見出し画像

Avengers: Endgame

Avengers: Endgameの雰囲気

去る4月24日、一足先に子ども達3人を引き連れて、Avengers: Endgameを観てきました。
ラッキーなことに、IMAX 3Dの初回。
ファンの盛り上がっており、歓声、拍手はもちろんのこと、鼻水をすするのも同じタイミングというかなりレアな空間でした。
会場全体の一体感のおかげで、それら全てが雑音にならず、感情をさらに高めてくれるというライブ会場のような雰囲気につつまれていました。
一度だけでは感動が収まらず、次の日にIMAXへ再度足を運ぶ始末。
しかも子ども3人連れて。

Avengers: Endgame
本当に過去のMCU作品の集大成で名作も名作。
これに合わせて家に揃っているブルーレイを毎日観直していたおかげで、脇役の彼や彼女の登場や、撮影ミスだと思っていたシーンがミスではなかったという驚きを本当に心の底から楽しめました。
3時間の間に何回泣いたかわからないくらい泣かされ、笑わされ、10年というMCUの重みを一身に感じるとともに、これで最後なのかと深い喪失感に包まれました。
本当はネタバレを含む感想も書こうと思ったんだけど、やめました。
自分はこの作品を本当に楽しみにしていて、予告も含むこれに関する情報は全て遮断してきました(映画館の冒頭で流れるやつは観たけど)ので、他の人の体験を奪わないように細かい感想やどの映画がどの映画と繋がっているというような話はまたの機会に。

Avengers: Endgame:Avengersとサノス

サノスの、「悪」とは言い切れない意思や、彼の「正義」を貫くために自分自身の犠牲を恐れずに闘う姿も、また観客を圧倒する。
彼には彼なりの「秩序を守る」という「正義」が存在した。
もちろん極端で、とても暴力的な「正義」だ。
これはサノスの秩序を守るための「攻撃的な正義」と、Avengersの平和を守るための「守備的な正義」(これはウルトロンで、危機に備えて少し度を越した地球の武装を唱えたスタークがいい例)との闘いだった。

Avengers: EndgameとMCU

ヒーローコミックを「現実の物にした」という功績はもちろんのこと、それ以上に人種差別や性差別、生きる上での苦悩とそれに対する個々の解答や選択をしっかりと描いてきたことがMCUの偉業だと思う。
例えばCivil Warでは、トニー・スタークとスティーブ・ロジャースの個人としての苦悩、アイアンマンとキャプテンアメリカとしての苦悩、お互いの確執とそれに対しての選択を描いた。
「許す・受け入れる」という選択を選べなかったトニーに対し、「全てを受け入れそれでも前に進む」という選択を選んだスティーブ。ブラックパンサーでは黒人社会への風当たりや、持つ者、持たざる者の対比とその環境に対する個々の解答と選択を描いてくれた(ブラックパンサーに関しては監督の力が大きい気がするけど)。

Avengers: EndgameとInfinity Warのテーマ

この二作の(もっと言うとMCUの根本的な?)テーマは「あきらめない」。
どれだけ絶望的な場面でも、歯を食いしばり、出来ることに目を向ける姿勢が本当に見事に描かれている。
泥だらけでも、怪我だらけの満身創痍状態でも、それでも出来ることを探し、自分の意志で立ち上がる。
あきらめが一瞬頭をよぎる。一瞬でそれを否定し、周りを見渡す。
この「意思」を映像で表現する醍醐味こそがMCU映画であり、その構想を形に出来る役者を含む制作人がいるからこそここまでの作品になったのだ。

少しの可能性を最大限に膨らませるための挑戦(キャプテン・マーベルを見つけ、見送った後のニックも然り)がしっかり描かれているのがMCUシリーズなので、全部一つずつみると本当に集大成を実感出来ると思う。
本当はEndgameを観る前に観ておくべき映画とかを選ぼうと思ったんだけど、全くもって選べない。
…さ、明日も観に行こうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?