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論理力を鍛えるアメリカ教育

 日本では、緊急事態宣言も解除されて、大学はさておき、多くの小学・中学・高校が再開されたのではないだろうか。かたやアメリカでは、ほとんどの学校が再開されることなく、長い夏休みに突入してしまった。

 新型コロナウイルスの蔓延によって、人々の行動様式が変わった。その中で最も変わったと言えるのが、会社や学校という場所に行って、対面で仕事をしたり、学んだりせず、自宅でリモートワークやオンライン学習をするようになったことではないだろうか。こうした変化に順応を迫られる中で感じるのは、「言葉」で表現することの重要さと難しさである。

 アメリカの教育は地方分権型で、州の教育委員会が教育を管轄するが、私が暮らすメリーランド州ではカウンティ(County)レベルの教育委員会に委ねられている。そこでは、日本のような文部科学省が告示した学習指導要領が存在しない。検定済の教科書もない。その代わり、カウンティが教育カリキュラム・ガイドラインを定めている。しかし、このガイドラインが頻繁に変わり、複雑怪奇なのだ。教育学や教育行政を専門にしていたらわかるのかもしれないが、少なくともアメリカの現地校に子どもを通わせる親から見ると、特にアメリカの初等教育は何を目標とし、それを達成させるために、どう授業を行うか、教育の道筋が見えて来なかった。

 しかし、今、振り返ると、教育カリキュラムがどうだったかは理解できなかったが、個々のパーツで学ぶべきことも多かった。中でも「言葉」の教育である。小学2年生の時に習ったライティングの書き方の基本は、高校でのエッセイライティングと同じなのだ。小学校低学年の頃から、彼らはアカデミック・ライティングの書き方を徹底して訓練しているのだ。

 例えば、小学生の頃、好きな動物を挙げ、その動物のどこがなぜ好きなのか、書く課題があった。それを元に、言葉を使って論理的な対話や議論を深めている。また、料理レシピやおもちゃの作り方など、手順をわかりやすく説明する宿題が出され、親子でどう書けばわかりやすくなるか悩んだこともある。そして、子どもは手順に沿って実際に作ったものを学校へ持って行き、みんなの前で見せていた。

 そうした初等教育の影響からか、アメリカでは、料理のレシピ紹介やレストラン・メニューは圧倒的に言葉中心である。それがわかりにくいことも多く、日本のように写真や挿し絵を入れて、ビジュアルに訴えたら、わかりやすいのにと思うこともある。そうした議論はともかくとして、コロナ禍のためにオンライン学習やリモートワークになり、以前にも増して、文章で物事を説明して意見を言う、コミュニケーション能力が問われている。相手の言っていることを理解した上で、自分の意見を書き、なぜその意見が必要なのか提示し、相手とキャッチボールをすることが対話の出発点である。そして、それを文章で伝え、その文章を支える論理の力を鍛えることが、これからの教育で重要になってくるのではなかろうか。

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