた?のかもしれません。

んん、ただここでこんな疑問が生まれます。

「その数少ない慈愛傾向を持つ方と出会えるのは偶発的要素が強いのでは?」

その通りだと思います。ただ、このように解釈したら答えが出ました。

4-3. 慈愛をメンバーに対して注ぐことは一つの突破口になる

僕が周りの方からどのように見られているかわかりませんが、山根は割と人に感情移入をしやすいタイプだと思っています。そして少しクサイ言い方をすると、愛情を注ぐタイプだと自認しています。ただ、その愛情表現が「厳しさ」に変わり、僕の周りから人がいなくなってしまうことも発生します。

話を戻すと、本ブログで説明をしている成人発達における第五段階である「自己変容型知性」において、「慈愛」の重要度が高いと仮定した場合、メンバーが「愛情」についての理解をする必要があると感じています。ただ、人によっては「愛情を受けていた際にそれを愛情と認識していなかったり」「愛情深い人とこれまで接する機会がなかったり」するかと思います。こればかりは人によって異なるため、わかりません。

と考えた場合、僕が慈愛を注ぐ側(提供する側)になれれば、メンバーも愛情を理解してくれるのでは?と感じました。メンバーにとって差異が発生しやすい慈愛について、理解することができるのは少し先の未来なのかもしれませんが、僕自身がそういった存在になれれば良いのかなと思っています。

4-4. 慈愛を注ぐ側になる際の注意点

ただ、ここで注意点があります。
慈愛を注ぐ側になった場合、注いだ「時点」=相手の理解ではないこと。つまり、慈愛を注ぐ側がいくら熱心に愛情を注いだとしても、注がれた側はそれが愛情であったと気づくのは何十年後なのかもしれない、という意味です。むしろ、一生気付かない可能性もあります。

前述しましたが僕のニーズは「愛情」です。そのため、愛情が欠損したら不安になるしイライラします。逆に愛情を与えてもらえたら嬉しくなります。ただ、自分が愛情を注いだ相手から愛情が返ってこないことがほとんどなのにも関わらず、求めてしまっていると気づきました。本件については別のブログで細かく説明しますので、本ブログではこのへんで。

4-5. 自分と世界の区別がなくなる について

本ブログの3-5. にて太字で記載しましたが、第五段階になると「自分と世界の区別がなくなる」ようです。これについての個人的な解釈を記載したいと思います(何度か記載している通り、これが正解ではなく山根なりの解釈を記載しています)。

結論としては「あらゆる人間の根源的なニーズは同じであること」という考えを持てれば、本項で記載していることの理解が進むと思っています。僕個人的には、昨日電車に乗ったのですが、

  • あ、この電車に乗っている全員の根源的なニーズは同じなのか。

  • ただ「ニーズ」が同じであっても、ニーズによって発生する「感情」の変動は異なるのか。

  • そして感情表現をする「行動」は人によって異なるのか。

と考えるようになりました。
「感情」と「行動」は人それぞれ異なると思うのですが、「ニーズ」は近しいと考えた際に、

「あれ、人間はみんな同じなのでは?」

と考えるようになりました。電車に乗って無表情で本を読んでいる人、笑っている人、イライラしていそうな人、眠っている人など、そこまで境界線が無いのでは?と感じました。現時点で僕が辿り着いている「自分と世界の区別がなくなる」についての見解です。


5. 第五段階 エルダー 「自己変容型知性」に進むためには

さてさて、長文のブログになっていますが、第四段階⇒第五段階に進むためには何をすれば良いのか?僕なりの意見を書いていきたいと思います。

5-1. (前提) 組織の誰かが第五段階である or 第五段階に進む意思を持つこと

当社ポテンシャライトでいうと、代表である僕が第五段階に足を踏み入れている必要があると思っています。なぜならば、組織において第五段階の人間が存在してないと、誰も導くことができない状態であるからです。

後述する第五段階に進むためのステップは、個人的には踏めていると少なからず感じています。ただ、これから記載をするステップは僕の「決めつけ」である可能性が十分にあるため、2024年2月時点での山根の意見という前提でご覧ください。

5-2. 対話力がある

議論と対話の違いを理解しており、且つ議論と対話を使い分けることができている必要があると思っています。そして、「能力」と「価値観/感情」の違いも理解している必要があると思っています。

議論と対話については上記ブログをご覧ください。
なぜ「対話力」が必要なのか?それは、第五段階において「価値観の許容」「自分自身の深い理解」「他者理解」が前提として必要だと考えているからです。「対話」と聞くと「あたたかい」「ゆったり」「向き合う」などのイメージを持たれる方が多いかと思いますが、対話は「相手との対話」と「自分との対話」に分かれます。

議論は「勝ち負けがある会話」です。議論は「声が大きい人」が勝つ傾向があります。声が大きい=役職が高い/年次が長い/圧迫感が強いコミュニケーションを取る方、というイメージです。つまり、議論は「価値観の許容」という第五段階のステップに進むことは難しい傾向にあると感じています。また、「水平的成長」についての言及が多い傾向があります。

そのため「対話」については「相手への対話」「自分への対話」は問わず身につけておく必要があると感じています。

5-3. 組織における安全性

いわゆる「心理的安全性」という類です。
前提論から話を進めると、僕個人的に「心理的安全性」という言葉に強い賛同はなかったタイプです。なぜならば心理的安全性が「目的」になる組織になると、ただサムい組織になると思っていたからです。

ただ、今は考え方が変わってきました。前項で説明をした対話もそうですが、次項や後述するすべての項目において「安全性」がなければ実施することが難しくなります。そのため心理的安全性を「手段」として捉えるのであれば大賛成です。むしろ、これがなければ第三段階から次のステップに進むことは難しい傾向にあると思っています。言い換えると、メンバーに第三段階に留まっていてほしい、という意思表示があれば心理的安全性は不要だと思います。

こちらの図は個人的にはすごく腑に落ちています。もちろん右上の組織である必要があると思っています。
繰り返しになりますが、「組織」として第五段階まで進む場合は、安全性が担保された状態でなければならないと感じています。

5-4. 自分への深い理解

自分のことを理解しているか否か

という問いがあった場合に皆さまはどのような回答をしますでしょうか?これはどのような回答であっても正確な回答では「ない」と個人的にはおもっています。こちらのブログに記載されていますが、「人間の行動は90%以上が無意識に行われている」、とのことです。僕らは意識的に行動をしているのではなく、ほぼ無意識で行動をしているとうこと、つまり「自分のことを理解しているか」という問いについては、90%は無意識なのです。理解しようとしても無理なのです。とは言いません。

自分への「深い」理解、という表現をしました。深く探求することは可能です。例えば、

など自分自身を深く探求する術は多数存在しています。個人的にブログを執筆している項目はリンクを貼り付けておきました。自分自身の理解が深まっていなければ、自分の「固定概念」を理解できていないという意味です。自分を縛り付けている「固定概念」の理解がなければ、そもそも自分が特定の「何か」に縛り付けられている感覚を持つことができません。そして、相手の価値観を本質的に許容することをしない可能性も出てきます。

また、過去にこんなブログを書きました。

今の自分は「本当の自分」なのか?もしくは自分が理想に掲げている「理想の自分」を演じているのか?仮に「本当の自分」と回答したとしても、「無意識的に」理想の自分を追いかけている可能性があるため、自認することができないことが特徴です。

5-5. 他者世界について

これはいわゆる「相手の靴を履く」ことです。

こちらのブログに書いてある内容がドンピシャの内容です。第五段階に到達するためには本質的な「他者世界」の視点が必要です。これは「相手を推察する」ことではありません。詳しくはブログをご覧ください。

5-6. 当事者意識

当事者意識を理解するためには責任感との違いを理解する必要があります。

本テーマだけでも、4000字程度の説明が必要になるため、こちらのブログをご覧いただければ幸いです。簡単に補足をすると、あらゆる事象(問題)において「その事象(問題)の原因の "一部が自分" である」と本質的に理解することです。これは表層的な自己責任とは大きな差があります。

5-7. 慈愛についての理解

本ブログの「4.」にて説明をした内容です。

5-8. face to values(価値観の許容)

本項は、別項と重複する気がしますが、あえて記載しました。
face to valuesはポテンシャライトが2023年10月に新しく「カルチャー」として設定をした項目です。

ポテンシャライトのカルチャー「face to values」

内容は記載の通りですが、第五段階に到達するにあたり、

  • 自分自身の価値観や判断基準が絶対的なものではないと理解している

  • あらゆる事象(システム)や秩序 が不完全であることを理解している

  • 矛盾や反対を受け入れることができる

  • 自分自身の価値観や判断基準にしがみ付いたりせずに相手の意見を聞き入れることができる

  • 自分自身の価値観/感情/判断基準、そして能力を含めて客観視することができる

  • 古い考えに固執せずに新しいものにどんどんバージョンアップする

これらが定義だとした際に、「5-4. 自分への深い理解」「5-5. 他者世界について」だけだと不足感があると感じています。自分と他者の理解をしようとする際に「face to values」が必要になりますが、あえて項目として独立させてみることにしました。

5-9. システム思考 / 因果連鎖

システム思考とは物事の全体像を捉え、さまざまな要素とのつながりを把握したうえで、最も効果的な解決法へ向かうアプローチのことです。

こちらのブログに細かく説明がありますので、ご覧ください。
なぜ必要なのかと考えたかというと、別項で説明をしている内容は、すべて複雑に繋がっているからです。システム思考の面白い部分は、

  • 自分とは関係「ない」と思っていた問題が、自分が原因であった

  • 自分が良かれと思って取り組んだことが、別の問題を発生させていた

このあたりです。すごく興味深いです。また、システム思考/因果連鎖は、「論理的な」事象に加えて 「感情的な」事象も取り扱うことができます。これ以上の説明は本ブログをさらに長くしてしまう可能性があるため、一旦ストップしたいと思います。


最後に(ご注意点)

本ブログは2024年2月時点で、山根が発達指向型組織について学んだ内容を記載しています。僕は発達指向型組織について学び始めてから日が浅いです。と同時に、Webで発達指向型組織を調べても、あまり情報が出てきません。つまり、これまでに得た情報を山根なりに「解釈して」「文言化して」「説明をした」内容が本ブログになります。

そのため、発達指向型組織や成人発達理論の専門家の方々がご覧いただくと、違和感がある内容があるかもしれません。ただ、ポテンシャライトなりの / 山根なりの発達指向型組織や成人発達理論のあるべき姿 を追いかけていくことが重要だと思い、こちらのブログとして記載しています。

その点ご了承いただけますと幸いです。

では、今日はこのへんで。

皆さんいかがでしたでしょうか。
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