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学校教育で学ぶ「規範」

うちの娘は、幼稚園から高校生の現在まで、一貫してアメリカで教育を受けている。日本で暮らす人たちからすると、英語ができていいと思うかもしれない。大学まで日本で教育を受けた私も、昔はそう思っていた。しかし、子どもの学年が上がるにつれ、アメリカで学校教育を受けることの意義は、それだけではないと実感するようになってきた。

学校教育の意義は何なのだろうか。娘を見ていて、学校教育を通じてアメリカ社会の「規範」を学んでいるのではないかと思うようになってきた。つまり、アメリカで生きて行く上で基本となる社会のルールや価値観、物事の判断基準、自分の軸を決めるものさしなどである。

建国の哲学、民主主義、自由、平等、市民権運動、政治制度などを学ぶアメリカの歴史や政治。小学生の頃から毎年読む、黒人差別やユダヤ人問題、銃規制、両親の離婚などをテーマにした小説。アメリカが抱える社会問題について考え、正義や平等、権利などを学んでいる。こうした学習を通じて、生きていく上での価値観や判断が植え付けられているような気がする。

私自身の価値判断の基準がどこから来るか振り返ると、日本で受けてきた学校教育が根底にあり、その上に、成人以降に受けた海外での教育が堆積している。そして今、アメリカの公立高校で働きながら、アメリカの学校教育について学んでいるが、その時、常に日本で受けた教育と比較している自分がいる。

娘は、家では日本語で話し、日本の本も新聞も普通に読み、NHKニュースも見る。政治経済などの議論も普通に日本語で行う。娘と話していて、言語の面で全く違和感を覚えない分、私が日本の教育で身につけた物の考え方や価値観などを、娘と共有できていると錯覚しがちだが、彼女が拠り所にし、ものさしにしているのは、あくまでもアメリカの学校教育なのである。平日の5日間、各8時間は、アメリカの学校社会でアメリカの規律にしたがって過ごしているのだから当たり前だ。

この先、娘はどの国を選び、教育を続けるのか。アメリカか日本か。アメリカ以外の国に暮らし、学ぶようになって初めて、異なる規範があることを知り、多様な価値観と物事の判断基準を前に、アメリカについて振り返るのだろうと思う。

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