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「わたしたちは2千年待つべきだろうか」

「わたしたちは2千年待つべきだろうか」 海辺にひとり立っている。海の向こうには輝く島々があることを知っているけれど、ここからは見えず海を渡ることもできない。触れることも、証明することもできない。ただ思い出し、浜辺に立ち尽くす。海のかなたに、神話のようにある島々とはなにか。それは過ぎ去った瞬間、還ってこない場所――2004年6月の温かいある日、シーツの間でたわむれあったあの朝。2005年9月の肌寒いある日、慢性的な疲労の中で絶望的に話し合ったあの夜――聖別されてしまった孤島。

    • 批評 夏目漱石と“ちいかわ”

       夏目漱石の書いた作品の中で『野分』は中期の作品になる。あらすじを現代風につづると、道也先生という元教師の文筆家に高柳君という高学歴無職の貧乏陰キャが惹きつけられていくという話だ。  読んでいると、道也先生の人物造形がどんどんと変わっていくことに気がつく。最初にこの人は社会不適合者として読み手の前に現れる。赴任先で衝突を繰り返し、行った先々で地方の有力な金持ちに対して遠慮なくディスをかまし、爪弾きになり職を追われて妻にもすっかり落胆される。 東京に戻ってきてからは、教職を

      • 読書メモ 『サバイバー』チャック・パラニューク

        『サバイバー』チャック・パラニューク (著), 池田 真紀子 (翻訳) https://amzn.asia/d/0aTUpRz 生まれ育ったカルト共同体がある日集団自殺で崩壊したら、生き残った男はどこかにたどり着けるだろうか。パラニュークによる極めて直球な物語。 別の方角から見ると、ずっと誤ったセルフケアをし続けた人の話としても読める。「目をつぶって適当にはさみを入れたみたいなヘアスタイル」という髪型は痛々しいほど雑で、着る服は無頓着。ケースワーカーの願望に沿うように異

        • 批評 映画『君たちはどう生きるか』(宮崎駿)

          『君たちはどう生きるか』(2023) 監督・脚本・原作:宮崎駿 制作:スタジオジブリ  夜中の火災から映画は始まる。周囲の混乱と熱気の中、母親の元へ急ぐ幼い少年の姿がある。物語の主人公である眞人(まひと)だ。揺れる群衆を一人称視点で描写する試みはこれまでの作品にない清新な表現だった。ただ、その少し前の階段を駆け上りて駆け下る描写にわずかにひっかかるものを感じる。違和感が残ったまま話が進むうちに、これはちょっとゆるい作品なんだと知るようになる。  ストーリーはあってなきもの

        「わたしたちは2千年待つべきだろうか」

          読書メモ 『チョーク!』チャック・パラニューク

          『チョーク!』(チャック・パラニューク 著, 池田 真紀子 訳) 別れ際になると嫌になるくらい魅力的になる、でも普段は退屈、そういう種類の人っている。そのとき最後に記憶に残るのは、やっぱり途中のつまらない日々ではなく、結末の鮮やかさだったり、別れ際の泣き顔だったり、笑顔だったりするんじゃないだろうか。 『チョーク!』では、著者のこだわりである母子家庭での男子、セックス依存症、(『ファイト・クラブ』の高級石鹸のような)社会を裏からハックする収入の得方、がやっぱり前面に出て

          読書メモ 『チョーク!』チャック・パラニューク

          読書メモ『毛~生命と進化の立役者~ 』

          『毛~生命と進化の立役者~ 』(稲葉 一男 著) タイトルから髪の毛の話かと思いきや、いわゆる鞭毛などの細胞の毛の話だ。どんどんミクロな話になっていくのだけど、一方で人体の働きから生態系に環境問題から果ては宇宙の構造まで思いを馳せる。かといって強引な飛躍なんかじゃなく、一つ一つは確かに結びついていてどんどんと引き込まれる。 とはいえ、メインの話は細胞の毛だ。どんな構造になっていて、どんな風に動いていて、どう動きをコントロールしてて、どんな種類があって、どんな進化をしてきた

          読書メモ『毛~生命と進化の立役者~ 』

          読書メモ 『北朝鮮不良日記』

          『北朝鮮不良日記』(白栄吉(ペクヨンギル)著、李英和(リヨンファ)訳、文春文庫) 北朝鮮のヤクザ本という変わり種。強力な支配階級がある国柄なのでいわゆる“シノギ”もマイルドで密貿易や泥棒が主だ。ちょっとオリエントでも味わうか、と対立組織との抗争や成り上がり要素を期待した人は肩透かしを食らうだろう。北でヤクザになるにはいい家柄じゃないと難しいらしく、アウトローなのにちょっと品がいい。 この自伝は大体80年代の話だ。著者は1970年生まれで、中1くらいでドロップアウトする。愚

          読書メモ 『北朝鮮不良日記』

          #読書メモ 殴り合う貴族たち

          『殴り合う貴族たち 』(繁田 信一) 章立てがすごくて、あまり知識がなくともその都度中心人物をもとに血縁関係何度も解説してくれる。脱帽。 内容はタイトル通り。貴族たちは殺人を嫌う一方で子飼いの従者を使役し暴力をナチュラルに活用していた。拉致、監禁、殴る蹴る、投石、強姦、略奪、たまに殴り殺されたり斬り殺されたり、首をはねられたりされた。 時々貴族同士も直で殴り合う場面もあり、大抵は帽子を奪い髪をめちゃくちゃにしてボコボコに殴る蹴る。最高位の貴族でも幼少からハードな暴力の素

          #読書メモ 殴り合う貴族たち

          #読書メモ 国家はなぜ衰退するのか

          『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』(著 ダロン・アセモグル , ジェイムズ・A・ロビンソン , 訳 鬼澤 忍) セールで買ってなんの気なしに読んでたら、とても面白かった。ジャレド(『銃・病原菌・鉄』)の論点を批判的に発展された内容。つまりそれはハラリ(『サピエンス全史』)のciv的なテック歴史観への批判でもある。(civはシド・マイヤーのシビライゼーションシリーズのこと) 言っていることはめちゃめちゃシンプル。 ジャレドはユーラシア大陸の形と要素(つまり地

          #読書メモ 国家はなぜ衰退するのか

          読書メモ 絲山秋子『離陸』

          数ページ読むと「これはちゃんとした小説だ」とわかる作品がある。『離陸』はそういう本だ。書き出しは“ぼく”の回想から始まる。彼は群馬の山深いダムのほとりから少しずつ色々な場所に出ていく。このままどこまでも行けそうだ。たとえばアレクサンドリアだって。 けれど物語中盤、異国で震災のニュースを聞くあたりで突然潮目が変わる。離陸、という言葉に沿うなら彼は離陸できずに地に残る。水の番人サトーサトーの魂は飛び出つことができない。現実とのつながりを確かめ、踵を返す。どこか海外で少年と暮らす

          読書メモ 絲山秋子『離陸』

          レビュー 『ホス狂い~歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も踊る~』

          『ホス狂い~歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も踊る~』(宇都宮直子) 本書は2020年代の歌舞伎町について書かれたノンフィクションで、主に4人の女性と数名のホストが登場する。彼女たちはSNSなどでそのがんばりを競い合い、”ホス狂い”を自称している。 ところで、ホストと客にまつわるエピソードは”明日カノ”こと『明日、私は誰かのカノジョ』(をの ひなお)などを読んでいるような人にはそこまでの驚きはないだろう。 ・一晩で数百万、時には数千万を使う ・ホストと恋愛関係を結ぶの

          レビュー 『ホス狂い~歌舞伎町ネバーランドで女たちは今日も踊る~』

          カーストという竜

           たまに見かける「構造的」という言葉。「構造的な不況」「構造的な貧困」「構造的な差別」など、なんとなくわかるけど突っ込んで考えていくと結構ややこしい。たとえば「構造的な不況」は「社会や経済の、形や仕組みまたはルールが原因となって起きている不況」というくらいの意味だ。だけど、詳しく説明してみろと言われると、複雑で長い過程があったり、元となる原因が多すぎたり「これが犯人だ!」とシンプルに説明できない場合が多い。 例を出してみよう。「日本の少子化問題」。これはとても複雑な問題だ。

          カーストという竜

          映画メモ『イニシェリン島の精霊』

          『イニシェリン島の精霊』(The Banshees of Inisherin) 2023年公開 監督、脚本:マーティン・マクドナー パードリック:コリン・ファレル コルム:ブレンダン・グリーソン シボーン:ケリー・コンドン ドミニク:バリー・コーガン banshee (in Irish legend) a female spirit whose wailing warns of a death in a house: バンシー。アイルランドの伝説。家の中で死の予告する女の精

          映画メモ『イニシェリン島の精霊』

          実験課題『会話有料化』

           会話が有料化された。理由や仕組みはまだ発表されていない。とりあえず今日、わたしはいくら持って街に出ればいいのだろう? 100億円もあれば十分だろうか。少し前まで銀行口座には6兆円ほどあったけど、あの資金は何かに使ってしまったような気もする。  有料化されたその日から音声、テキスト、データの送受信、あらゆる直接的なコミュニケーションについてコストが発生することとなった。有料ということは、逆にいえば会話を買うことができるということだ。実際に低所得者のキッズたちの会話は半分以上

          実験課題『会話有料化』

          なぜミリタリーおじさんはイキってしまうのか

          なぜミリおじ(ミリタリーおじさん)はイキってしまうのだろうか。本書は何かで見かけてセールの折に購入したものだが、「はじめに」でさっそく『一連の中国による反日行為…』とか出てくるので相当にキツい。2005年に書かれたそうだが第1章から地政学語りをはじめるので、ある程度免疫のある人にとっては「今更ハウスホーファーの理屈を真面目に取り上げる必要あるのかな……」と苦いものを飲まされることになるだろう。 とはいえ、ミリおじは不安を煽ってくるのでこうした入門書を手に取る人には一定の注意

          なぜミリタリーおじさんはイキってしまうのか

          レビュー『夏物語』川上未映子

          川上未映子『夏物語』。4WDの車で新雪を乗り越えて進むような力強さ。ラストシーンはレムの『天の声』を思い出した。そして思った。たとえ新しい宇宙が生まれるとしても、それが俺に関係あることなのだろうか。そう、自分でもビビるほどに別の宇宙について関心を持てていないんじゃないだろうかと気がついた。ぎくりとさせられた。 この作品はむき出しのテーマが代わる代わる現れる。まるで比喩を拒否しているかのようだ。イタチが出てきても何かの象徴になることを拒み、単なるイタチにとどまる。床一面の割れ

          レビュー『夏物語』川上未映子